本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新しています。なお、トークは前日の夜に行っています。
本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお読みになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。
なお、音声ファイルはMP3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができるますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ
トークを要約した書き起こし
今回も夜にトークをしている。何度も述べているように、私は毎日同じ時刻に同じようなことをする習慣がある。 だから今夜のところも、午後7時前にNHKで放送になる気象情報をチェックし、そのあとに本サイトの「天気コーナー」(現在、このコーナーはありません)の更新をした。で、それが終えてから、トークに突入したというわけ。
その、更新を終えたばかりの「天気コーナー」の続きで天気の話を少ししておくけれど、このところは予報の精度が低い状態が続いている。関東地方はまだ梅雨で、この時期は梅雨前線の位置や活動状況によって天候がめまぐるしく変化するため、天気のプロであっても予報が難しいのだろう。
それにしても、今日の関東地方は予報を外しすぎ? というのも、前日の予報では、たしか、好天はとても望めないとのことだったのに、実際の天気は、文句のつけようがない好天に恵まれたのだから。
ここまで外れると、そのうちに、天気予報が当たる確率を予想することが必要になってくるかも
でも、ま、天気というのは人間の心理にも影響を与える。たとえば、今日、もしも予報通り、朝からどんよりと曇っていたら、出かける予定だった人も、「別の日に変更するか」といった気になる、かもしれない。今日はそれとは逆で、出かける予定のなかった人の予定外の外出を呼ぶ、かもしれない。
今日の私は、後者のひとりとなった。
はじめの方で述べているように、私は毎日同じようなことを繰り返し、今朝も本サイトの更新をいつも通りこなした。そのあと、朝食を摂るなど、朝にすることを一応済ませ、再びPCの前に座り、あるサイトを開いて情報をチェックした。それは、ある映画館の上映スケジュール。
今年の3月11日に東北関東大震災が発生して以降、様々な業種に影響が出たものと思うが、もしかしたら、映画館なども、客の入りが減ったかもしれない。
震災後は関東でも余震活動が続き、大きな地震が起これば電車がストップしてしまい、帰宅難民(「帰宅困難者」)になってしまいかねない、と私はややしばらく電車を使って出かけることを控えていた。
それだから、今日行ってきた、東京・東池袋にある「新文芸坐」へも久しぶりに足を向けたことになる。
世界の映画料金がどれくらいかは知らないが、日本ではいつからか新作の場合は【1800円】と相場が定まった。クラシック音楽の演奏会へ行くことを思えば割安だが、映画といえば庶民の娯楽なのだから、安ければそれに越したことはない。
その点、新文芸坐の友の会会員になれば、1回【1000円】で観賞することができる。基本的には昔の名作がよく上映され、しかも、通常は2本立てである。ということは、1作品あたり【500円】の計算になる。
ただ、2作品ずつの上映というのが、時に、足が遠のく原因にもなる。作品によって上映時間はまちまちだが、平均的には2時間前後の作品が多い。ということは、通常、4時間ほど劇場内の椅子に座って時間を過ごすことを強いられる。
たとえば、今春全線開業した九州新幹線を使い、新大阪と鹿児島中央を直通運転する「みずほ」に乗った場合、始発から終点までの所要時間が3時間45分で、それに相当する時間シートに座り続けることなる。だから、格安で2本楽しめるとはいえ、ある程度の体力が要求され、敬遠したくなるときもある。
その新文芸坐では、7月1日(金)から23日(土)まで、「世界の映画作家たち」という企画が組まれている(期間を下↓で訂正)。私はこの企画を以前からチェックしてあり、ある2作品が上映される土日には行こうと考えていた。
私は勘違いして、その土日が9日と10日だと思い込んでいた。が、今朝、のんびりとチェックしてみると、2日と3日(つまり、昨日と今日)だったことに気づき、大慌てで支度をして出かけてきた。1回目の上映開始が午前9時50分で、なんとかぎりぎり間に合った。
見てきた作品を、今日見た順番に話すことにする。まず最初に見たのは、フランス映画の『地下室のメロディー』(1963)。本作のテーマ音楽は、一度は耳にしたことがあるだろう。
この作品は、以前にNHK衛星第2(今年度から、それまでの衛星第2と衛星ハイビジョンが統合され、NHKBSプレミアムになった)でされ、その時に録画してあるハズである。
それにしても人間の記憶というのはいい加減なもので、それが白黒作品であったか。それとも、カラー作品だったかも記憶がたしかでない。
今日見てきたばかりの作品は白黒だったので、白黒作品で間違いない、と確信を持っていてた。わけだが、本ページの更新をする過程で、YouTubeで関連動画を探すと、なんと、同じ作品のカラー版があった。
印象的なラスト近くのシーンも、カラーで紹介されている。
それを見ながら、もしかしたら、今日、自分はカラー作品として見てきながら、白黒作品だったと勘違いしているのではないか? と自分を疑うこともできなくはない。が、今日見たのは白黒で間違いない。
ならば、ネットにあるカラー版は何なのか? カラーのネガフィルムで撮影しながら、それをわざわざ白黒作品にして公開した、のだろうか?
フィルムといえば、今日の上映中に珍しいアクシデントがあった。
あれば、作品の中盤以降、アラン・ドロン(1935~)が犯行の下見を兼ねてホテル内にいるとき、ふと天井を見上げるシーンで、突如、スクリーンが明るく真っ白になった。これも、ひとつの演出かと思った。が、そうではなかった。音が消え、スクリーンが真っ白な状態がそのあとも続いたからだ。
そのとき、映画館の映写室にいた係の人は、頭の中が真っ白になったかもしれない。何しろ、上映中のフィルムが切れてしまったからだ。映写を再開するまでの間、その人は脂汗を流していた、かもしれない。
その昔、私は8ミリ映画の撮影を趣味にしていたので、それで身についたフィルムの話を少ししておこう。
8ミリ映画で使うフィルムには、コダックの「スーパー8」と、富士フイルムが孤軍奮闘する「シングル8」の2種類があった。
私自身は富士フイルムから出ていたシングル8方式のカメラを使ったが、父はニコンのスーパー8方式のカメラを持っていたので、私は両方のフィルムの特徴をそれなりに知っている。
2方式のフィルムは材質がまったく違う。
おそらくは、スーパー8と同じ材質を持つフィルムで多くの劇場用作品が製作されているのではないか。このフィルムは、指で簡単にちぎることができる。また、フィルムをカットして編集するときは、専用のフィルム・セメント(←といったかな?)で貼り合わせる。
一方のシングル8フィルムは、いくらやっても指でちぎることはできない。このように材質が違い、当然、編集の方法も異なる。
シングル8の場合は、フィルム・セメントで貼り合わせることができず、代わりに、カットしたフィルムは専用のセロハンテープのようなもので貼り合わせる。
そのため、つなぎ合わせたフィルムのカットとカットの間に微妙な隙間が生じ、作品に音を入れた場合、編集した箇所で音が飛んでしまう。それに悩まされ、私はそのあとに登場したビデオを使う撮影に乗り換えた経験を持つ。
上映中のアクシデントの話に戻ると、正確にはフィルムが途中で切れたというより、フィルムをつなぎ合わせた箇所が、上映中に、映写ランプの高熱によって剥がれてしまったのだろうと推測する。
フィルムの作品を映画館で上映する場合、2台の映写機がセッティングされている。2時間の作品であれば、ひとつのリールに2時間分のフィルムが巻かれていればいいが、2時間分のフィルムを巻けるリールはない。そのため、ひとつの作品を何本かのリールに分けて巻き、2台の映写機で交互に上映し、2時間の作品を途切れなく上映する。
映写機を切り替えるタイミングがフィルムに焼き付けてあるのをご存じだろうか。
現代の映画がこの方法を採っているかは知らないが、昔のフィルムであれば、そのリールが終わりに近づくと、画面の右上隅のあたりに、平べったい●が1回現れ、映写技師に映写機を切り替えるタイミングが近づいたことを知らせる。その何秒かあとにもう一度●が現れたら、その瞬間にもう1台の映写機に切り替える。
古い作品を見ているとき、注意していると、今述べた●に気がつくだろうと思う。
肝心の中身についてはまったく触れずに終わってしまった。粗筋は、これまでに本作を見たことがなく、これから見るかもしれない人のために、伏せておくことにしよう。
それでは取り急ぎ、今日の2本目に見た作品について。
2本目に見たのは、こちらもフランス映画で、白黒の映像が冴える『死刑台のエレベーター』。新文芸坐の紹介では、1957年の作とされている。
本作を監督したのは、おそらくはこれがデビュー作となったルイ・マル(1932~1995)。彼を含め、それまでの映画作法とは趣を異にした映画作りがフランスで始まり、それをヌーヴェルヴァーグ という。
今日見てきた2本の作品の製作年代をあとで確認して、意外な感じを持った。『地下室のメロディー』が『死刑台のエレベーター』のあとに製作されていたからだ。『地下室_』は、伝統的な作り方をしている印象がある。その一方、『死刑台_』は、悪く採れば散漫な印象がある。
本来は、もっとがっちりとしたストーリーを展開すべきところ、フラフラと横道に逸れ、本来、もっとしっかりと描くべき部分が疎かにされているように思えなくもない。
エレベーターに閉じこめられてしまった彼を案じて、愛人(ジャンヌ・モロー〔1928~2017〕)が夜の街を彷徨う。こうしたシーンを必要以上に長く見せるところがいかにもヌーヴェルヴァーグらしい、といえようか。
この作品を音楽で盛り上げるのが、マイルス・デイヴィス(1926~1991)のあまりにも有名なトランペット曲。即興演奏を録音したという話が伝わるが、真相は違うという話も残る。
以上、今回は見てきたばかりの映画について述べてみた。2作品とも内容にはほとんど触れていないが、有名な作品なので、見たことがある人も多いだろう。ということで、粗筋は省くことにした。