今日の新聞には、「今も“燃える”ドラゴン」と見出しがつけられた記事が載っています。
「5年に1度」の割合でブームが再燃するというブルース・リー(1940~1973)について書かれた記事です。
のっけからですが、実は何を隠そう、私もブルース・リーのファンだったりします。でもって、まずは私が所有する「ブルース・リーのお宝」公開から始めましょう。

これはブルース・リーのシリーズ何作目に当たるんでしたっけ?
例のアメリカ資本によって作られ、全世界に一大ブームを巻き起こした『燃えよドラゴン』(1973)の制作が急きょ入り、それと重なるように制作された、ようにも記憶しているのですが、、、今となっては記憶が定かではありません…f(^_^;)
ともかくもその作品をビデオ、ではなく、8ミリ映画版で持っている点が多少の自慢の種です(^-^;
これをたまに、思い出したように、家庭用のスクリーン(120センチ×90センチ)で上映すると(実際は用意するのが面倒なのでなかなか見る機会がないです)、ブラウン管で見るのとは違って、それなりの映画館気分が味わえて悪くありません。
そんなブルース・リーですが、今回の記事によりますと、最初にも書きましたように、なぜか約5年ごとにブームが再燃するのだそうです。
彼自身は、その人気が頂点にあった1973年、突然のようにこの世を去っています。
ということは、死後およそ30年過ぎてもなお忘れ去られないどころか、ブームの再燃ごとに新たなファンを獲得していることになります。
彼が主演した作品の中で、『燃えよドラゴン』を別にしますと、『ドラゴン怒りの鉄拳』(原題/『精武門』1972)が傑作と評されていま。私自身もその意見には賛成で、その作品のDVDを持っていたりします。いい意味で香港映画らしい泥臭さがあり、『燃えよドラゴン』以上にブルース・リーの持ち味が良く出ています。
ところでこの作品なのですが、そこには日本人が悪役として登場します。作品の舞台は、1908年の上海です。
当地では、日本人が経営する虹口道場とブルース・リー扮する武道家・チャンも所属する中国武道の名門・精武館とが犬猿の仲にあります。そんなさなか、チャンの恩師が不自然な死を遂げるところから映画は始まります。
恩師の死に方に疑問を抱いたチャンは、死の真相が日本人が経営する道場側の陰謀であることを突き止めるや、容赦できず、独り極悪日本人道場へ殴り込みをかけます。
その後の展開はご想像通り、スーパー・ヒーローのブルース・リー扮するチャンが、襲いかかる日本人を次から次へと投げ飛ばします。
公開当時、日本や日本人への屈折した感情を抱いていたアジア圏の人々は、ブルース・リーが演ずるチャンの大活躍に喝采し、作品は公開された国々で大ヒットを記録することになりました。
そのニュースを聞きつけた日本の映画配給会社は、早速その試写を見ることになりますが、内容が内容だっただけに「日本人が悪役の映画は公開できない」と話に乗ることはありませんでした。
しかしその後、『燃えよドラゴン』が空前の大ヒットとなり、そのブームに乗る形で、後追い公開が決定していきます。
なお、『ドラゴン怒りの鉄拳』の主人公・チャンはラスト、日本の射撃隊に突進する形で終わります。
さらにまた、ブルース・リーが死去する直前まで撮影が続けられていた遺作『死亡遊戯』(題名からして因縁めいていますね)は、彼の死後、代役を使って追加撮影され、公開(1978)されますが、そのオープニング・シーンがこの『怒りの鉄拳』のラスト・シーンから始まります。
ブルース・リーの作品はどれもが単純明快な勧善懲悪で、それであるだけに、そこに登場するブルー・リーの生身の鍛えられた肉体が際立つ結果となっています。逆にいえば、彼の肉体を際立たせるためにストーリーが後からつけられている、といえなくもありません。
ともかくも、映画は時に観客に良くも悪くも影響を与えます。
それはブルース・リーの映画でも同じ、といいますが、その傾向大で、『燃えよドラゴン』が初めて封切られた当時は、興奮した見客が映画館のロビーで「にわかドラゴン」と化し、「アチョーーッ!!」という“怪鳥音”( ブルース・リーが相手と格闘するときに発する奇声)もろとも壁を叩き、蹴り、電話帳を引き裂いた、などのエピソードも残っているようです。
何はともあれ、気分が沈み込んだときなどは効果覿面で、ブルース・リーが活躍する映画を見ることによって不活発だったアドレナリンがにわかに活動を盛んにし、たちまち元気を取り戻せる、かもしれません。
ただし、興奮のあまり家の壁や障子を蹴破ったりしませんように(^_^;