安倍晋三元首相(1954~2022)が銃撃されて亡くなったことで広がった波紋が、なかなか小さくなりません。
事件が起きた直後は、現場の状況が錯綜し、多少は事実と異なる報道があっても致し方ない面がなくもありません。しかし、事件からある程度時間が経った今になってもなお、事実かどうか疑われるようなことが報じられるのはいかがなものでしょうか。
本日のYahoo!に上がっていたスポーツ報知の記事にも、にわかには信じがたいことが書かれています。
あとになってほぼ確認されたのは、銃撃された直後から、安倍氏は心肺停止の状態にあったであろうことです。私に無責任な書き方を許してもらえれば、安倍氏はほぼ即死の状態で、手の施しようがなかったのであろうと考えます。
銃撃されたのが午前11時半頃で、正式に死亡が発表されたのは午後5時3分です。約5時間半にわたり、銃撃直後の心配停止の状態が続き、それでもなお、意識を取り戻すための措置を続ける、というのは、一般的には考えにくいです。
そんなことを考えているときに飛び込んできたのがスポーツ報知の記事です。
同記事によれば、事件の一報を受けて東京から奈良に飛んだ安倍昭恵夫人(1962~)が、処置室に到着するのを待っていたかのように、昭恵氏が安倍氏の手を握ると、死んでいるはずの安倍氏が、握り返した、というのです。
亡くなった男は、その瞬間だけ奇跡的に蘇り、妻の手を握って最期の別れをした。
小説や映画の世界でなら、こんな描き方をしかねません。しかしそれが、現実的に起こったといわれても、私は信じる気にはなれません。
この話の出元は、安倍氏の後継を狙うと目されている高市早苗氏(1961~)です。
高市氏によれば、昭恵氏が喪主の挨拶で、事実ではないかもしれないエピソードを挨拶に盛り込んだそうです。
記者がこの話を記事にするのなら、それが本当であることを確認しなければなりませんが、昭恵氏にしかわからないこととはいえ、記者が昭恵に確認するわけにもいかないでしょう。
そうした場合は、そのようなことが本当に起こるだろうかと考え、記者が常識的に判断するしかありません。
この話の鍵となるのは、安倍氏が搬送された奈良県立医科大に昭恵氏が到着するまで、延々と生命維持処置を続けさせたのは正しいことだったのか、ということです。
担当にあたった医師は、記者会見で記者たちのさまざまな質問に答えました。医師としても、本心では、口にできないような葛藤があった(?)かもしれません。
何らかの事件に一般庶民が巻き込まれ、現場でほぼ即死状態であることがわかれば、駆けつけた救急隊員によって死亡が確認され、病院へ搬送しない判断をすることもある(?)かもしれません。
安倍氏は体内の出血が酷かったため、通常では考えにくい、約13リットルもの輸血(約2~3人分の量)が続けられたと伝えられています。
そうした話を聴くにつけ、安倍氏の死は悼みつつも、安倍氏に採られた対応が正しかったのか、と疑問を持つ人もいるでしょう。
その疑問を晴らすため、昭恵氏の手を安倍氏が握り返した、と高市氏が記者に漏らして記事にさせ、それ以上の議論を封じたと考えられなくもありません。
新聞社のサラリーマン記者も、建前上はジャーナリストです。であるなら、聴いたままをそのまま記事にするのではなく、本当にそんなことが起こり得るのだろうか、ぐらいのことは考えて欲しいです。
そして、少しでも疑問に感じることがあれば、それを高市氏にぶつけてみてください。
今回のようにショッキングな出来事のあとは、美談で真実が歪められることがまま起こります。
ともあれ、高市氏が持ち出した話を契機に、事件のあとに安倍氏に採られた対応が理に適ったことだったのか、を考えてみることは無駄ではありません。