村上の南ヨーロッパ見て歩き

また、村上春樹1949~)の作品について書きます。これほど村上との付き合いが長くなるとは考えてもいませんでした。Amazonの電子書籍を利用するようになったことで、出版された年代に関係なく、読みたいものが読みたいときに読めるようになり、これまでは縁の薄かった村上作品に接することが多くなったというわけです。

今回は、村上の物語世界から離れ、3年間のヨーロッパ滞在記録のようなものをまとめた『遠い太鼓』1990)という作品に接しました。

「はじめに」に、本のタイトルについて簡単に書いています。40歳が近づいていた村上は、ある朝、どこか遠くから太鼓の音が聞こえてきたように感じます。それは、自分で自分を急き立てる音だったのかもしれませんが、太鼓の音を辿ってどこか遠くへ行ってみたくなり、ヨーロッパで暮らしてみることを決め、陽子夫人と二人で南ヨーロッパ暮らしを始めます。

どこかで読みましたが、村上本人は、決して旅は好きではないといいます。行かなくていいなら、旅には行きたくない、というようなことも書いていました。それでも好奇心は旺盛なのでしょう。本書を読む限り、訪れた土地でエンジョイしているように感じます。

ヨーロッパといっても、北と南では状況がガラリと変わるようです。村上が選んだのは南ヨーロッパです。イタリアのローマを拠点に選び、気が向くとギリシャやほかの国へ、そのときは旅行気分で訪れています。

この3年の間に、村上は37歳から40歳になります。この間に、長編の『ノルウェイの森』1987)と『ダンス・ダンス・ダンス』1988)と『TVピープル』1990)という短編集を書いています。いずれも私は読んでおり、その頃に書かれたのか、と本書を読みながら認識しました。

『ノルウェイの森』を書いたときは、それまでの執筆スタイルで、原稿用紙に書くのではなく、大学ノートやレターペーパーにボールペンで書いたようです。そして、3年間の2年目くらいからでしか、ワードプロセッサーで作品を書くようになったことを知りました。

どんなところでも、見るのと聞くのとでは大違いであろうことは想像できます。といっても、私のように、日本から一歩も外に出たことがない人間には、本書に書かれているようなことは、想像するのが難しいほど、理解の限度を超えています。

イタリアのローマと聞いて、どんなイメージを抱くでしょう。村上が書くローマ滞在記を読みますと、それが想像を絶するところであると実感せずにはいられません。

まず、イタリア全土では郵便事情が、極めて劣悪だそうです。日本では、郵便物が相手に最小期間で届くのが当たり前ですが、イタリアでは、届く期待を持たない方がいいそうです。もっとも、本書を書いた時期が1986年秋から1989年秋までのことで、30年以上経った今がどうなのかはわかりません。

1960年代にイタリアに住んでいた米国人が、自分の国の誰かに出した郵便物が、20年後ぐらいに届いたというような逸話も紹介されています。これは届いただけましのようなもので、途中で行方不明になることがあとを断たないようです。

また、イタリアのローマが特にそうなのか、泥棒が多いそうです。それだから、車のカーステレオは、盗まれることを前提に、降りる時は外して持ち歩くそうです。ある男は、ローマの目抜き通りに車を停め、ほんの4、5分の買い物をするだけだからと油断して、買い物を済ませて駐車してあった車に戻ると、その4、5分の間に、フロントガラスが割られ、カーステレオが盗まれていたそうです。

目抜き通りに停めた車で、昼日中ですから、人通りが多く、多くの人が犯行を目撃したはずです。しかし、騒ぎになっていません。イタリア人は関わり合いになること避け、見て見ぬふりをする習慣を持つそうです。そのくせ、カーステレオを盗まれた男には同情し、彼を大げさに慰めたりするそうです。

イタリア人は自国民を悪く思わず、「泥棒はユーゴの奴に違いない」と別の国の人間のせいにしたりすることが多いそうです。

車といえば、ローマは駐車事情が最悪で、道路は路上駐車の車で溢れているそうです。これも本書が書かれた頃のことで、今は改善されたのかどうかはわかりません。ともあれ、時には二重駐車や三重駐車になることもあり、内側に停めた車の主が、出るに出られず、抗議のクラクションを鳴らし続けたりするそうです。

迷惑をかけた車の持ち主が戻ってくると、口論が始まったりします。村上が見かけた口論のことが書いてあります。文句をいうのが若い女性(だったかな?)で、その抗議の様子は凄まじく、抗議を受けた男は悪びれもせず、「たしかに俺が悪かった。それでも、あんたの抗議も、それと同じくらい酷くはないかい?」とやり返したそうです。

こうなりますと、これはこれでひとつの文化といなくもありません。

恒常的な駐車場不足は、車の運転技術を向上させます。車を停められる場所がないかと、ときには30分以上ものろのろ走り、1台がやっと停められそうな場所を見つけると、他の車にとられる前に急いで停めなければなりません。

村上がローマで何度目かに住んだ家の窓からは、駐車した車が見え、暇なときはそれを見て楽しんだりしたそうです。非常に優れた運転技術で、信じられないほど狭い空間に自分の車を割り込ませる人を見かけることができたりするからです。

それに付随する話として、イタリアの車には表情を感じると書いています。その一方で、日本の車にそのようなものがないとも書きます。イタリア人は陽気でフレンドリーな人が多く、それは乗る車にも表れる、といったことでしょうか。

村上は3年間、ずっとヨーロッパに留まったわけではありません。書き上げた原稿を届けるなど、仕事の関係で、1年に一度程度は日本に戻ったそうです。

『ダンス・ダンス・ダンス』が出版されたのは1988年ですが、その年の村上は、精神的によくない状態にあったようです。ヨーロッパに渡って最初の年に『ノルウェイの森』を仕上げ、それが、日本でベストセラーになったことを日本に一時帰国した時に実感します。

さぞかし誇らしい気分になったかと思いきや、実際には逆で、精神的に落ち込んだそうです。販売部数が10万部程度までであれば、それなりに自分が置かれた状況に想像がつきます。しかしそれが、30万部だ150万部だと聞くと、空恐ろしく感じたりした(?)のでしょう。同じ年の秋には『ダンス・ダンス・ダンス』が出版の運びとなり、こちらも売れまくります。

そのあたりの心境を、「1989年、空白の年」に書いていますが、その冒頭部分を紹介しますので、当時の村上の心境をご想像ください。

最初にも書いたとおり、僕はこの本(いわば「旅行記」だ)をまとめるためにスケッチのような断片的な文章を少しずつ書きためておいたわけだが、一九八八年にはそういうスケッチをただの一枚も書かなかった。書こうという気が起きなかったのだ。その年の始めは『ダンス・ダンス・ダンス』を書くことに忙殺されていたし、書き終えたあとしばらくは虚脱感に襲われていた。そして日本に戻ってからは、その虚脱感はやがて混乱した無力感へと移行していった。そしてその年が終わりに近づくまで僕は何も書けなかった。言うなれば空白の年である。

村上春樹. 遠い太鼓 (講談社文庫) (Kindle の位置No.4374-4379). 講談社. Kindle 版.

ローマで『ダンス・ダンス・ダンス』を書いた冬は、とにかく寒く、それだから、『ダンス・ダンス・ダンス』の中で常夏のハワイへ行くことを思いつき、それを書きながら、イメージでだけでも、暑さを求めたようです。

その経験をしたため、日本に帰ってから心身が冷えたままに感じた村上は、妻とハワイへ行って過ごすこともします。そんなことをしても、「ある種の冷気は去らなかった」と書いていますから、心の冷え込みは相当なものだったようです。

日本に一時帰国したとき、村上は運転免許を1カ月程度で取得しています。それ以前は、車の必要性を感じたことがなかったそうです。それが、ローマでまたしばらく暮らすには、車の運転ができなくては不便と感じたようです。

本書を読んでいて個人的に驚くのは、村上の順応力の高さです。日本で車の免許をとってすぐにまたヨーロッパに戻り、現地で慣れないはずの車の運転を当たり前のようにしているからです。

村上は18歳のときに陽子夫人と結婚しています。二人の間に子供なく、その後は、どこへ行くときも夫人を同伴しています。生身の人間ですから、いつも仲良くというわけにもいかないでしょう。長年の結婚生活から得た、村上の夫婦生活における極意のようなことも書いています。

村上は自分を楽観的な人間と考え、「だらしなくていい加減な人間」と書いています。夫人はそれとは逆で、どちらかといえば悲観的な人間で、将来起こるかもしれない出来事のために、前もって準備をしておきたいたちのようです。

村上は、夫婦が円満に暮らす極意を次のように書きます。

僕が結婚生活で学んだ人生の秘密はこういうことである。まだ知らない方はよく覚えておいてください。女性は怒りたいことがあるから怒るのではなくて、怒りたいから怒っているのだ。そして怒りたいときにちゃんと怒らせて おかないと、先にいってもっとひどいことになるのだ。

村上春樹. 遠い太鼓 (講談社文庫) (Kindle の位置No.841-843). 講談社. Kindle 版.

ある年の日曜日の午前、村上が夫人と二人で、オーストリアのロイッテの町を眼下に見ながら、最後の山越えをしているときのことです。村上が望んで手に入れたイタリア車、ランチアデルタ1600GTieのエンジンが突如止まり、うんともすんともいわなくなるアクシデントが起きます。

村上は自分を「メカニックにはすごく弱い」と書いていますが、それでも一応、ボンネットを開けて、中の様子を見ます。でも、見るだけで、どこが悪いのかわかりません。

その様子を見ていた夫人とのやり取りが面白いです。

「どうしたのよ?」と女房が言う。

「わかんないよ。エンジンに点火しないんだ」

「どうして急にそんなことになったのよ?」

「さあ、どうしてかなあ。そんなことちょっとあり得ないんだけどなあ。(後略)

村上春樹. 遠い太鼓 (講談社文庫) (Kindle の位置No.6012-6015). 講談社. Kindle 版.

このあと、車が走れるようになるまで、予定になかったロイッテの町に一晩足止めされることになります。見通しがつくまで、夫人はブスッとしていたそうです。妻の扱いを知らない人は、売り言葉に買い言葉で事態をこじらせてしまうでしょう。

村上は、途中で書いたように、「女性は怒りたいから怒っているのだ。それなら気の済むまで怒らせてあげよう」の極意を実践したのでしょう。

夫人は物事を悲観的に考えがちだったからか、ヨーロッパの滞在が長くなるにつれ、体を壊すことがあり、村上を残して日本に戻る時期もあったそうです。

ローマに独り残された村上は、夫人がいない間は他人とほとんどしゃべらず、部屋で小説を書いたそうです。その時に書いたのが『ダンス・ダンス・ダンス』です。寒い寒いローマで、常夏のハワイを思い浮かべながら。

本日の豆もしかしたら
もしかしたら、夫人が日本に帰ったあと村上が独りで過ごしたのは、ローマではなく、英国のロンドンだったかもしれません。

村上は、プロの物書きになってから、走ることが日課になります。車ではなく、自分の脚で走ることです。なぜそれほどまでに自分が走ることに拘るのかについて書いた『走ることについて語るときに僕の語ること』2007)も私は読んだことがあり、本コーナーで取り上げました。

ヨーロッパ滞在中もランニングは続けますが、ギリシャの小さな島で走っていると、どうして走る必要があるのかと島民には素朴に疑問を持たれたそうです。ローマでも走る人はあまりおらず、公園で走っていると、公園で寝そべっている現地の若者たちに、「もっと速く走れ」とか、「カンフーをやってみろ」と盛んに野次を飛ばされたそうです。

イタリアの若者には元気が有り余っているような者が多くいて、彼らと一緒の電車やバスに乗ろうものなら、降りるまで、大声でしゃべりあう彼らに付き合わなければならなくなるそうです。

そんな彼らですが、眼を見ると生き生きしています。いかにも「生きています」といった感じで好感を持てます。それに比べ、日本の若者の眼には、いわゆる「眼力」を感じないそうです。

ギリシャといえば、クレタ島で乗ったバスについて書いてます。そこに書かれていることが信じられないようなことです。そのときはシーズンオフで、乗客は村上夫妻と英国人老夫婦、一人旅をする30歳前後のドイツ人男性、二人組の10代のギリシャ人女性、それから地元のおばさんの7人です。

当地のバスの運転手は、日本の運転手には考えられないことをします。

最初のうちは真面目に走っていたのだが、途中からまた雲行きがおかしくなる。お昼になって、車掌と運転手が車中で酒盛りを始めたのである。もちろん運転しながら。

村上春樹. 遠い太鼓 (講談社文庫) (Kindle の位置No.3235-3236). 講談社. Kindle 版.

「事実は小説より奇なり」といいます。小説でそんなことを書いたら、読んでいる人に「そんな馬鹿な。バスの運転手が運転しながら酒盛りなんかするわけないだろ。馬鹿か、お前は。小説だからって、書いていいことと悪いことがあることぐらい、お前はわからないのか?」といわれかねません。ところが、世界中を見渡せば、想像を絶するようなことが現実に起きていたりするもののようです。

村上はサービス精神が旺盛で、実際に見たことを、おそらくは自分でも楽しみながら文章にしたのでしょう。村上の作り話に私は時に辟易とさせられますが、ヨーロッパで体験したことを基に面白く綴られており、楽しく読み終えることができました。

本作を読んだ人の多くが、「自分もどこかへ行ってみたい」と思ったりするでしょう。出不精の私は、そんな気持ちは起きません。その代わり、「なるほど、なるほど」「アハハハ」「そんな馬鹿な」と一緒に旅する気分でひとときを過ごさせてもらいました。

なお、村上が3年間過ごした当時、訪れた町で最悪だと思ったのは、シシリー(シチリア)のパレルモだそうです。この考えは、その後変わったどうか知りませんが。

Palermo, Sicily Sunday Evening Walk – 4K – June 21st, 2020

そういえば、1988年に公開された映画『ニュー・シネマ・パラダイス』はシチリアが舞台でした。あれを見る限り、いかにもイタリアらしい雰囲気で、悪い印象は持てないのですが。実際に住んでみると、印象とは違うものなのかもしれないですね。

映画「ニュー・シネマ・パラダイス完全オリジナル版」日本版劇場予告

村上の名前と同じギリシャのハルキ島へも行っていますね。やはり、好奇心が旺盛というよりほかないです。夫人はまさか、「そんなところへ行ってどうするの?」とはいわなかったでしょうね?

Χαλκη Γεναρης 1986 part 1

村上は行く先々で美味しい料理を食べ、美味しい酒を飲み、それを事細かく書いています。私は食べることには無関心なたちなもので、「そういうものか」と読みました。私はどんなものでも、美味しいと思って食べます。村上に比べたら、私の舌はまったく肥えていないのでしょうね。

個人的な話になりますが、本作を読んでいる途中、電子書籍を読む端末のKindle Paperwhiteの最新版が発売になり、それに乗り換えました。読み心地はそれほど変わった印象はありませんが、液晶画面が少し大きくなり、たしかに読みやすいです。

次は、同じ村上の長編小説『国境の南、太陽の西』1992)を読み始める予定です。ヨーロッパから日本に戻った村上が、この作品では東京が舞台のようですが、書いているのは、すぐに移り住んだ米国だそうです。

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