東京・原宿といえば、今も昔も若者に人気のファッションの街です。この街の一画が江戸時代に隠田(おんでん)と呼ばれていたことを知る人は多くない(?)かもしれません。
私は、ある番組を見たことで初めて知りました。それを教えてくれた「よみがえる新日本紀行」の「ファッションの街 東京・原宿」について書きます。
この番組がかつての「新日本紀行」(1963~1982)で放送されたのは昭和48(1973)年です。本コーナーでこの番組枠の「鹿のいる公園 奈良」を紹介しました。
その回の放送があったのが昭和50(1975)年で、今回は48年ですから、その番組より2年前にフィルムで撮影されています。しかし、今回この番組を見ると、不思議なくらいに古く感じません。
天気が良い日に、カラフルな服装の人々を撮影することが多かったからか、色彩が色あせした感じがまるでしません。
番組では、この街をよく知る若い女性に道案内をしてもらう体裁で番組を作っています。その案内をする女性は、日本のスタイリストの草分けとされる高橋靖子氏(1941~)で、彼女をよく知る人からは「ヤッコさん」といわれているそうです。
ヤッコさんはいつも親しみやすい笑顔を絶やさないので、誰もが彼女に近づいて話をしたくなるでしょう。愛嬌があり、性格の良さそうな素敵な女性です。
彼女はこの番組が撮影された昭和48年までに10年ほど原宿に住んでいるそうで、昭和30年代の終わり頃から原宿の街をよく知っているようです。
彼女が暮らしているのは原宿セントラルアパートで、ここにはファッションデザイナーやカメラマン、モデルらが暮らし、互いに情報を交換しながら、夢の実現を目指していたようです。
そのひとりとしてファッションデザイナーの山本寛斎(1944~ 2020)が登場したのには驚きました。
撮影された時点の寛斎は29歳で、6年前にひとりでその仕事を始めたと伝えています。6年経ち、社員40人の企業に成長したそうです。
寛斎と社員が、ビルの屋上で輪をつくり、ひとりひとり順に、「ありがとうございます」とか「いらっしゃいませ」と大きな声で挨拶し、深々とお辞儀をする映像が流れます。
寛斎が成功の階段を上る一方で、芽が出ずに、この街を離れて行った多くの卵がいたでしょう。
番組ではこの街が江戸時代、隠田といわれたことを伝え、江戸幕府を開いた徳川家康(1543~1616)から、この土地が伊賀者へ贈られた事実をナレーションで簡単に紹介しただけです。
そのいきさつが気になり、番組の録画を見たあと、ネットの事典ウィキペディアで確認すると、次のように書かれています。
1582年の本能寺の変の際に徳川家康を堺から三河まで無事に帰国させた「伊賀越え」の行賞として、1590年に伊賀者に穏田村とともに原宿村が与えられた、という記述もある。
今はどうかわかりませんが、番組の撮影がされた昭和48年当時は、表通りを一本入ったところは風景が一変し、昔ながらの家屋が並び、地元の人が暮らしています。
そこの住民が一軒の家に集まり、「無尽講(むじんこう)」を開く様子も紹介しています。
その人たちが暮らすところには隠田神社があり、9月9日の秋祭りの様子も伝えています。
もしかしたら、その後の開発で、伊賀地方から移り住んだ人の子孫が暮らしたかもしれない集合体が今はなくなってしまったかもしれません。
番組は、今の原宿の様子も短く伝えています。撮影されたのは2021年の初夏の頃でしょう。並木を作るケヤキが青葉を茂らせています。
2021年の2年前まで、ヤッコさんは原宿でスタイリストとして活躍したそうです。番組に登場した山本寛斎も2020年に世を去っています。
ヤッコさんも寛斎の仕事に関ったりしましたから、寛斎の死去と、ヤッコさんがスタイリストの仕事を辞めたことは関係しているかもしれないですね。
ヤッコさんは多くのスタイリストを育てたそうですが、そのひとりの中村のん氏が、今の原宿の道案内役として登場しています。
のん氏は、今も現役で、インスピレーションを得るため、アンテナを高くして、原宿の街を歩くそうです。
裏原宿のあるショップに入り、ひとつの発見をします。ウッドストック・フェスティバル(1969)が開かれた当時のロックミュージシャンらをプリントしたTシャツが、のん氏の眼には新鮮に映ったのです。
今回の「新日本紀行」が放送されたのが昭和48年です。その頃のファッションが、ひと回り回って、また新鮮に見えたというわけです。
ヤッコさんも住んでいた原宿セントラルアパートは1998年に取り壊され、今そこには、ファッションビルが建っています。
原宿セントラルアパートの1階に、日本で初めてのブティックができたと放送で伝えていますが、そのブティックは、20年ほど前に建て替えられたファッションビルの中に入った(?)でしょうか。
最先端の街に暮らしていると思っている現代日本人の暮らしを、50年後の人が過去の記録映像として見たら、どんな感想を持つでしょう。