1992年と2000年。それから2004年。これらの年は、私個人に関することで、ある共通点があります。
まず、誰にでも共通するのは、これら3つの年には、夏季五輪が開かれました。1992年はバルセロナ五輪。2000年はシドニー五輪。そして、2004年はアテネ五輪です。
ここから先は私個人に限った話になります。1992年には母が、2000年には父とたったひとりの姉弟だった姉が亡くなっています。そして、2004年ひとり残された私が、あと一歩で死ぬところでした。
2004年のアテネ五輪が終わって少し経ったその年の8月下旬、私は自転車で急坂を降りる途中、おそらくは転倒し、頭部を道路に強く打ち付けたためでしょう、意識を失い、救急搬送されました。
そのときのことはまったく記憶にありません。私が意識を取り戻したのは、1週間ぐらいあとです。気がついたあとも、怪我をする日の記憶は戻りませんでした。その日に出かけたことも、記憶にないのです。
道路に倒れているのを発見してくれた人の通報で救急隊がやって来て、私の体は近くの病院へ運ばれました。私は急性硬膜下血腫を起こしており、すぐに対応しなければ命が助からない状態でした。頭部を開く手術が行われ、命が救われました。
このように、夏季五輪のあった年に私の家族3人は亡くなり、残った私ももう少しで死ぬところでした。それが夏季五輪の年であったというのは、たまたまかもしれません。
2021年の今夏、1年遅れて二度目の東京五輪が開かれました。
ここまで書いてきた理由で、私は夏季五輪の年に良いイメージを持てません。東京五輪は昨年が予定された年で、その年には何も自分に起こらずに済んだため、一安心していました。
それが、先週の水曜日、もしかしたら命を落としていたかもしれない出来事があり、肝を冷やしました。
その日の昼頃、自転車で道路を横切ろうとしたとき、手前の車線を走って来た車が接近し、急ブレーキをかけて止まりました。

私は、渡り切れると思って横断しましたが、結果的には私の判断ミスだったようです。私に別条はありませんでしたが、その車を運転する人は、怖い顔をしていました。
あとでいろいろと考えました。
高齢者が運転を誤って起こした事故がよく報道されます。それらの多くは、咄嗟にブレーキとアクセルを踏み間違えたのが事故の原因です。それを私が経験した判断ミスと重ね合わせ、今更ながらにぞっとしました。
私が無理な横断をしたことで急ブレーキをかけた車を運転していたのは、見たところ、40歳前後ぐらいの男性です。その人がもしももっと年齢が上の人であったり、運動神経の鈍い人であったらどうだったでしょう。急ブレーキのつもりでぐっと踏んだのがアクセルだったりしたら。
私にとっては因縁である夏季五輪の今年、私は二度目の生命の危機に瀕し、1週間前にこの世から消えていても不思議ではありません。
私は、父と母、姉に守られたと思っています。今後も、守ってくれるとよいのですが_。