本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新をしています。なお、トークは前日の夜に行っています。
今回は、本サイト内で私が作った動画中心に紹介している「私の動画アーカイブス」に新たに加わった動画を紹介するために更新をしていますので、文章だけの更新で済みそうなものですが、今回は無駄にトークで更新しています。
本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお読みになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。
なお、音声ファイルはmp3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができる、と思いますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ
トークを要約した書き起こし
今回も夜にトークをしている。まあ、夜といっても、外はまだ昼の明るさが残っている。それもそのハズ。いつも夜にトークをする時間より今回は1時間以上早いのだから。ちなみに、今日(12日)の東京の日の入りは【午後6時57分】。入り時刻はほぼ限界(私はよく記憶違いをするが、東京は【午後7時1分】ころが限界であったと記憶している)に近づいてきた。
今日、九州と山口県が梅雨に入った模様。関東地方もまもなく入ることになると思うが、今日はまだいい天気だった。午後6時すぎ、いつものようにこの時刻までに私は入浴と夕食を済ませているが、食事が終わったすぐあとということもあってか、私は汗をかきながらのトーク。部屋の温度計を見ると、【32℃】あたりを指していたので無理もないか。
今日の日中は、前日の夜に録音したトークを聴き返し、本コーナー用に文章に書き起こす作業をしたが、それを終えたあとに、もうひとつ、別のことに時間を費やした。
もうひとつのことというのは、木曜日(10日)にデジタルビデオ(DV)カメラで撮影してあったビデオの編集作業。
今回の撮影対象は、本コーナーで今月7日に更新した分に通じる機材。その回では、カメラで写真を撮影する際、その選び方次第で出来を左右する「露出」について語っている。
大昔、それを職業にする人だけが写真を撮影していた頃。構図とフォーカスは別にして、的確な露出で失敗のない写真を撮ることが職業写真家には必須の技術だった。時代は流れ、誰もが簡単に写真を撮れるようになった。今や携帯電話にまでカメラ機能が搭載され、街中で、カシャカシャと、あるいはピピッと写真を撮っている。
このように、簡単に写真撮影ができるようになったのは、カメラに内蔵された露出計の性能が向上し、失敗のない写真が撮れるようになったことが大きい。
それでもまだ、カメラに内蔵された露出計は完璧なものにはなっていない。本コーナーで露出について書いたときも触れているが、たとえば、夜空に浮かぶ月をオートで撮影すると、どのように失敗するか。
真っ暗な夜空の中で月だけが白く輝いているため、画面の中で面積の広い暗い夜空に露出が引きずられ、真っ白な月は、ハレーションを起こした白い発光体のように写ってしまう、だろうと思う。
ただ、最近はコンパクト・デジタルカメラ(コンデジ)にも超望遠で撮影できるズームレンズが搭載されているので、望遠にして月を画面いっぱいに撮影できる場合は、オートのまま撮影してもそれなりの月に撮影できるかもしれないが。
私は、フィルムの一眼レフカメラで写真を楽しんでいた頃に買い求めた単体露出計を持っており、必要な場面では今も重宝して使っている。
私は、この露出計を紹介する短い動画を作ろうと急に思い立ち、何の計画もないまま、木曜日にDVカメラをぶっつけ本番で回した。
動画の中でも説明しているが、私が今も使う単体露出計はミノルタ製で、カメラに内蔵されている露出計が「反射光式」であるのに対し、単体の露出計は「入射光式」。
上部についている、ピンポン球を半分にカットしたような、半透明の白い半円球部分で光を感知し、周囲の色などの影響をまったく受けることなく、その場の明るさを正確に計測する。デジタル表示された「絞り」と「シャッター速度」の組み合わせで撮影すれば、正しい明暗で撮影できる。が、露出が正確であれば“よい写真”になる、わけでもないところが悩ましい。
この露出計のビデオ撮影を終えたあと、「どうせだから、先月に手に入れたばかりの中古のデジタル一眼カメラ(デジ一)も紹介してしまおうか?」と考え、ほとんどつけっぱなしになっているカール・ツァイス社製の「プラナー 50ミリ」をつけた状態で、私の新たな愛器となったキヤノンのEOS 5Dの撮影もしている。
撮影の仕方はいつもと同じで実にシンプル。三脚にDVカメラを固定し、レンズの前でそれぞれの機材をいろいろな角度で撮影しているだけ。途中でDVカメラを一時停止させることもなく、ノーカットで撮影している。
また、撮影済みの動画は、編集段階でも途中でカットすることなく、ほとんど撮影したときの状態で紹介している。
動画の終盤でシャッター速度を変更し、最後は【1/400秒】にして終わっているが、その場面を解説もどきしている私は、勘違いして「ISO感度400」などといっている。これはビデオの撮影時に勘違いしていたことになり、単体露出計で計測した通りで撮影するのであれば、シャッター速度は【1/125秒】にすべきだったが、ISO感度【400】と勘違いしてしまっている。ということで、撮影とナレーション録り両方で勘違いしている。「一発撮り」や「一発録り」では、こうしたミスが生じやすいことの証明になってしまった。
あとはその“撮影素材”にタイトルとB.G.M.(今回の動画では、「TAM Music Factory」さんが提供されている素材を利用させてもらっていますm(_ _)m)を加え、解説もどきのナレーションを吹きこむだけ。
このナレーション録りも撮影と同じで、映像を見ながらぶっつけ本番で録音している。で、こうした作り方と通じるところがあるように思い、今日の朝日新聞の文化欄に載っていた映画監督としての北野武(ビートたけし)(1947~)の話をしている。
今回は、本サイト内で私が作った動画を中心に紹介している「私の動画アーカイブス」(※現在、このコーナーはありません)に新たに加わった動画を紹介するための更新で、そのことをトークで更新する必要もないのだが、文章だけで更新すると、決まり切ったような紹介になりがち。そこで、トークをすることで、自分でも気がつかなかったような切り口で紹介できるのでは? と淡い期待をしてトーク形式を採っている。
北野監督の話に戻すと、何でも今日から北野監督の最新作が劇場公開されるという。新作は『アウトレイジ』。監督はもちろん北野だが、脚本も北野ということになっている。ただ、最初から最後までたったひとりで仕上げたのか、私は以前から疑問に思っていたりする。
もしかしたら、本業のコントのアイデアを出すような感覚で、そのときに浮かんだ断片的なシチュエーションをスタッフに伝え、それをゴーストライターではないが、“ゴースト・シナリオライター”のような役目の誰かがまとめたのではないのか? といった気がしないでもない。いや、本当のところはわからず、私のまったくの当てずっぽうでしかないが。
それはともかく、今日の朝日新聞に載った記事に、撮影現場の話が載っている。役者にどのように演技をつけているのか、といったような問いに対する北野監督の答え。その部分に私は一番興味を持ち、トークの中で取り上げた。以下に北野監督の考えをそのまま抜粋させてもらう。
リハーサルはほとんどやらないんだ。自分が役者やってて何度も同じ芝居するのが嫌だから。一発勝負だと役者はヤケクソになるところがあってね。細かくリハーサルやるとセリフはきれいになるけど、迫力がなくなっちゃう。
映画の製作現場を取り仕切るのは監督で、その監督次第で制作のスタイルはいかようにも変わることになるのだろう。監督が役者の演技に何度もダメ出しをし、追い込んで追い込んで、せっぱ詰まった役者が最後の力を搾り出して演技したあとに監督からOKがかかる、といったような話はよく聞く。
むしろこれが演技指導の本流といえ、北野監督の「一発撮り」的な撮影スタイルは、特殊な撮り方といえそうだ。このスタイルを好む北野監督は、それまでのお笑い芸人的な感覚が影響しているのだろうと思う。
舞台でもテレビでも、1回ごとが勝負で、失敗したらあとがない。そのため、与えられたチャンスに自分を賭け、持っているものを全部さらけ出す。そうした状況下で自分の力を発揮してこそプロ、といった考えもあるだろうか。
また、ほとんどリハーサルなしで撮影することで、一期一会ではないが、そのとき限りのドキュメンタリーのような生の迫力を出すことができそうに、部外者の私は勝手に思ったりする。
こうした北野監督の考えに絡めて自分の制作態度もどきの話をすれば、本サイトのこの「気まぐれトーク」にしても、今回の動画のように、それに載せるナレーションもどきの録音にしても、すべてが「一発録り」。「口から出まかせ」ではないが、そのときに思いついたことをそのまま口に出してしゃべっているだけ。
テレビのドキュメンタリー番組などは、それぞれの場面にぴったりのナレーション作りに時間をかけ、それをプロのナレーターが読み上げて作品に仕上がるのだろう。これはこれで、きっちりとした作品作りには欠かせない行程だが、その一方で、北野監督が直感的に指摘しているように、必要以上にまとまりすぎることで、生の迫力のようなものを欠くことにもなりかねない部分はたしかにありそう。
まあ、私の場合はそこまで計算しているわけではまるでなく、練り上げる熱意も根気もないため、ダラダラと話すこと以外に採るべき方法がないにすぎないのだが。ただ、そうでありながら、百万分の一でも、それが「ぶっつけ本番」でしか出せない味のようなものになってくれたらいいと夢想したりはする。