百年前を、大昔と考えるか、それとも、それほどの昔でもないと考えるかは人それぞれです。
日本でラジオの放送が始まった年を正確にいえる人は多くないかもしれません。ネットで調べればすぐわかることですが、調べずに、自分の知識として披露できる人は少ないでしょう。
私も知識を持っておらず、テレビに比べれば長いくらいの感覚でしかありませんでした。
こんなことを考えたのは、私がこのところ好んでしています、自分の声を録音し、それを自分で聴くことをしたことによってです。
自分の声を録音するためのテキストとして利用しているのは、江戸川乱歩(1894~1965)が残した随筆です。今回も、『探偵小説三十五年』にあった随筆を録音のテキストに使い、それを読みながら、ラジオの放送が始まった年が気になりました。
今回朗読して録音した音声ファイファイルを下に埋め込んでおきます。
今回の録音は、オーディオインターフェースを介してPCに接続したMXL-V67というコンデンサーマイクを使って吹き込んでいます。
やはり、このマイクを使った録音の声が、低音をしっかり拾い、私が持つ録音条件では、もっとも良いように感じます。
録音に使ったソフトは、iZotopeのRX 9 Standardです。このソフトは、32bit floatで録音でき、録音したあとに、最適な音量に、音を劣化させることなく、変更することができます。
ほかに私が使うスタインバーグのWaveLab Castというソフトも、32bit floatで録音できます。
録音した私の声を、今回は、WaveLab Castで声の大きさを変更しました。それについては、本コーナーで一度書きましたが、同ソフトは、ネットのさまざまな音声を伴うコンテンツのアップロード先に適した音量にすることができるプリセットが用意されています。
その中から、“Apple Podcast”はアップロードするのに最適な音量になるように設定されたプリセットを選び、それに沿った音量に変更しました。
私が朗読したのは、昭和31年11月に書かれたものです。それが発表されたのが「ABC(朝日放送)」となっていますが、放送局が配った冊子か何かに収録された(?)のでしょうか。
この随筆では、乱歩が生まれて初めて、自分の声がラジオ放送にのったときの逸話を書いています。
それが放送されたのは、大正14年11月9日の夜です。さすがに、異常なほどの記録魔であった乱歩ですから、日付までしっかり記録に残しています。
大正14年といえば、乱歩が探偵小説作家を決意して上京する前年にあたりましょう。当時はまだ大阪に住んでいましたが、何かの用で上京した乱歩に、ラジオ放送出演の依頼があったようです。
依頼してきたのは、今のNHKにつながる社団法人東京放送局(JOAK)で、依頼主は長田幹彦氏です。
はじめは何の知識もなく朗読し、「長田」を「ながた」と読むのか、それとも「おさだ」なのかもわからず、「おさだ」だろうと見当をつけて読んでしまいましたが、調べてみて、「ながた」が正しいことがあとでわかりました。
それぐらいですから、私は長田幹彦(1887~1964)を存じ上げませんでした。長田はJOAKの職員ではなく、小説を書いたり作詞をするのが氏の本業でした。
ネットの事典にある長田についての記述に目を通すことで、日本のラジオ放送が大正14年に始まったことを知りました。
日本でラジオ放送が始まった頃について、ウィキペディアには次のように書かれています。
1925年、ラジオ聴取契約者は東京13万1373、大阪4万7942、名古屋1万4290件、受信機は鉱石式10円、真空管式120円。
長田は、始まったばかりの新しいメディアに、創作家としていち早く携わったようです。
大正14年といえば、乱歩が随筆に書いたラジオ出演した年ではありませんか。乱歩は、ラジオ放送が始まって2、3年頃のことと書いていますが、実際には、放送が開始された年のことでありました。
乱歩が、先の大戦の前後で、人がまるで変ったことは本コーナーですでに書きました。戦前は人嫌いで、他人との交流を避けるようなことが多いです。
それが戦後になると、人の集まりにも盛んに参加するようになります。新しく生まれたメディアにも積極的に参加し、ラジオやテレビにも数多く出演しています。
そんな乱歩が、生まれて初めてラジオで自分の声が流れたときの思い出話です。
長田に頼まれ、出演を受けたものの、根に心配性のところがありますから、それが影響したのかもしれません。放送が迫ると、熱を出し、とてもスタジオには行けない状態になってしまったようです。
録音などない時代ですので、放送はすべて生放送です。体調が悪いことを理由に断ったものの、どうしても出てくれと頼まれ、毛布で体を包んで、車でスタジオへ行ったようです。
看護役の友人と一緒に行ったと書いていますが、もしかしたら、そのとき付き添った友人というのは、関西で一緒に活動をしていた、乱歩にとっては可愛い弟分ともいえる横溝正史(1902~1981)ではなかろうか、と私は勝手な想像をしてみました。