2002/08/27 フィルムとデジタル

先日、「あなたのベストフィルムはこれだ・常用リバーサルフィルム16種大研究」という特集に誘われて「アサヒカメラ」9月号を買い求めました。

今は技術の進歩が著しく、これまでカメラといえばフィルムに定着するのが当たり前だったものが、あっという間にデジタルカメラ(デジカメ)が普及し、従来のフィルムカメラは総売上でもデジカメに追い抜かれてしまいました。

そうした状況下での「フィルム選び」というのは、いささか時代錯誤の感がなきにしもあらずですが、それでもフィルム大好きな私はその特集に飛びつかざるを得ません。

そもそもが、写真撮影においての2大ポイントを挙げるなら、それは何事にも通じる「入り口」と「出口」で、写真の場合には入り口に当たるレンズと、出口に当たるフィルムが最大ポイントになります。

私個人のフィルム観を書きますと、私はコダック社の「コダクローム64」に惚れ込み、長い期間使い続けています。

手持ちのコダクローム64フィルム
本日の豆知識
このフィルムは「ポジフィルム」といい、一般的な「ネガフィルム」が印画紙に画像を焼き付けるのに対し、これはフィルムそのものが完成画像となります。

それでも何事にも浮気はつきもので、他のフィルムに浮気しかけた時期もあります。

コダクロームというのは、現在では唯一の外式フィルムで、それ以外の内式フィルムとはフィルムの構造がまるで異なり、現像行程も複雑です。そのため、日本国内でも現像所が限られ、内式に比べ現像に要する期間も長くなります。

それでも、外式には内式にはない魅力があり、それ故にそれから離れられずにいます。

そんなコダクローム一本槍の私の気持ちをぐらつかせたのは、富士写真フィルムから内式の新フィルムが発売されたときです。商品名を「ベルビア」「プロビア」という性格の異なる2種類のフィルムが突如発表になりました。今から12年ほど前の話です。

特にベルビアの登場は衝撃的で、その粒状性(画像全体のぶつぶつ、ざらざらした感じ。また、その程度=広辞苑)に極めて優れ、またそのある種どぎついまでの高発色は大きな話題を呼びました。

今回の特集記事でも、風景写真を手がける写真家・竹内敏信1943年愛知県生まれ。27歳でフリーになり、ドキュメンタリーを主に撮るが、1980年頃から「日本の風土と自然」をテーマに風景写真を撮り続けている=「アサヒカメラ」2002年9月号記事より)は、ベルビアの登場によって「ボクの表現内容が変わった」とまでいい切っています。

ただ、悪くいえば「猫も杓子も(ねこもしゃくしも:どんな人も。誰も彼も。どいつもこいつも=広辞苑)」ベルビアに食指をのばし、結果的にどぎつい色表現が写真雑誌上に溢れる現象を生みました。

同じ特集記事で写真家の大西みつぐ1952年東京・深川生まれ。東京総合写真専門学校講師。東京造形大学非常勤講師。1993年「周緑の町から」「遠い夏」で第18回木村伊兵衛写真賞を受賞=「アサヒカメラ」2002年9月号記事より)は次のように感想を述べています。

あの(ベルビアが一世を風靡した)時期、アマチュアの人たちがベルビアに飛びついて、そればっかりになりましたよね。コンテストの写真も派手派手になって。ピーカンで撮ったときの色のコテコテ感は「もういいや、ゲップが出る」って感じで、はっきりいえばあまり好きじゃないです。

このように、”アンチ・ベルビア派”をも生む結果となりました。

実をいえば私もアンチの側に属しまして、新し物好きの私ですからベルビアは早速使ってみましたが、やはり好みは大西さんに通じているのか、あのあまりに派手派手しい発色にはついていけず、コダクロームに戻りました。

そのあとぐらいでしたか、私の琴線に触れるような内式フィルムが今度はコダックから発売になりました。商品名を「エクタクローム・パンサー」といい、富士フイルムの製品がスッキリと抜けの良い発色をするのに対し、コダックのそのフィルムはいい意味でくぐもった黄色みを持つ暖色が特徴で、私の好みにピッタリでした。ただ、その銘柄はその後発展解消され、現在はE100シリーズに取って代わっています。

本日の豆知識
これは俗にいわれていることですが、富士写真フィルムとコダックの発色の特徴は、それぞれのメーカーの商品の外箱がそれを表しているそうです。つまり、富士は緑色がトレード・マークですからグリーンが綺麗に発色し、対するコダックはオレンジがメインですのでオレンジ系統が綺麗な発色を見せるというわけです。どこまで信じていい話かわかりませんが、当たらずとも遠からずといった感じを個人的には持っています。

それにしても、今回の特集を見るにつけ、フィルム、それもポジフィルム愛好家というのは、興味のない人から見たらごくごくわずかの発色や明暗表現の違いにこだわる物好きな人種に映るかもしれません。

それぞれのフィルムの違いに、やれモデルが着用している赤い衣服の発色がどうの、陰の部分の表現がどうの、とそれはそれは細部にまで神経を通わしているのですから。

でも逆にいえば、だからこその趣味であり、何物にも代え難い楽しみではあるんですけれどね。

話は変わりますが、その特集記事が載った9月号の見開きには、写真家・藤原新也1944年、福岡県生まれ。東京芸術大学油絵学科中退。著書に「印度放浪」「逍遙遊記」「全東洋街道」「俗界富士」「バリの雫」など=「アサヒカメラ」2002年9月号記事より)の撮り下ろしによる作品が載っているのですが、色鮮やかに写し取られた写真には通常添えられている撮影データがありません。

私はそれらの写真を見て、てっきり「ベルビアを使って撮影したのだろう」と思っていましたが、同雑誌半ばに載っていた「撮影ノート」を見てビックリしました。何故なら、それらは全てデジカメで撮影されていたからです。

ちなみに、使用機材は以下の通りです。

その撮影ノートでも心境が語られていますが、藤原はデジタル礼賛ではなく、できることならデジタル煩悩からは解脱を果たしたい、と願っていらっしゃるようですが、それを見越した編集者が藤原に一眼デジカメを貸し与え、撮影の依頼をしてきたそうです。

その結果が巻頭の作品となったわけですが、実際に使ってみるとその想像以上の実力に「“敵”はここまで攻め寄って来ているのか」との感を強くされたようです。

ただし、もちろん手放しでその実力を認めてはいません。「絵が絵として成立」するためのプロセスには膨大な手間暇がかかるからです。

12ビットの生データをPC上に移し、8ビットに変換し、用心深く加工を施し、首尾よくプリントアウトすることになるわけで、今回の例でいえば、撮影は二百数十カットを2日ほどで済ますことができたのに対し、その後の処理に1週間もかかってしまったと嘆いていらっしゃいます。

また、総括した感想として、次のような興味深い見方も書いていらっしゃいます。

行きつく所まで行きついたマルチオートシステムという何ごともあなたまかせの昨日までのアナログ世界から、今日のデジタル世界においては、むしろあの懐かしい旧アナログ世界の矜持であるところの“根性”と“忍耐”と“技能”が必要とされるという逆説が再発生しているようなのである。

うーむ。フィルムカメラ、つまり「アナログ」では撮影後はプロの手に委ねていたプロセスを、デジタルになったことによって逆に全て自分で行わなければ満足な結果は得られなくなり、引いては“手仕事”的な作業が加わったというわけですね。ネガ・フィルムを用いた際の暗室作業のような工程がデジタルにおいて復活したともいえます。

確かに、皮肉とも思える逆説的な現象ではありますね。

途中から、話の筋がデジタルのソレに移ってしまいましたが、デジタルの登場により、今後しばらくはフィルムとデジタルの最後のせめぎあいともいえる時代が続き、やがてはデジタル・オンリーの世界に収束していくのでしょうか。

長年コダクロームを愛し、フィルムカメラを愛してきた人間にとっては非常に寂しい将来展望とはいえます。

ともあれ、デジタル処理を行えばいくらでも自分好みの発色へ転換できるわけで、各フィルムのわずかな発色にこだわることはある意味時代錯誤と見られる向きもあるでしょう。ただ、それでもなおフィルムにこだわり続ける人間は必ずや残り、永々とフィルム世界が続いていくことを一フィルム愛好家としても願っているところです。