本コーナーで何度も書いているように、私は昔から映像に強い興味を持っています。
そんな私ですから、映画やテレビ映画を見る時も、そうした目線で見たりしてしまいます。
以前、本コーナーで、アルフレッド・ヒッチコック監督(1899~1980)の『ロープ』(1948)という作品を二度ほど取り上げました。私はこの作品の、ストーリーはもちろんですが、撮影の仕方に興味を持ちました。
この作品は、友人を絞殺した二人の男子大学生が暮らすニューヨークのアパートが舞台です。タイトルバックを除き、カメラがそのアパートから外に出ることはありません。アパートの中の映像だけで完結しています。
そのアパートで、殺人のあとに、殺した友人の両親(母は風邪で来られず、代わりに母の姉がやって来ます)と友人、それから彼らの恩師(演じたのは、ヒッチコック作品の常連ともいえるジェームズ・ステュアート〔1908~1997〕)、彼らの家政婦だけでストーリーが展開されていきます。
作品の長さは80分です。タイトルの部分を除いた時間は、切れ目なく続くように作られています。1台のカメラで撮影されており、撮影に使うムービーフィルム1巻の長さに制限があるため、途中で撮影を止めても、観客に気づかれないように工夫して作られています。
実際の時間の流れを観客に印象づけるため、1台のカメラが演技者を写し続けることになり、演技者には、舞台で演じるように、失敗の許されない演技が要求されます。そしてカメラマンには、適切なカメラワークが要求されます。
私は自分でもカメラを道楽にしているため、カメラマンの立場で、どのようにカメラを操作しているかに興味が沸きます。
米国のテレビ映画『コロンボ』のシリーズが、毎週土曜日の夕方に放送されており、必ず録画しながら見ています。
この土曜日(12日)には、第3シリーズの最後を飾る『権力の墓穴』(1974)が放送されました。
コロンボ警部が勤務する米国・ロサンゼルス市警察でコロンボの上司にあたる次長が、友人が起こした殺人事件を偽装して、別の犯人の仕業に見せかける工作をします。その恩返しを友人に要求し、次長が自分の妻を入浴中に溺死させ、それをまた、友人の妻を殺した男のせいにする工作をし、友人にその協力をさせます。
本作は何度も見ていますからストーリーは頭に入っています。しかし、何度も見ていながら、今回、改めてあることに気がつきました。
それは、作品のほぼ前編が、アンダー気味の露出で撮影されていることです。昼間に撮影されていても暗いところでの撮影が多く、暗い部分は黒く沈んでいます。適正露出よりもかなりアンダーに見えるところもありました。
私は、米国のドラマにしても、昔に作られたものしか見ませんので、今のドラマがどうなのか知りませんが、昔の米国のドラマは、ムービーフィルムで撮影されています。『コロンボ』のシリーズもフィルムです。
日本のテレビ映画は、16ミリフィルムで撮影されましたが、米国では、テレビ映画にも、劇場映画と同じ35ミリフィルムが使われたと聞きます。
スティーヴン・スピルバーグ(1946~)が無名時代に撮った作品に『激突!』(1971)があります。
この作品は、テレビ映画用に作られたそうですが、面白さが話題を呼び、その後、劇場映画として上映されています。それができたのも、35ミリフィルムで制作されていたからです。
この作品に接するたび、モンスターのような巨大なトレーラーに終われるサラリーマンの緊迫感が、どうしたら表現できるのか、注意して見てしまいます。
本作の脚本を渡されて、本作と同じように撮れる監督が日本にいるでしょうか。
話が横道に逸れてしまいました。
この土曜日に放送された『コロンボ』は、前編が暗い絵作りでした。
犯人に仕立てられた男が住んでいることにされた部屋に警察が踏み込む場面も、絵は暗いです。
暗いから照明で明るくするのではなく、暗いところを暗いまま撮るというのは参考になります。
私は何も作品を撮るわけではありませんが、道楽で動画を作る時にこのテレビ映画を思い出し、それらしい撮り方をしたい、と考えてみたりしました。