本日は、前回の続きで、この土曜日に東京都美術館で見てきました映画『エルミタージュ幻想』について書いておきます。
この作品についての予備知識は、舞台がエルミタージュ美術館であること。もうひとつは、映画史上初の全編1カット撮影であることぐらいしかありません。
実をいって、私は見終えるまで、90分間が1カット撮影であるという謳い文句には半信半疑でした。
映像作品というものは、様々な長さのカット(cut:映画の構成単位。一つの連続した場面。また、それが写っているフィルム=広辞苑)の集合体で、それがたったひとつの、それも90分という、とてつもなく長いカットのみで出来上がっている、というのがにわかには信じがたかったからです。
第一、90分間を1カットで撮影できるムービーカメラなんてあるのでしょうか。いや、私の知識が及ばないだけで、本当にある、のかもしれません。
結論から先に書いてしまえば、謳い文句に偽りはなしで、90分間の1カット(タイトルを含めると96分)のみで出来ていました。この点だけに限っていえば、あとにも先にもこうした作品はなく、恐れ入りましたというよりほかにありません。
季節は冬。時代を感じさせる衣装に身を包んだ紳士淑女たちが建物に横付けした車から降り、地下通路のようなところへ入って行きます、だったかな? 自信はありません。ともかくも、そんなファーストシーン、というよりも、90分1カットの長いカットはそんな設定からスタートです。この先、カメラはどのような情景、人々の仕草や会話を見客に届けてくれるのでしょうか。
と、男のナレーションが聞こえ出します。いや、それはナレーションではなく、男のモノローグなのでした。
声の主は、アレクサンドル・ソクーロフ監督(1951~)自身なのであり(声自体というのではなく、設定の意味)、また、カメラが映し出す情景は、「監督自身の視点」であることに気づきます。
現代ロシアに生きるソクーロフが、どうした弾みか、現代と過去の時空間を行きつ戻りつしながら、エルミタージュという「美の迷宮」を彷徨うという設定になっています。
なるほど。であれば、納得です。ひとりの人間の視点から描こうとするなら、細切れなカットの集積は不可となります。人が見るもの聞くものはひと続き。それでこそリアルな表現となるのですから。
しかし、構想段階では考えても、それを実現するのには大変な苦労を強いられます。ど素人の私が想像しただけでも、1台のカメラが彷徨う館内の往く先々の群衆を寸分の狂いもなく演出するのに、どんな方法を採ったのだろう、と考えずにはいられません。
それもあって、たとえば、一瞬暗くなる回廊のようなところでは、実はそこでカメラを一旦止め、ひと呼吸を置いたのちに続きのカットへつないだのか、とも考えました。が、そうした小細工はしていないようです。
漏れ聞くところでは、テレビ放送が始まったばかりの黎明期には、今では考えられない、生放送のドラマというものがあったそうです。
また、外国ドラマの吹き替えを生で行ったりもしたそうです。これぞ、映画では実現できない臨場感に満ち、いい意味でスリリングな楽しみが持てたでしょうが、実際には、今では笑い話になるような失敗談も数多くあったようです。
理屈としては同じことを『エルミタージュ幻想』で実現していることになりますが、その完成度は完璧です。奇跡と呼ぶべきほどに。見客の目には、寸分の綻びも見せません。
人々の波に翻弄されるように迷い込んだ“迷宮世界”で、ソクーロフ監督の眼(=カメラ)は落ち着かな気に辺りを見回します。そして、その戸惑いをモノローグで発し続けます。
時代がかった衣装の紳士淑女の群衆に、「仮装大会でもしているのか」と結論をつけようとしますが、どうもそうではないようです。しかも、自分の姿が、彼らにはまったく見えていないことにも気づかされます。
そう。限られた時間、自分の意識が、その迷宮世界に漂うことを許されたのかもしれません。それにしても、その世界に知った者は誰ひとりといません。絶対孤独。とてつもなく不安です。
そんな彼に善き相棒が見つかります。同じようにして、この世界に迷い込んだと思われるひとりの男と出会います。ソクーロフには男の姿が見え、彼からも自分の姿は見えるようです。会話も交わせます。
ひょろりとした細身の男。歳の頃は、5、60代、いやもっといっているでしょうか。彼・キュイスティーヌ(=セルゲイ・ドレイデン)は、19世紀のフランス外交官らしいのですが、風貌は、小さく渦を巻いた長髪で黒いコートに黒いズボンと黒ずくめで、芸術家然としています。彼の発する言葉も、どこか謎めいています。
ともあれ、道行の相手が出来たのは心強いところです。彼の姿も、周りの人々には見えないようです。それもあって、彼の行動は大胆で、ソクーロフが「勝手に話しかけないで」「身体に触れないで」と注意しても、その注意を無視したりし、彼のあとを追いかけるのは骨が折れます。
エルミタージュ美術館は、現在の本館となっている冬宮がロマノフ朝時代の王宮であったのをはじめ、大小五つの建物で構想されており、正常な状態でひとり放り投げられても、迷い人になってしまうかもしれません。
そういえば、2年前に私が入院していた病院も、旧館に新館が増築、増築された背景があるため、入院患者の私でさえ迷子になりそうでした。それでなくても、私は方向音痴なのですからね。
私の注目は、同館が誇る「レンブラント・コレクション」がどのタイミングで出てくるかにありました。
レンブラント(1606~1669)の作品は、映画の後半、あるいは終盤近くで登場しました。私の記憶が正しければ、最初の一枚は『ダナエ』です。この作品が描かれたのは1646年から47年といいますから、レンブラント40歳頃の作品ということになります。
ギリシャ神話に題材を取ったこの一場面は、古くから多くの画家によって描かれてきました。「自分の娘ダナエが産む子の手にかかって死ぬ」という予言を聞かされた王は、娘ダナエを塔の中に幽閉してしまいます。そこへ、ダナエの虜が。
通例であれば、黄金の雨が描かれるところ、レンブラントの作品にはそれが描かれていないため、主題については様々に論議されてきたようですが、今ではダナエで落ちついているようです。
また、この作品は1985年、展示中に硫酸をかけられるという事件に遭遇しています。それにより、ダナエの頭部や身体に修復が困難なほどの損傷を受け、どこまで本来の原画が持っていた状態を取り戻すことが出来たか、気になるところではあります。
もう一枚、レンブラントの作品が登場します。ここでも私の記憶がどこまで確かであるかわかりませんが、映画の中で最後に登場した絵画こそが、レンブラントの名作『放蕩息子の帰還』ではなかったか? と思います。もっともこれは、私の贔屓目が多分に含まれていますが。
ここでは、老い先長くはない父親が、放蕩の末に戻ってきた我が息子を優しく迎え入れています。
ここでも、息子の背中に優しく当てた父親の両手が、その表情とともに、何とも感動的に映ります。概して、レンブラント作品に特徴的なのは、場面設定と描かれた人物が単純化されていることです。逆にいえば、説明的なものはすべて剥ぎとられています。
映画の場面は、大広間での舞踏会でクライマックスを迎えます。きらびやかな衣装に身を包んだ紳士淑女は、広間をあとにしていきます。いよいよ、ここまで共に彷徨ってきたフランス人外交官キュイスティーヌとも別れの時です。ソクーロフは名残惜しそうに、「さようなら、ヨーロッパ」と声をかけ、紳士淑女のあとを追います。キュイスティーヌを眼(=カメラのレンズ)でとらえることは永遠にありません。
私は映画の途中から、キュイスティーヌにひとりの日本人アーティストの姿を重ねていました。それは、横尾忠則(1936~)です。横尾のくしゃくしゃの髪型がまずダブったのと、あと、飛躍する思考にも妙に共通するものを私は感じていました。
そういえば、偶然ですが、今日の朝日新聞には、現在開催中の「ダリ回顧展」についての特集ページ(PRページ?)が組まれていますが、そこには横尾さんが30年前の夏のある日に体験したダリとの忘れがたい時間について、横尾自身の筆で綴られています。
時は1970年代の後半、スペインを車で旅していた横尾はダリ劇場美術館を訪ね、断られることを前提にサルバドール・ダリ(1904~ 1989)との面会を申し入れました。すると、「自宅に来てもよい」との信じられない返事をもらってしまったといいます。
半信半疑でダリ邸を訪れた横尾を待っていたのは「迷宮への扉」でした。すぐ邸内に迎え入れてもらえると思っていた横尾でしたが、それから待たされること4時間。さすがに腹を立てた横尾でした。怒りを露わにしたことがダリに伝えられでもしたのか、ほどなくして邸内へ入ることを許された横尾でした。
横尾は、アムステルダム市立美術館で開いた個展のカタログをダリに手渡しますが、「君の作品は嫌いだ」といって、ポイッと放り投げてしまったといいます。
ダリ邸で過ごした3時間。時に杖を横尾さんの鼻先に突きつけて、「グッドモーニング」といったりするなど、今振り返ってみても、どこまでが現実で、どこから悪夢なのか自分でもわからない、頭を混乱させる時間だったようです。
横尾が今は亡きダリの作品に接したとき、正直なところはどんなお気持ちなのでしょうね。
私がダリの作品を評価出来ない理由のひとつは、あまりにも説明的に思えることです。説明的なものを極力排除しようとしたレンブラントの対局に位置するように思えます。
小学生の美術の時間は、「図画工作」などといったりしますが、「図」と「画」は似て非なるものです。「画」が「絵画」であれば、「図」は「イラストレーション=イラスト」でしかありません。イラストでは、レンブラント作品に見られるような奥深さは到底表現できないのです。そして、ダリの作品が、私にはイラストにしか見えないのです。
ですから、もしダリに展覧会のカタログを手渡されたとしても、私は「君の作品は嫌いだ」と放り投げてしまうことでしょう。もっとも、自信家のダリのことです。そんな振る舞いをしたなら、杖で私の鼻先をグイグイ突くに違いありませんが。
ともあれ、「画」にアイデアはいりません。というより、邪魔なだけです。同じ理由で、アイデアを効かせた、たとえばルネ・マグリット(1898~1967)の作品にも、私は関心が持てないのです。
映画の終わり近く、私は奇妙な懐かしさに襲われました。舞踏会を終えた紳士淑女が、レンズ(=ソクーロフの眼)のほうに向かって階段を下りてきます。その顔、顔、顔を見ているうちに、自分の中に懐かしさがこみ上げてきたのです。
私は知らずに、2年前、病院に入院していたときのことを思い出していました。理由はわかりません。今もってわかりません。リンクしそうにない映画の一場面と入院体験が、理由もなくリンクしてしまったように私には感じられたからです。
その瞬間、私は懐かしさを媒介にして、ある種の幻想世界にいたのかもしれません。その気になれば、ソクーロフでなくても、キュイスティーヌでなくても、時空を軽々と超え、自由に、その時代の誰に気付かれることもなく、彷徨うことができるのかもしれません。
今度私が異次元を旅したとき、行き先々で、もしかしたらお会いするかもしれませんね。そのときはよろしく。