今年の大型連休期間中、ある番組が放送され、それを録画しました。NHK BSプレミアムで放送されたのは5月2日ですが、私は、1カ月以上あとにようやく録画してあったその番組を見ました。
ですので、そのことについて今書くのは、盛り上がった祭りの思い出話を、祭りの記憶が皆から薄れた頃にするようなもの(?)かもしれません。
今回私が見たのは、沖縄が本土に復帰して50年を記念して作られたドキュメンタリードラマの「ふたりのウルトラマン」です。
ウルトラシリーズを同時代に知る私は、タイトルを見て、どんなことが描かれているか、だいたい想像できました。それで、番組が放送されることを知ると忘れずに録画しました。
しかし、だいたい想像できる内容であったため、急いでみる必要もないと考え、これまで先延ばししていました。
番組は、ウルトラシリーズの製作に関った若者の姿をドラマ仕立てで見せ、その合間に、当時の監督や脚本家など関係者に話を訊く作りになっています。
ウルトラシリーズで脚本家デビューをした上原正三(1937~2020)を狂言回しに使い、上原も関わった番組作りや、一緒に働いた若者たちを描いています。
ドラマで上原の役を演じた俳優を私は初めて見ました。あとで調べると、佐久本宝(1998~)という俳優のようです。沖縄から東京にやって来た地味な男を上手に演じています。
上原を東京に呼んだのは、同じ沖縄出身の金城哲夫(1938~1976)です。金城については、本コーナーで昔取り上げたことがあります。ウルトラシリーズを語る上では欠かせない、伝説的な人物です。
金城について書かれた文章を読んで、彼のことはそれなりに知ったつもりになっていましたが、ドラマで描かれたことで、より彼を知ることができました。
映画『ゴジラ』(1954)を監督したことで知られる円谷英二(1901~1970)の三男、円谷粲(ぶつらや・あきら)氏(1944~)の証言だったと思いますが、上原は神経質な性格で、金城は豪放磊落(ごうほうらいらく)だった、とふたりの印象を端的に語っています。
金城哲彦をドラマで演じているのは満島真之介(1989~)です。この俳優の演技も初めて見ましたが、エネルギッシュに演じていて、好感を持ちました。
若者たちのリーダー役は、円谷英二の長男の円谷一(1931~1973)です。ウィキペディアで検索して初めて知りましたが、一は41歳の若さで亡くなっていたのですね。
そう思ってドラマを見ると、ウルトラシリーズで一所懸命に生き、死んでいったように感じます。
一をドラマで演じているのは青木崇高(1980~)という俳優ですか。今の日本のドラマをまったく見ない私には知らない俳優ばかりです。親分肌の一を良く演じています。
ドラマに関していいますと、撮り方が物足りなく感じました。
私は米国の『刑事コロンボ』シリーズなどを見慣れているせいか、日本のテレビ局が作る最近のドラマの撮影の仕方が物足りなく感じてしまいます。
たとえば、10人ぐらいの番組スタッフが、ひと部屋に集まり、それぞれに考えることをいい合うシーンがあります。そのシーンの撮影は、初めてビデオカメラを渡された人が、しゃべる人を手持ちのカメラで順に撮影しただけのように見えてしまいます。
同じ脚本であっても、米国のドラマで撮影をする人が撮れば、まったく違った撮り方になったでしょう。
数日間の出来事を描いたドラマならばわからなくもないですが、数年にわたることを描いています。
演出していて気がつかなかったのでしょうか。
カメラといえば、今回、ウルトラシリーズ初の作品となった『ウルトラQ』(1966)について書いたウィキペディアで読んで初めて知ったことがあります。
それは、『ウルトラQ』が、日本のテレビドラマの撮影では一般的だった16ミリフィルムではなく、映画用の35ミリフィルムを使ったことです。
番組を監修する円谷英二が、特撮を撮るには、光学合成がどうしても必要で、それは16ミリフィルムでは難しいということから35ミリフィルムが採用されたそうです。
しかし、16ミリに比べれば35ミリの方が費用が嵩みます。そのため、次の作品の『ウルトラマン』(1966~1967)からは、本編は16ミリで撮り、特撮シーンだけを35ミリで撮影したそうです。
夢を描く映像作品はお金がかかります。特撮であれば、それが限りなく膨らみます。
巨大な怪獣が人間の街を破壊するシーンを描くためには、ミニチュアのセットを作らなければなりません。そのセットは、特撮の撮影で、あっという間に破壊されます。次の撮影のため、新たにミニチュアのセットが製作されます。どれだけの労力と時間がかかったでしょう。
当時の子供たちの間に怪獣ブーム(第一次怪獣ブーム)を巻き起こしたウルトラシーズですが、制作する円谷プロダクションの経営が早晩、苦境に陥りであろうことが想像できます。
金城哲夫は沖縄に戻り、沖縄海洋博覧会(1975)の仕事で、本土と沖縄の懸け橋になろうとします。しかし、沖縄の人たちは海洋博に否定的で、海洋博の仕事をする金城は、裏切り者に見られた(?)かもしれません。
苦しむ金城は深酒をするようになります。その日、金城は、自宅の離れにあった仕事場に入ろうとして二階から足を滑らせて転落し、絶命します。享年は37歳でした。
ドラマから離れて、高齢まで生きた上原正三が、金城の仕事場を訪れるなど、ドキュメンタリー風に描かれた場面に登場します。
私はそれを見て、てっきり、上原本人と思ったのでした。その人がはじめて映った時、「初めて本人を見たけれど、俳優の平田満(1953~)に似ているな」と思いました。
ドラマでも地味な男に描かれた上原は、本人も静かな男に見えました。澄んだ目が印象的です。
番組のラスト、『ウルトラセブン』(1967~1968)のタイトルバックを模した形式で出演者とスタッフなどが紹介されました。
それを見ていて、出演者の中に平田満の名があるのに気がつき、その時になって、上原を平田が演じていたことに気がついたのでした。
すっかり私が騙された(?)くらい、平田は名演技をしたといえましょうか。