レコーダーに録りっぱなしになっていた古い映画を見ては、本コーナーで紹介を続けてきましたが、昨日見たのは、1933(昭和8)年公開の作品です。
映画はずいぶん昔からあるように感じますが、意外と歴史は長くありません。百年前は、映画のほぼ黎明期になってしまいます。
ということで、1933年に作られた作品は、現代の作品とはかなり趣を異にします。もっとも、当時であっても、「真面目」に作られた作品もあるでしょうが、昨日見た作品は、「不真面目」に徹しています。
原題は”Duck Soup“で、鍋に生きたアヒルを何羽も入れ、下から火で炙る映像に、タイトルが表示されます。
当時も、さすがに、そのまま生きたアヒルたちを熱湯で茹で殺すようなことはしなかったでしょうが、現代では試みないような描き方で作品が始まります。
“Duck Soup“を邦題は『吾輩はカモである』としています。
「吾輩は」、と聞きますと、多くの日本人は、「猫である」と条件反射してしまうでしょう。文豪、夏目漱石(1867~1916)の作品の『吾輩は猫である』の作品名が頭に浮かびます。
漱石の作品が発表されたのが1905年から1907年ですから、「吾輩は〇〇である」の特許があるとすれば、漱石の特許になりそうです。
今回の『吾輩はカモである』の邦題をつけた人も、漱石の「猫である」から「カモである」を思いついた(?)のかもしれません。
「カモである」の舞台は、フリードニア共和国という架空の国です。同国は財政難で、発言力のある女性が、わが国には新首相が必要だとして、ルーファス・T・ファイアフライが新首相に任命されます。
それを演じるのがマルクス兄弟の長兄、グルーチョ・マルクス(1890~1977)です。
ネットの事典ウィキペディアで本作について調べると、本作でデタラメなことをする連中は皆マルクス兄弟であることがわかります。
「デタラメ」なんて言葉では到底表せないほどの「デタラメ」ぶりです。作品は1時間10分ですが、はじめから終わりまで、絶するほどのデタラメさで描かれています。
散々デタラメなことを作品の中でしておきながら、ルーファス首相を演じたグルーチョ・マルクス自身、本作を「狂気が過ぎている」として、失敗作とみなした、とウィキペディアに書かれています。
マルクス兄弟の長男のチコ・マルクス(1887~1961)と次男のハーポ・マルクス(1888~1964 本作では一言もしゃべりません)が、レモネード売りの男を延々とからかう場面があります。レモネード売りは、大きな体で、頭のてっぺんが禿げています。
チコリーニ(チコ)とピンキー(ハーポ)はいつも帽子をかぶっており、レモネード売りが被っている帽子と、次々にひょいひょいと帽子を交換し、レモネード売りをイライラさせます。
文字で書いても、動きの面白さは表せません。動画で見てもらうほうがはやいです。動画を埋め込もうと思いましたが、埋め込めない設定になっています。
下のリンクから動画をご覧ください。レモネード売りだったら、怒りで頭が爆発しそうになるでしょう。
ルーファス首相そうっくりに変装した兄弟のチコリーニかピンキーのいずれかが、鏡に映っているように錯覚させようとする場面は秀逸です。これも、動画で見てもらうのははやいです。
よくできた場面を拾うと、よくできた作品に思えてきます。ハナ肇とクレージーキャッツやザ・ドリフターズはマルクス兄弟の影響を受けた、とウィキペディアにありますが、大いにありそうなことです。
更新しているうちに、本作は得難い作品のように思えてきました。面白い場面を抜き出して見たら、本作以上に楽しめる作品は、そうそうなさそうです(?)。