私生活というのは、文字が表すように「私の生活」ですから、「私」以外の他者が口出しできることではありません。
しかし、その「私」がある程度知られた人である場合、他者が、他者の私生活と知りつつ、興味を惹かれることがあります。
最近のことでいえば、NHKの看板アナウンサーのひとりと目されていた阿部渉アナウンサー(1967~)の不倫報道は、多くの他者の耳目を集めたでしょう。私はYahoo!ニュースでそれを知り、いろいろなことを考えさせられました。
これを「スクープ」といっていいかどうかわかりませんが、「文春オンライン」が独自に取材し、記事にしています。
阿部アナの不倫相手は、職場で出会った30代の女性のようです。相手の女性は、阿部アナとの結婚を望んでいるようですから、独身です。
阿部アナの私生活は知りませんが、妻と子供を持つのでしょう。
そのふたりが、ここ2年ほど、人目を忍ぶ肉体関係を続けているようです。
「あさいち」といえば、朝にNHK総合で放送する「あさイチ」があります。情報筋によれば、阿部アナはこの番組出演にも未練を持っていたそうで、それが、不倫のための偽名にも表れた、といえましょうか。
本当は「人目を忍ぶ恋」と書きたいところです。それが恋であれば、肉体関係を結ばなくても成立します。逆のいい方をすれば、肉体関係がない恋のほうに、純粋性があるといえましょう。
精神性と肉体性を秤に載せ、精神性が重く沈む状態が、私は大切であるように考えます。
それとは逆に、肉体性だけが強まれば、恋が持つ「魔法」は薄れてしまうでしょう。そうなれば、男と女の関係に打算が生まれ、エゴも出てくるでしょう。
阿部アナの話に戻せば、ここへ来て、ふたりの関係には変化が見られ、それがふたりに温度差となって現れてきていたようです。
相手の女性は阿部アナとの結婚を望むものの、阿部アナは家庭を壊すことは考えていないようだからです。それでいて、阿部アナは不倫相手も失いたくなく、相手には「好き」とか「一番大事だ」というのだそうです。
阿部アナのこの言動は、すぐ上で書いた打算で、不倫相手とは、恋や愛というよりも、自分より20歳ぐらい若い女性の肉体を手放すのが惜しいと考えているのでは、と想像してしまいます。
文春の記事を読んで私が一番ショックを受けたのは次の記述です。
大きい声が聞こえるなと思って廊下に出ると、あの部屋から男女の声が聞こえてきました。このホテルの部屋はドアの下に隙間があるので中の音が外に漏れてしまうんですよ。
不倫の関係がある事実だけを記事で読んだなら、そうか、不倫をしているのか、と思うだけです。しかし、このような表現を読まされると、自分もその場にいるような感じがし、人間が本来持つ野獣のような生々しさが迫ってきます。
人の感覚を刺激するものは、視覚のほかに聴覚、嗅覚、触覚などがあります。嗅覚も、それはそれで刺激的ですが、この場合は聴覚です。
廊下にまで響くほどの男女の声というのが、NHKのまじめなアナウンサーを「演じている」阿部アナからはギャップを感じ、強く印象に残りました。
この記事に書かれた阿部アナの相手の女性も、これを読んだとき、どんなことを考えるでしょう。
わたしの心身リフレッシュ術
サウナ→生ビール、プール→生ビール
これにもうひとつ
「セックス(不倫も含む)→生ビール」
を付け加えるといいかもしれません。
人は、成長するにつれ、さまざまに「武装」していきます。
社会や他者から尊敬の眼で見られるようになりたかったら、学校の勉強に励み、学歴という「武装」をするといいでしょう。学校を卒業したら、一流組織に就職するのが、良い人生を送っていると他者に思わせる「武装」になります。
そのどちらも手にしていたはずの阿部アナが、20歳ぐらい年下の女性とホテルで密会を繰り返し、「その時」の喘ぎ声を取材者に知られ、文章にされたことで、「武装」が解かれてしまった印象です。
私はテレビのニュースは見ませんが、NHKのニュース番組でニュース原稿をまじめに読む阿部アナの姿をよく知る人には、今回の記事は、「衝撃的」だったかもしれません。
生身の人間ですから、排便のついでに放屁もすれば、放尿もします。性欲が増せば、真っ裸になってセックスもします。パートナーがいない人は自慰に励むしかありません。
そんなことは当たり前と頭では理解しつつ、先ほど書いた「武装」がそれを見えにくくします。それが、何かのきっかけで「武装」が解かれ、人々の前に裸の状態で放り出されると、それを見る人は少なからずショックを受けます。
阿部アナは、平日の朝に生放送されるラジオ番組のパーソナリティをしていたそうですが、今回の報道を受け、自ら申し出て降板したそうです。
今回のことを逆手に取り、大っぴらに不倫をするのもひとつの手です。しかし、小心の阿部アナは、家庭も失いたくないのですよね?
彼が今後どのような人生を歩むのか、他者である私には関係ありません。それでも、それとなく、その後の彼の人生の様子も漏れ聞こえてくることがあるでしょう。