私は今年のある時期、米国映画を集中して見て、本コーナーで見たばかりの作品を取り上げることをしています。
私は基本的に、テレビ番組をオンタイム(「番組が放送されている時間」ぐらいの意味で使っています)で見ません。この習慣ができたのは、1980年代はじめに、出たばかりの民生用ビデオデッキを使い始めてからです。
放送されている番組とほとんど変わらないように見えた録画映像に驚き、以来、気になる番組があればすべてビデオに録画し、自分の好きな時間に再生して見る習慣ができました。
デジタル時代の今は、ハードディスクドライブ(HDD)とブルーレイディスク(BD)に録画できるレコーダーに、気になった番組があれば、録画するようにしています。
ただ、録画番組を見るのを少しでもあと回しにすると、録っただけの番組が溜まりがちです。気の向くまま録画した米国の古い作品が溜まっていることに気がつき、「在庫整理」するつもりでそれらの作品を見始めました。
実際に見てみると、それまで見なかったのがもったいないくらい、素晴らしい作品ばかりでした。
それらの「在庫」はすっかり捌け、最近は、見たくても、見る作品がないことに不満を感じていました。
そんな今週の月曜日(21日)、私がいつもチェックする、午後1時からNHK BSプレミアムで放送される「シネマ」の時間に、ちょっと気にかかるような作品が放送されるのに気がつきました。
朝日新聞のテレビ欄のその項目には、作品名と主演俳優のJ・ニコルソンの名しか載っていません。ジャック・ニコルソン(1937~)であれば期待できるかも、と一応録画しておきました。
それを昨日、再生させて見ました。1997年公開の作品です。私は米国の古い映画が好きで、古いほど良いと単純に考えるところがあります。
それでいえば、1997年は、今から四半世紀も前の作品ですから、古いことは古いですが、私が好きな1950年代や1960年代とは相対的に新しく、若干の懸念があることはありました。
見た作品は、『恋愛小説家』です。
これが実に良かったです。それだから、本コーナーに取り上げようと思ったのです。
ひと言でいえば、大人の恋の物語です。その種の作品としては、ロバート・デ・ニーロ(1943~)とメリル・ストリープ(1949~)が共演した『恋におちて』(1984)が思い浮かびます。
私はこの作品が好きで、レーザーディスク(LD)版まで買い求めてしまいました。

その作品と比べると、『恋愛小説家』は、単純には恋愛映画とは呼べない作品です。
邦題では『恋愛小説家』となっていますが、ニコルソンが演じる主人公のメルヴィンが超売れっ子の恋愛物の小説家なのです。
本作が公開された年、ニコルソンは60歳です。その歳まで、映画の主人公のメルヴィンは独身です。ニューヨークのマンハッタンにある、日本風にいえば超豪華なマンションに住んでいます。
向こうではアパートメントというのかもしれませんが、日本の豪華なマンションでも、あれだけの部屋数はないだろうというぐらい豪華です。しかも、部屋が広いです。
メルヴィンは、子供の頃は父親に、ピアノの演奏を厳しくしつけられた(?)のかもしれません。作品の途中、停めた車の中で、父に厳しく叱られた話をごく簡単に話すシーンがあります。
彼の父は11年間自室に閉じこもり、少年だったメルヴィンがピアノを間違えて弾くと、厳しく叱られた、と話しました。
もしかしたら、彼をピアニストにしたかった(?)のかもしれません。
小説家になったメルヴィンは、気分転換にピアノを弾きます。大きなピアノを置いても十分な空間があるほ広い部屋だとということです。
彼は強迫神経症(強迫性障害)を患っており、精神科医からは薬を服用するよういわれているようですが、薬を呪うほど嫌い、一切服用せずに毎日を過ごしているようです。
それだからか、彼は他者にまったく寛容ではありません。唯一くつろげる自分のマンションから一歩外へ出ると、顔見知りはもとより、見知らぬ人からも毛嫌いされます。
ファーストシーンが典型的です。隣には、若くて、ちっとも売れていない画家のサイモンが独りで暮らしています。その家を訪れていたサイモンの母(かな?)が、上機嫌でドアを開け、その先にメルヴィンがいることに気がつくと、顔をしかめ、部屋に戻ってドアを閉めてしまいます。
これぐらい、メルヴィンは周囲の誰もから嫌われた存在だということです。
彼はいつも、決まったレストランで食事をするのが決まりのようです。
他人と関るのを極端に嫌うメルヴィンは、マンハッタンの歩道を歩くときも、他人に決して触れ合わないように、奇妙な格好で歩きます。
よく見ると、歩道の敷石の縁を決して踏まないよう自分に決めているらしく、それで、歩き方が奇妙になってしまうようです。
やっとの思いで行きつけのレストランに到着しますが、自分が座る席は決めているようです。ところがその席に別の客が座っていると不機嫌になり、先客をいびります。
そんなことばかり繰り返しているため、店の店長からは出入り禁止を申し付けられているようです。
注文する料理は決めており、それを注文します。しかも、ナイフとフォークは店のものは使わず、プラスチック製ナイフとフォークを持っていって使います。
彼は給仕に、店で働いているキャロルを要求します。キャロルを演じるのがヘレン・ハント(1963~)です。本作で共演したニコルソンとハントは共に、その年に公開された作品に授与される、アカデミー賞の主演男優賞と主演女優賞に選ばれています。
キャロルを演じたハントは、公開の年34です。
メルヴィンはキャロルが好きなのですが、素直に口にできない損な性格です。
メルヴィンは給仕するキャロルの顔をじっと見つめ、「君はいくつだ?」と訊きます。彼女が素直に答えないでいると、「君の眼は50歳ぐらいに見える」と失礼なことをいいます。
このように、メルヴィンは相手を怒らす「天才」です。それだから、その歳まで、誰とも恋に落ちることもなく、独り暮らしを余儀なくされてきたのです。
彼女を怒らせたことに気がついたメルヴィンは、「別に、君が年取って見えるというわけではない。君の眼の下に隈(くま)ができているから、その歳に見えるといいたいだけだ」といったりします。
それはいいわけにもならず、彼女は気分を害したままです。それでも、「私には男の子がいて、(病弱だから)看病で疲れているのよ」といいます。
彼女はシングルマザーで、彼女の母が同居しています。息子は生後半年ぐらいから喘息の発作を起こし、外で遊んだことがない生活をしています。
彼女が家計を預かっており、生活が苦しいため、満足な医療も受けさせられずにいます。
あとでキャロルがメルヴィンに告白しますが、メルヴィンが初めてレストランに来て、それを見たキャロルはメルヴィンを素敵な男(人)と想っていたのでした。
キャロルはキャロルで、さばさばしたところがあり、思ったことを相手にぶつけてしまうところがあります。そんなキャロルとメルヴィンですから、睦(むつ)まじい会話は成立せず、すぐに障害物にぶつかってしまいます。
あるとき、メルヴィンがいつものようにレストランに行くと、キャロルが給仕をしてくれません。代わりに来たウェイトレスが気に入らないメルヴィンは、「おデブちゃん、キャロルをよこせ」と要求します。
要求が通らず、切れたメルヴィンは、怒ってテーブルを大きな音を立てて掌で叩きます。叩いたあとで、メルヴィンは「しまった。またやってしまった」と反省するのです。
その様子を見ていた店長は、「出ていけ! 二度と来るな!」とメルヴィンに命じます。メルヴィンは一言もいい返さず、店の外へ出ていきます。
店に居合わせた他の客は、店長の決断に、歓迎の拍手を送ります。客のひとりの女性は、メルヴィンに「ざまあみろ!」と言葉の石を投げつけます。
メルヴィンが自分のマンションに戻る様子は描かれていませんが、いつものように、歩道の敷石の縁と他人をよけるように歩いて帰ったでしょう。
このように、態度と口がめっぽう悪いメルヴィンと、さばさばしているけれど傷つきやすいキャロルは恋に落ちることができるのでしょうか。
それは、本作をご自分で見て確認してください。
私が本作を見ていた感じたことがあります。それは、ストーリーとは直接関係しないことです。
スローリーガ終わって、黒い画面に白い文字でエンドロールが流れます。その最後近く、”Technicolor”の文字が目に入りました。
「テクニカラー」については、本コーナーで少し書いたことがあります。旧い米国映画で、フレッド・アステア(1899~1987)が主演した作品を見ていて気になったカラー作品の撮影方式です。
自分で書いておきながら、実際のところは、それがどのようにして作られた色なのか、具体的にはイメージできないでいます。それは別にして、1997年に公開された本作が、普通のカラーフィルムでなく、テクニカラーで作られたことを知りました。
それだからか、とてもコクのある色味に感じました。
透き通るの色味を好む人がいますが、私はテクニカラーで作られたような、コクのある、透き通らない色味が好みです。
最近の日本の映画作品はほとんど見ていませんが、私が勝手にイメージすると、俳優はどんな場面でも、落ち着いて、紅潮しない顔で演じているのではありませんか。多少貧血気味に見えるほど。
本作に登場する主要人物は、興奮するシーンでは、耳まで紅潮させて演じています。テクニカラーがそれを見事に色付けしています。
メルヴィンに会うたび必ず「ゲイ」といわれる、若くて売れない画家のサイモンを演じるグレッグ・キニア(1963~)という俳優もいいですね。彼も、耳まで真っ赤にして演技をしています。
彼も本作で、アカデミー賞の助演男優賞をしたのですね。
ヘレン・ハントは、セクシーな肢体を披露しています。
雨の降る中、上はTシャツ一枚で、メルヴィンのマンションを目指すシーンがあります。シャツの下にはブラジャーを付けておらず、濡れたシャツから乳首が透けて見えます。
メルヴィンがドアを開けてくれるまでそのことに気がつかなかったキャロルは、メルヴィルに対面して初めて、自分の乳首が透けていることに気がつき、乳首が透けないよう、慌ててシャツを指でつまんで乳首から浮かして、透けないようにしたりします。
別のシーンでも、風呂上がりのキャロルを見て、俄然創作意欲が復活させた画家でゲイのサイモンが、キャロルにヌードをデッサンさせてくれと頼みます。
画面に映るのは胸と尻ぐらいですが、撮影現場ではオールヌードだった(?)かもしれません。サイモンを演じたキニアは、この時も耳まで真っ赤にして演じています。
ゲイのサイモンを演じたキニアが、実生活ではゲイではない証拠になりましょう。
音楽は、『レインマン』(1988)でも音楽を担当したハンス・ジマー(1957~)です。
おっと、忘れてはいけません。サイモンの愛犬のヴェデルの名演技には感心しました。君はどんな演技でもできるんですね。泣かせますねぇ。
アカデミー賞に「助演犬優賞」なんてものがあれば、本作の公開年度の受賞は君以外考えられないです。受賞、おめでとう!
ひょんなことから、ヴェデルを預かることになったメルヴィンが、ヴェデルに情が完全に移り、元の飼い主のサイモンに引き渡さなければならないとわかったとき、あの傍若無人に見えるメルヴィンが涙を必死に堪えていましたっけ。