前回の更新では、半世紀以上前、日本から遠く離れた異国で起きた日本人が被害者となる現実の事件を基に書かれた小説を取り上げました。松本清張(1909~1992)の中編小説『アムステルダム運が殺人事件』(1970)です。
その作品で清張は、未解決に終わった事件を自分なりに推理し、清張なりの犯人を読者に提示しています。現実に起きた事件を取り扱ってはいるものの、小説として書いたわけですから、清張の推理が真実と違っていても責任を問われることはありません。
未解決のままですから、真実と比較のしようがないですが。
この事件は、推理小説を書く作家の創作意欲を刺激したのでしょう。清張のほかにもこの事件を題材にした作品があることを知り、昨日、更新を終わったあと、ある作家の短編を読みました。菊村到(1925~1999)という作家が書いた『運河が死を運ぶ』(1978)という作品です。
私は菊村をこれまで知りませんでした。ですから、この作家の作品に触れるのは今回が初めてです。
Amazonの電子書籍サービスに含まれるKindle Unlimitedの会員(月額980円)であれば、本作がサービスに該当する書物であるため、追加料金なしで読めることを知り、早速読んだのです。本作が収められているのは、表題作を含む短編集です。本短編集には、次の7作品が収録されています。
蛇の棲む部屋 | 運河が死を運ぶ | 金庫室の翳 | 師よ安らかに眠れ |
他殺という形式 | 身を灼く | 汚れた町 |
私は、表題作に興味を持って本短編集を手にしたのですから、早速そのページへ飛び、読みました。
初めて読む作家の作品ではありましたが、第一印象は悪くありません。とても読みやすいです。そのため、どんな作家か気になり、ネットの事典ウィキペディアで確認しました。
菊村は、先の大戦の終戦直後に早稲田大学の文学部へ進み、卒業しています。その後は読売新聞社に入り、社会部の記者を経験しています。大学時代から小説を書き始め、記者になった翌年には、作家デビューも果たしています。彼の父も小説家だったことで、元々その分野への志向を持っていたのでしょう。
1955年に結婚したのを機に、「菊村到」というペンネームを使うようになります。1957年には芥川賞を受賞し、記者をやめて小説家一本で生きていくことを選びます。
一時期はテレビのワイドショーで身の上相談の回答者もしたとありますから、売れっ子作家の一面も持つといえましょう。であるのに、私が知らなかったのは、私が不勉強であるからです。
元々文章を書く素養を持っていたことに加え、10年間ほど新聞社の社会部で記者としてもまれたのですから、それは、わかりやすい文章を書く技術が身について不思議ではないです。
こんな菊村は、アムステルダムの運河から遺体で発見された事件の犯人をどう推理するでしょう。
狂言回しは、架空の新聞社で記者をする古瀬という男に設定しています。このあたりは、どうしても、菊村が経験したことが反映されています。古瀬も社会部出身で、この話のときは、新聞社の各部でベテランになった記者が集まる日曜版編集部の所属となっています。
その日曜版で、アムステルダムの事件を取り上げてはどうかとデスクから持ち掛けられます。事件から2年半後のことで、古瀬としてはそんな話をされても、既に報じられたことを後追いするだけでは意味がないと考えます。日曜版の記事を書くためだけに、現地取材は許されないともといいますし。
乗り気でなさそうな古瀬を見たデスクは、長年パリ支局にいた記者が今度帰って来たから、彼に話を聴くなどしてまとめたらどうだといい、古瀬は重い腰を上げて書いてみることにします。
書くことを決めた古瀬が、アムステルダムの事件に対する独自の推理をしていくさまが描かれます。
事件の被害者を清張は、24歳の独身者、坂崎次郎としましたが、菊村は北野陽治32歳に設定しています。北野は名古屋にある大池商興(架空の会社名)という繊維製品を扱う会社の社員で、ブリュッセルの駐在員になって2カ月足らずと書いています。
清張は、坂崎が駐在員に着任して3週間ほどで事件に遭ったと書いており、どちらが本当の事件に近いかはわかりません。
清張の設定と違い、菊村が描く北野は、2歳下の妻がおり、名古屋に残してきたようにしています。夫婦の間に子供はいません。
北野の身長は168センチで、体重は55キロ。血液型はA型で、腹部にヘルニアの手術痕があります。
1965年8月末の夕刻、オランダのアムステルダムの運河に、大きなボストンバッグが浮いているのが地元民によって発見され、警察が引き揚げて中を確認すると、頭部と両腕の手首から先、そして、両脚を付け根から切断された裸の遺体が出てきます。
その胴体を検査し、被害者は東洋人で、血液型はA型で、ヘルニアの手術痕があることが判明します。そうした情報を基に、北野が事件の被害者に違いないということになります。
ただ、警察が確保できているのは、トランクに入っていた胴体と、胴体と共に入っていた北野の持ち物らしい物だけです。血液型と手術の痕が一致するからといって、被害者を北野と決めつけることに不安はないのか、と古瀬は考えたりします。
考えてみれば、北野が使うトランクに北野の胴体を詰めて棄てたのでは、犯人が被害者の身元を教えているようなものです。それでいて、頭部や両足、両手首から先を切断しているのは、矛盾しているといえば矛盾しています。それが矛盾にならない推理を、菊村は古瀬にさせています。
菊村の推理の結果は、清張とはまったく別のものでした。これが真実に近い保証はなく、近い必要もありません。本作は、本当に起きた事件を題材にしただけで、菊村が創作した読み物だからです。読者が楽しんで読めればそれだけでいいのです。
菊村が書く作品のキーポイントは、被害者を妻帯者にしたことでしょう。菊村の推理が気になる人は、本作を手に取って、ご自分で確認なさってください。
私は北村が書く文章が気に入りました。本短編集を含め、追加料金なしで読める本が何冊もありますので、少し読んでみたい気になっています。