ここ数日は、江戸川乱歩(1894~1965)の作品に接することが多くなっています。
昨日は、Amazonが提供するオーディオブックのAudible(オーディブル)で、乱歩の『押絵と旅する男』(1929)を再読、といいますか、正確には、専門家が朗読する作品を耳で楽しみました。
この作品は章に分かれていないため、ひと続きで聴くことになります。
本筋から離れて、Audibleのサービスに注文をひとつつけておきましょう。
作品に章が設けられているのであれば、ひとつの章が終わったところで、朗読の再生が停止する仕組みにして欲しいです。今はそれが、章が終わっても朗読は終わらず、続けて次の章の朗読が始まってしまいます。
朗読を続けて聴くのならそれでもかまわないでしょうが、そうでないときは、区切りの良いところで一旦聴くのを停止したいことがあります。それだから、章ごとで朗読が自動で停止してくれると扱いやすいです。
同じような意味で、ある作家の作品集にいくつも短編小説が収録されている場合も、各作品の朗読が終了したら、そこで一旦、朗読を停止して欲しいです。
特に、作品集の場合は、すべの作品を朗読で楽しみたいと思わないこともあります。自動で停止しなくても、自分で朗読を途中で止め、聴きたい作品を目次で選び、初めから聴くこともできます。しかし、自動で停止してくれれば、余計な手間が省けて楽です。
と本日分の内容には関係のない注文をつけました。
乱歩の作品集で昨日楽しんだのは『押絵と旅する男』です。本作を読んだことがある人には、説明の必要がありませんね。これは、文章で書かれた世界だから受け止められる話といえましょう。
ネットの事典ウィキペディアで確認すると、本作は一度だけ映画化されていますね。私は見たことがないですが、本作は、文章で楽しんでこそと思います。本作が持つ味わいは、文章の世界だけで許されることで、眼に見える映像にしたら、無理が多すぎるでしょうから。
本作が発表された年を確認すると、昭和4年です。乱歩が探偵小説家になることを決心して東京へ出たのが大正15年、すなわち昭和元年ですから、その3年後のことになります。
乱歩は、3年経っても、自分が書いた作品には自信を持てずにいたのでしょう。
本作の発表までには、紆余曲折がありました。それについては、乱歩自身と、乱歩にとっては弟分(?)の横溝正史(1902~1981)が、随筆にして残しています。私はいずれも読んだことがあります。それについては、本コーナーで取り上げています。
乱歩は、先の大戦の前後で、人柄が百八十度変わります。戦前は徹底した人嫌いで、自己嫌悪の塊でした。それもあって、職業を転々と変え、小説家になってからも、発表した自作に嫌悪し、作品が書けなくなると、犯罪者にでもなったように、人々の前から己の姿を隠し、旅から旅の生活などをしています。
家を飛び出してはみたものの、どこといって行くあてはありません。列車の座席に座り、どこまでもどこまでも乗っていき、駅に降りることをせず、そのまま同じ列車で帰って来るようなこともしたかもしれません。
その時期、乱歩はふと、日本海に面した魚津へ蜃気楼を見に行っています。実際に蜃気楼を見たのかどうかはわかりませんが、このときの体験が本作に活かされているとされています。
乱歩が探偵小説家になることを決心して東京へ出る時、関西で英米を中心とする探偵小説の愛好家仲間だった横溝正史を誘っています。横溝はそのときのことを自身の随筆で「乱歩にそそのかされた」というように書いています。
まだ小説家になっていなかった横溝の面倒を見て、乱歩は横溝を『新青年』(1920~1950)という探偵小説を中心に扱うことになる雑誌の二代目の編集長に斡旋しています。
横溝が『新青年』の編集長をしていたとき、乱歩はスランプだったのでしょう。書かなければならない原稿を抱え、それでも書けず、あとは行方不明になるより仕方がなかったのかもしれません。
横溝は、編集長として締め切りに追われ、行方を捜した末に、乱歩から愛知県内の宿屋で原稿を受け取る話をまとめます。その宿屋は、乱歩がよく利用した大須ホテルでした。
乱歩が横溝に渡すつもりになっていたのが『押絵と旅する男』でした。しかし、それを世に出す自信をなくした乱歩は、せっかく書き上げた小説の原稿を、宿の便所に棄ててしまったのでした。
それを聞かされた横溝の心中はいかばかりであったでしょうか。
その後、乱歩は思い直して『押絵と旅する男』をもう一度書き、それがのちの世に残る作品となりました。乱歩としても、本作の出来栄えをあとになって認め、自作の中ではよくまとまった短編小説としたそうです。
当時の心境がわかるのは、乱歩が異常ともいえるほどの蒐集魔だったからです。乱歩の蒐集で特徴的なのは、自分に関するものだけを熱中して集めることです。
乱歩は、新聞に載った自分に関するものはことごとく切抜き、それが貼れる大きさであれば、大型のスクラップブックに貼りました。そのようにしてできたのが、乱歩にとっては日記代わりの貼雑年譜(はりまぜねんぷ)でした。
同じような貼雑帳は何冊も作り、それを基に、回顧録の『探偵小説十年』『_二十年』『_三十年』『_三十五年』を書いています。
回顧録と随筆、評論をまとめた『江戸川乱歩 電子全集』がAmazonの電子書籍のKindle版で5冊出ており、私はすべてを手に入れ、順番に読んでいます。今は、5冊目の途中です。
もっとも、AmazonのKindleにしろ、電子書籍版は活字の大きさを自分で変えられるため、活字が大きければページ数が増え、小さければ少なくなるといったように、ページ数は一定ではありません。
私は紙の本と同じぐらいの活字の大きさにしていますが、全集の5冊目のページ数は2457です。他の4冊も同程度であろうと思います。この全集の文章量がいかに多いかわかってもらえるでしょう。
途中で書いたように、先の大戦の戦争中から、乱歩は人間がガラリと変わり、人付き合いがよくなりました。そうなった理由は、戦争中に隣組の役員に任命されたことです。戦争中のため、人嫌いといっていられなくなり、組合の会合にも顔を出すようになり、他人と接することが嫌でなくなり、楽しみにさえなっていった結果でしょう。
しかし、個人的には、人嫌いだった乱歩が好きだったので、戦後の乱歩には、正直なところ、興味を持ちにくいです。
それでも、5冊目の全集も目を通すことをしています。
乱歩が小説を書き始めた頃は、自分たちを「探偵小説家」としていましたが、戦後のある時期から、「推理小説」と乱歩が自分の随筆でも書くようになります。
気がつけば、乱歩は推理小説界の大御所になり、後輩の育成や、推理小説の繁栄を願う立場になりました。若い頃には嫌った(?)かもしれない権威に乱歩自身がなってしまったというわけです。
その頃に乱歩が書いた随筆の一部を朗読し、音声ファイルにしてみました。
朗読したのは、乱歩が編集長をした時期がある『宝石』(1946~1964)の昭和33(1958)年5月号に載せた随筆「内外切抜き帳」の前半部分です。朗読部分には、乱歩と入れ替わるように登場してきて、乱歩に推理小説といわせるようになった松本清張(1909~1992)が書いてベストセラーになった『点と線』(1958)『眼の壁』(1957)について書いています。
ほかには、江戸川乱歩賞を受賞した仁木悦子(1928~1986)と仁木の作『猫は知っていた』(1957)が話題になったことを書いています。
私は未だに、自分の朗読をZOOMのフィールドレコーダーのF2で録音しては、自分で自分の声を聴くような愉しみを続けています。
ただ録音して楽しむだけでなく、どうやったら、手軽により良い声を録音できるか、試したりしています。
今回の録音に使ったマイクは、F2に付属するラベリアマイク(ピンマイク)ではありません。audio-technicaの“AT9912”という極小マイクです。
このマイクでの録音は何度か試していますが、付属の風防がスポンジでできており、息の「吹かれ」を拾い、気になる音が発生してしまうのが気になりました。そのため、朗読の録音にはその後使わずにいました。
それをもう一度持ち出しました。風防はそのままにして、ピンマイクを使うときのように、マイクを付けたF2を手で持ち、マイクを上に向けたまま、あごの下10センチぐらいのところに固定して朗読してみました。
その結果は満足できるものでした。あごの下ですから、ピンマイクと同じように、息がマイクに直接吹きかかることがありません。考えてみれば当たり前のことで、あとになってみれば、コロンブスの卵のようなものです。
AT9912をつけたF2を手で持つため、長い時間の声の録音は疲れそうですが、短い時間であれば、手軽に朗読の録音に使えそうです。
ま、こんなことがわかっても、物好きな私以外の人には、利用価値のない「情報」かもしれませんけれど。