本コーナーで、レコーダーに録りためた映画を見て、それについて書くことをしています。今回は、オーソン・ウェルズ(1915~1985)の監督デビュー作にして、評価が非常に高い『市民ケーン』(1941)です。
私もそれなりに米国を中心とする海外作品を見ているつもりですが、本作をはじめから終わりまでしっかり見たのは初めてです。
米国で公開されたのが1941年。日本ではなぜか遅れ、1966年になってやっと公開されています。
本作について書くときに、「バラのつぼみ」の台詞は欠かせません。
本作の主人公、チャールズ・フォスター・ケーンが死の間際に漏らすひと言が「バラのつぼみ」です。
本作はウェルズが監督、プロデュース、共同で脚本、そして、主人公のケーンを演じています。
音楽がバーナード・ハーマン(1911~1975)であったのに気がつきました。バーナード・ハーマンといえば、ヒッチコック(1899~1980)作品に楽曲を多く提供し、遺作となった『タクシードライバー』(1976)がよく知られます。
ケーンのモデルとなったのが、米国の新聞王、ウィリアム・ランドルフ・ハースト(1863~1951)とされています。
ウェルズが本作で、ハーストをモデルにしたケーンを好ましく描くのであればまだしも、おそらくはそのようには描かないであろうことを察知したハーストは、評論家の買収や劇場への圧力など、自分の財力を使って、映画の成功を妨害したとされています。
事実、ウェルズは本作で、ケーンを偉大な人物には描いていません。
また、ハーストは、歳の離れた女性と結婚していますが、ケーンが映画の中で出会っているスーザンは、メディアやその道の専門家、聴衆に嘲笑される歌手に描いています。
ケーンという人物を描く作品でありながら、冒頭はケーンの臨終の場面で、「バラのつぼみ」のひと言を残し、手にしていたスノーグローブが床に落ちて球体のガラスが割れ、中の水と、雪状の白い粉が弾けます。
ケーンは、25歳になった年、彼のために管理されていた巨額の財産を元手に、彼が唯一関心を持てた、新聞の出版を始めます。
手始めに、潰れかかっていた小さな新聞社を買い、優秀な記者を使い、思うがままに記事を書かせ、瞬く間に、全米を凌駕する新聞網とラジオのネット局を持ち、メディアの寵児となります。
ケーンは金持ちを嫌い、苦しい生活を余儀なくされている市民の見方に立った記事を書くのだといいますが、どこまでが本心で、どこから彼のハッタリであるかはわかりません。
新聞社の経営に乗り出すケーンは25歳過ぎの設定で、演じたウェルズはちょうど同じ歳ぐらいです。その後、中年になったケーンも演じていますが、額が禿げあがったメイクをしています。
ケーンばかりでなく、ケーンの周りで生きた人間も同じように歳をとり、同じ俳優が演じるのですから、それぞれが歳をとったメイクと演技が求められます。
本作のエンドクレジットが始まる直前、本作で演じた俳優のほとんど(あるいは「すべて」)が、本作で初めて演技をしていると紹介しています。
全米の注目を浴びた伝説的な人物のケーンが死に、彼の伝記映画を作ろうという人間が集まり、ケーンが残した「バラのつぼみ」をキーワードに、彼の周りにいた人間を捜しては訪ね、話を聴き出す形で、作品は展開されていきます。
少年時代のケーンを、雪深いコロラドから大都会へ連れ出した銀行家のサッチャーから取材を始めようとしますが、断られます。そこで、サッチャーのための図書館へ行き、厳重な監視の下、残された記録から、当時のいきさつを確認します。
ケーンの両親は、サッチャーに息子を預ける場面にしか登場しません。
どうして、息子を銀行家に預けることになるのか、作品でさらっと見ただけではわかりにくい(?)かもしれません。私も一度ではよくわかりませんでした。
そこで、その場面をもう一度再生し、ようやくつかめました。
ケーンが育った家は、「ミセス・ケーンの宿」という小さな宿屋をしています。この宿屋を利用したひとりが、代金が払えず、代わりに、持っていた証書を残したらしいです。
それは鉱床の証書で、そこからは天然資源が採掘されるのだろうと思います。権利の手続きと管理が、地方に住む個人には手が負えないだろう、と世界有数の銀行が乗り出し、管理を引き受けることになったようです。
その契約のためにケーンの家を訪れたサッチャーが、少年だったケーンに会い、将来を見込み、都会で勉強させたいと両親に申し出たのでしょう。
父親は最後まで反対します。しかし母親は、証書の権利が自分にあることを盾に、息子を銀行家に預けることに決めます。母親は一度も笑顔を見せません。
ケーンは、母の温かい愛情を知らずに育ったのかもしれません。
銀行家は、ケーンの両親に障害に渡って毎年5万ドル支給し、両親が亡くなったあとは、子孫へ同額を支給し続けることを約束します。
ケーンの母が権利を持つ鉱床から得られる財産は、銀行が信託で運用し、管理するとされます。そして、ケーンが25歳の誕生日の日、全権利をケーンに渡すことが約束されます。
というわけで、ケーンは自分の与り知らないところで自分の運命が決まり、25の年に、世界で6番目(だったかな?)の莫大な資産を手にするのです。
ケーンは金に頓着がなく、唯一興味を持てた新聞の出版に乗り出すというわけです。
女性に関しても、計算高いところがありません。
初めての結婚は、相手に米大統領の姪を選んでいますから、その段階では、充分に計算高かったといえます。しかし、その妻とは幸せな結婚生活が送れず、結婚後1カ月にして、朝食のときしか顔を合せなくなります。
メディア王となったケーンは、ある夜、スーザンという素性もよくわからない若い娘に出会います。
出会いの場面が印象的です。
雨が上がった街角にケーンがひとりで立っています。ずぶぬれで、顔にはなぜか泥がついています。ケーンを見て、スーザンが笑っています。
笑われたケーンは、なぜ笑うのかと訊きます。スーザンはそれには答えず、歯が痛いといい、また、笑います。
スーザンが暮らす下宿が、ケーンの立っていたところにあり、スーザンは、お湯が使えるから、顔の泥を拭けばと中に入れます。
ケーンはスーザンに、どんな仕事をしているのか訊き、パブで楽譜の担当をしていると答えます。
スーザンの母は、自分の娘をオペラの歌手にしたかったといいますが、スーザンは、自分の声はオペラには向いていない、と話します。
メディア王のケーンを知らぬ者はいないはずですが、スーザンはケーンを特別な人とは見てもいません。あっけらかんと話すスーザンに、ケーンはおそらく一目惚れをしたのでしょう。
母の愛情を知らずに育ったケーンが、初めて身近に感じた女性がスーザンだったかもしれません。
ケーンはスーザンをオペラ歌手に育て、彼女のために歌劇場を建設してしまいます。
しかし、当人がわかっているように、スーザンにはオペラ歌手の素質がなかったのでした。それでも諦めないケーンに励まされ、オペラの舞台に立ちますが、酷評の的にされるだけでした。
ケーンが死の間際に残した「バラのつぼみ」にはどんな意味があったのか。
それは、本作を見て確認してみてください。
そういえば、今週の土曜日に放送される「刑事コロンボ」は、シリーズ44作目の「攻撃命令」です。
この回は『市民ケーン』の要素が散りばめられていることで知られます。