タイムマシンと遺産と男女の秘密

Amazonの電子書籍で阿刀田高1935~)の短編集『仮面の女』1987)を読みました。

私は本短編集を、該当する本であれば追加料金なしで読めるKindle Unlimitedで読みました。これを選択したのは11月27日です。そのときは、本短編集がそのサービスに適合していました。

今確認すると、それから外れてしまい、今は購入して読むしか手がありません。

該当するときにその手続きをしてあれば、その後にそれが切れても、手元に残してある本はその後も読めるようです。

本短編集には、次の10編が収録されています。

父殺しのパラドックス肉の影仮面の女裏切りの遁走曲
本番まで街の旅その遺産を捜せ歪んだ蜜月脳味噌の報酬

阿刀田の作品は何冊も読んできましたが、やはり阿刀田といえば、長編小説よりも短編小説の方が面白く読めるように思います。本短編集の題名だけ見て内容を思い出せるものもあれば、思い出せないものもあります。

1作目の『父殺しのパラドックス』は、主人公の男がタイムマシンで自分が生まれる数年前へ行く話です。本当にそんなものができたとして、過去へ戻った人間が、過去に起こることを変更したら未来の辻褄が合わなくなります。

仮の話、自分が生まれる前の自分の家へ行き、そこで、もしも両親のどちらかを殺したら、自分が現在の世界に存在できないことになります。もっとも、そんなことを過去でしたら、タイムマシンで過去へ戻って親殺しをする現在の自分も存在できないことになる、というパラドックスが生じてしいますけれど。

本作でも同じようなことが描かれます。しかし、その辺の事情を知る阿刀田は、矛盾が生じない工夫をしています。その工夫がどんなものかは、本作で確認してもらうよりほかありません。私がここで種明かしをするわけにはいきませんので。

8作目の『その遺産を捜せ』は、題名からだいたいどんな話なのか想像できるのではありませんか。

本作には、実に嫌なカップルが登場します。男は遺産目当てで、ある女に近づき、心巧みに女の警戒心を解き、結婚生活に漕ぎつけます。

女は両親を亡くし、ひとり残されています。女は幼い頃に悪性の病にかかり、足が不自由で、「踊るような歩き方」をすると阿刀田は書きます。そればかりでなく、元々は母親譲りに端正な顔立ちだったのに、ちょっとした不注意で左半面から首にかけ、火傷のあとが残っています。

女の父親は建築業で財を成します。女は父とふたり、女中を雇って暮らしますが、その後父が、悪性の胃がんで亡くなります。自分の死が近いことを悟った父は、娘のために残した遺産が、金目当てで近づく男に絡めとられないよう、娘にはよくいって聞かせ、世を去っていきます。

そんな女に、金目当ての男が近づき、結婚してしまいます。そのうえ、隠された遺産が他にあるに違いない、と愛人を持つ男は遺産捜しをします。その結果ですが、悪巧みをする男と女が

「あら?」

「あれ?」

阿刀田 高. 仮面の女 (角川文庫) (Kindle の位置No.2540). 角川書店. Kindle 版.

というような結末になっています。

9作目の『歪んだ蜜月』は、結婚して妻や夫を持つ人であれば、読み終わったあとに、何かしら感じるものがあるかもしれません。

その書き出しは次のようなものです。

考えてみれば、結婚というのは不思議な習俗だ。とりわけ見合い結婚は…… いや、恋愛結婚だって同じことかもしれない。

ほんのうわべだけしか知り合っていない男と女が、なにやら神妙に誓いあって、これからの半生を否応なしにもたれあって生きていくことを約束するのだから……。

阿刀田 高. 仮面の女 (角川文庫) (Kindle の位置No.2634-2637). 角川書店. Kindle 版.

本作では、めでたく結婚式と披露宴が終わり、翌日の新婚旅行への出発を控えたホテルで起きた出来事が描かれます。

面白いのは、全体のほとんどが夫になったばかりの男の視点で描かれ、残りの数ページだけが妻になったばかりの女の視点で描いていることです。

それを読んで面白いのは、その後も長く結婚生活を続けられるのであれば、それぞれの思いや考えが限りなく近づいていくのかもしれませんが、まだスタートしたばかりのふたりは、互いが互いに誤った認識を持っていることがわかることです。

ふたりは同じ会社の同僚で、男が上司に女を勧められ、短い交際の末、結婚に漕ぎつけます。この間に、ふたりは肉体関係を持っていません。

男と女がホテルのレストランで食事をしているとき、男の眼には、小さいけれど、どこか奇妙に映る出来事があります。

部屋に入ったふたりは、ひとりずつ入浴をします。先に入った男は、妻が入浴中、ふと、妻のハンドバッグの中身を見る誘惑にかられます。これが結果的には間違いの素といえましょう。

成人同士が結婚するのですから、結婚前の男女はそれぞれに秘密を持っています。秘密には小さなものもあれば、大きなものもあります。

男は、バッグの隠し底のようなポケットから、小さな手帖を見つけます。中を開くと、ローマ字で書かれた文章が現れます。それを読んだ男は、妻を疑いの目で見るようになり、レストランで起きた、本当は何でもなかったのかもしれない出来事を結び付けます。

本作に教訓めいたものがあるとすれば、相手の知らない部分までは知らないままの方が良い、といったようなことでしょう。それを無理に知ろうとしたり、無理に知ったりすることは、それまでは平穏だったふたりの仲が、歪んでしまうでしょうから。

もっとも、先頃起きた事件のように、結婚したばかりの妻が、結婚前に殺人の容疑をもたれるようなことを起こしていたのなら、知らない顔をして夫婦でいるわけにはいきませんが。

考えてみれば、阿刀田が本作の冒頭で書いているように、結婚というのは不思議で、ある意味、危険を孕んだ習俗かもしれません。ま、未婚の私がこんな感想を書いても、説得力がないですね。

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