私がよく見ている番組に「真剣10代しゃべり場」(NHK教育/土曜21:00~21:55)があります。
昨日放送された回は、現メンバーにとって最後の出演ということから、「しゃべり場第8期卒業スペシャル」として放送しています。
いつもは、討論の議題の提案者を「10代」に限っていますが、昨日は「かつての10代」ともいえる“大人道場破り”が3人登場し、それぞれのテーマに沿ってしゃべり場メンバーと熱い討論が戦わされました。
個人的な感想をはじめに書いておきますと、3人の“大人道場破り”の内、最後に登場された評論家の佐高信氏(1945~)は、「この人選はどうかなぁ、、、」と思わないでもありませんでしたが、ま、仕方ないでしょう。
ともあれ、この3人の内ではトップバッターで登場された千原ジュニア氏(1974~)のコーナーが、個人的な好みとしては、断然面白い出来でした。
提案者の千原氏についてですが、私は彼のことはよく知りません。お兄さんと共に千原兄弟としてテレビなどで活躍されている芸人さんだそうです。
千原氏は、ご自身の10代の頃のことも話されています。彼は学力優秀な子供たちばかりが集まる学校へ通わされていた時に、引きこもり状態になるようなことがあり、見かねたお兄さんに誘われるように芸人の世界へ引きこまれた経歴を持つようです。
千原氏の提案が「君ら(番組の参加メンバー)の言ってることはぬるい!」と刺激性の内容であったせいか、討論が始まると、メンバーから猛反発を食らう展開となりました。
私は千原氏のいわんとすることがわかる気で見ていました。
メンバーの反応の全部が全部反発ではなく、千原氏の意見に賛成する人もいました。一方、強い反発を持った人がいて、彼らに共通しているのはいわゆる世間的には「いい子」といわれるような子たちで、無難に生きていくことを望んでいる子供たちです。
千原氏自身が、好むと好まざるとに拘わらず、一般のレールからは逸れた生き方をしたこともあり、そうしたレールに沿った生き方を一番嫌っているように見えました。
こんなところへ出てきてごちゃごちゃいってないで、独りでとことん悩んだらいいやん!
そんな千原氏の持論に、東大に合格することが全てというような中学生の女の子が「でももし、悩んでも答えが見つからなくて、そのまま30歳とかになったらどうするんですか?」と疑問をぶつけました。
それに対し、千原氏はこう反論しました。
30になろうが、答えが見つかるまで独りで考えっとったらいいんや!
するとさらに、東大一直線の彼女は「でもそのまま一生を終えてしまってもいいんですか?」と食い下がります。
別にいいんちゃうの? たとえば、ロケットを研究している男がいたとしようか。その人は朝から晩までロケットのことばっかり研究しているわけや。でも、一生かかってもそのロケットは完成することがなくて、そのまま死んでしまったとしよう。でも、オレはその男のような生き方には美学があると考えるわけや。君はそう思わんか?
千原氏は思いがけずにメンバーの反発を買い、勢い余ってフライングした向きもないわけではありませんが、それでもこの言葉の中には彼の理想とする生き方が現れていると思います。
そうなんですよね。まだまだ中学生だというのに「目標は東大に合格すること」なんてあまりにも夢が小さすぎやしませんか? 今の時代、東大に合格したからってどうだというんですか? どれほどの意味がありますか? 同じ合格を目指すのであれば、世界の一流大学を目指すほうがよっぽど説得力があろうというものです。
そして何より、千原氏がおそらく嫌い、そして私も大いに嫌う「安全第一主義」という生き方です。
もちろん、世の中の人が全て“安全”を度外視した生き方をしていったら世の中が円滑に回らなくなってしまうでしょう。ただ、人生これからという子供たちが既に人生を達見したような安全策を口にするのを聞くと、正直ウンザリしてしまいます。
こうした考え方は、以前このコーナーでも書いた「泡沫傑人」の考え方にも結びつくように思います。
「泡沫傑人」を秋山祐徳太子氏(1935~2020)は 「目標があってそれに向かっているんだけど、どこかで人生が減速していっちゃう人」と定義し、独文学者の種村季弘氏(1933~2004)は「本気で一生を棒に振る人」と定義しています。
そこまでの意気込みのある人は実に稀で、だからこそ、泡沫は別にしても「傑人」なのだとは思います。
そうした生き方に“美学”を感じる人が実際にいる一方、その生き方を頭から否定し、「バッカじゃないの?」と思う人もいます。というより、後者が圧倒的大多数でしょう。こればかりは理屈が通る話ではありません。
で、私はどちらを選ぶかと問われれば、そうした生き方を実際に採れるかどうかは別にして、迷うことなく“泡沫”の生き方が美しいと思ったりしてしまうわけです。
今の日本は不景気といわれ、それでいいことは何もないと思われがちですが、バブル経済で沸き立っていた頃に比べたら精神面ではプラスの面が増えてきているのではないでしょうか。具体的には、バブルの頃には皆が皆同じ方向を目指して走っていたものが、それが弾けたことによって、同じ目標を持つ縛りが緩み、多様性が許される時代になりました。
皆と同じレールから逸れる“自由”も認められる時代になった、といういい方ができるかもしれません。
ちょっと斜(はす)な見方をすれば、今の日本の国を動かしている官僚は、いわゆる“受験戦争”を勝ち抜いたエリートです。しかし、その戦争に勝ち抜くためには“レール”を逸れることは許されず、きっちりと点数を稼ぐことが要求されます。でもそうして選ばれた人が果たして文字通りの優秀な「傑人」であるのかはわかりません。
今の日本のシステムでは、ひとたびレールを降りてしまった人に二度とチャンスは訪れません。しかし、今のシステムに疑問を感じてそこから降りる人の中にこそ日本をしょって立つ人材がいる、と考えるのは無理があるでしょうか?
「そこそこの点数を稼ぐ人は、そこそこの人間でしかない」というのが他人を計る私の目です。