村上春樹(1949~)の作品を順繰りにAmazonの電子書籍版で読むことをしています。今度は『アンダーグラウンド』(1997)を読み終えました。
これは、1995年3月20日の通勤時間帯、東京の地下鉄で宗教団体のオウム新真理教によって起こされた「地下鉄サリン事件」の被害者に、村上が直接面談して話を聴き、まとめた本です。村上としても、異色の作品といえましょう。
この作品を取り上げる前に、本日は、この事件にまつわるある出来事を書いた新聞のコラムがあったことを思い出しましたので、それを先に取り上げ、明日以降、村上の作品につなげていくことにします。
その新聞のコラムは、少し前に本コーナーで取り上げたばかりです。政治学者の原武史氏(1962~)が、毎週土曜日に、朝日新聞の土曜版で担当されている「歴史のダイヤグラム」に書かれたもののひとつです。
原氏はそのコラムの今年の3月20日分に、「千代田線とサリン事件」と題をつけたコラムを書いています。
事件が起きたに3月20日に自分のコラムが掲載されることを知り、原氏は26年前の事件について書こうと考えたのかもしれません。
事件が起きた当時、私もそれなりに関心を持ちましたが、事件のあらましは忘れていました。そこで、ネットの事典「ウィキペディア」で事件の詳細を確認しました。
事件では、東京の都心を通る次の地下鉄3路線の電車内に、神経ガスのサリンが入ったパックを2つ(日比谷線の上り電車だけは3つ)持ち込み、袋に穴を開けて、サリンを散布する無差別テロを起こしています。
原氏のコラムでは、千代田線での実行犯となったオウム真理教の「治療省大臣」林郁夫(1947~)について書いています。
事件当日、林は同線の千駄木(せんだぎ)駅から代々木上原(よよぎうえはら)行きの電車に乗り、3駅先の新御茶ノ水駅で下車する直前、先を尖らせた傘の先でサリンが入ったパック2つに穴を開ける計画でした。
その犯行を命じられた林は、事件前日の19日夜、下見を兼ねて同線に乗り、自分が犯行する区間を往復したそうです。
事件を起こした日、教団「自治省大臣」の新実智光(1964~2018)が運転する車で千代田線・千駄木駅へ向かいます。到着した時刻は6時45分で、犯行時刻までは余裕がありました。そこで林は、北千住(きたせんじゅ)駅方面行きの電車に乗ります。
林は同線にそれほど詳しくなかったのか、北千住が同線の始発駅と勘違いしていたようです。始発駅であれば、座席に座れると考えたことからです。
都内を走る地下鉄の多くは、それぞれの線の始発駅から先も、さまざまな路線と相互乗り入れをしています。
千代田線の場合は、私もよく把握していませんでしたが、同線の始発駅は、北千住よりも千葉県方面に進んだ北綾瀬(きたあやせ)駅となっています。ただ、地図で確認してようやくわかりましたが、新綾瀬駅は、本線からの引き込み線のようになっており、新綾瀬駅だけがぽつんとひと駅だけある形になっています。
また、その駅の先はレールが何本にも枝分かれしています。そこは、同線のほか、有楽町線、副都心線、南北線の車両基地および車両工場となっているようです。
本線を走る電車の多くは引き込み線の新綾瀬駅には向かわず、そのままJR常磐(じょうばん)線に乗り入れる形になっています。終日、常磐線の我孫子(あびこ)駅まで行っておりおり、朝夕の通勤時間帯だけは、利根川(とねがわ)を越えて、茨城県の取手(とりで)駅まで乗り入れているそうです。
事情をよく知らなかった林は、車内に貼られた路線図を見て初めて、自分が乗った電車が綾瀬駅まで通じていることに気づいた、と原氏のコラムにはあります。
実は、林はかつて、綾瀬に来たことがあり、それが、深刻なテロを起こそうとしていた林の脳裏によみがえったというのです。
中学時代、林は慶応義塾中等部に通っており、テニス部に所属していました。その頃、テニスの大会が綾瀬で開かれたのです。
昔のことですから、千代田線はまだできていません。それだから、JR上野駅から常磐線で行ったであろうと当時のことを想像します。そんなことを考えていた林は、北千住の手前の綾瀬で下車することを思い立ちます。自分が中学時代にテニスの大会があった、コートを見たくなったからです。
しかし今の綾瀬駅は、千代田線の建設に伴い、1968年に今の場所に移設されていたのでした。林の目に映る駅前の風景は、当時の記憶と違いました。林は、思い出のコートを見に行く気が失せます。
原氏は、そのときの林の心境を次のように推察しています。
もしもテニスコートを見つけていたら、現実に引き戻され、しばらくそこにとどまったかもしれない。
林がそこに留まれば、オウムの洗脳が解かれ、もしかしたら、地下鉄での犯行に手を染めずに済んだ可能性があるのでは、というわけです。
しかし、林は自分に起こった郷愁を消し去り、北千住駅に戻ります。その駅で一旦降りた林は、当駅を午前7時48分に発車する代々木上原行きの先頭車両に乗ります。2つのサリン入りパックを新聞紙で包んだ弁当箱ぐらいの大きさの包みを抱え。
林の乗った電車は、北千住を出たあと、町屋(まちや)、西日暮里(にしにっぽり)、千駄木、根津(ねづ)、湯島(ゆしま)と東京の下町を走っていきます。その間、林の眼には、同じ車両に乗っている、何も知らない乗客の姿がどのように映ったでしょうか。
湯島の次の新お茶ノ水に着く直前、林は2つのパックに傘の先で穴を開けます。しかし、多少の逡巡があった(?)のか、1つのパックにしか穴を開けることができません。穴が開いたバックからは、神経ガスを発するサリンの液体が漏れ出し始めます。
林は自分の役目を終え、電車を降りて駅を飛び出し、地上で待っていた新見の運転する車で脱走犯行現場をあとにしたのでした。
原氏のコラムの締めの部分には、村上春樹の『アンダーグラウンド』の一部が引用されています(カギカッコの部分)。
次の町屋駅から同じ車両に乗り合わせた会社員の風口綾は、新御茶ノ水の次の大手町(おおてまち)で急に息苦しくなった。ふと見ると、ドア付近に新聞紙で包まれたものが置かれていた。「水というか何か液体が、まわりに滲み出しているんです」。
未曽有の事件が起きた当時、新聞やテレビはこの事件を洪水のように報じました。しかしそれにも拘らず、被害者の生々しい肉声はほとんど届きませんでした。それに気づいた村上は、直接被害者から話を聴き、それを伝えることを試みます。
それをまとめたのが『アンダーグラウンド』です。村上の面談を通した被害者の声を伝える本については、次回以降の本コーナーで取り上げる予定です。