村上春樹(1949~)の第6作品目になる長編小説『ダンス・ダンス・ダンス』(1988)を読みましたので、感想めいたことを書いておきます。
私はここ最近、村上の作品を読むことが多いですが、特別彼の作品世界に興味があるわけではありません。長編小説として読んだのは、大ブームとなった『ノルウェイの森』(1987)を、出版された時、単行本として読んだくらいです。
Amazonの電子書籍を利用するようになり、昔に出版された本でも手軽に読め、話題を集めることが多い村上の作品に接して置こうと考え、まとめて読んでいる形です。
今年の7月中旬、ポイントが30%ぐらい還元させるキャンペーンがあり、村上作品の多くが対象本であったことがひとつ。もうひとつは、キヤノンのミラーレスカメラを購入したことで、1万5000円分のキャッシュバックを得、それを消化することも兼ね、まだ読んだことがなかった村上の作品を12作品手に入れました。その後、3作品をプラスし、都合、15作品を出版年代順に読んでいるところです。
作品名 | 出版社 | 出版年月日 |
---|---|---|
風の歌を聴け | 講談社 | 1979年7月23日 |
1973年のピンボール | 講談社 | 1980年6月17日 |
羊をめぐる冒険 | 講談社 | 1982年10月13日 |
カンガルー日和 | 平凡社 | 1983年9月9日 |
ノルウェイの森 | 講談社 | 1987年9月4日 |
ダンス・ダンス・ダンス | 講談社 | 1988年10月13日 |
遠い太鼓 | 講談社 | 1990年6月25日 |
国境の南、太陽の西 | 講談社 | 1992年10月5日 |
やがて哀しき外国語 | 講談社 | 1994年2月18日 |
アンダーグラウンド | 講談社 | 1997年3月20日 |
辺境・近境 | 新潮社 | 1998年4月23日 |
スプートニクの恋人 | 講談社 | 1999年4月20日 |
アフターダーク | 講談社 | 2004年9月7日 |
東京奇譚集 | 新潮社 | 2005年9月18日 |
小澤征爾さんと、音楽について話をする | 新潮社 | 2011年11月30日 |
村上の長編小説を『風の歌を聴け』(1979)『1973年のピンボール』(1980)『羊をめぐる冒険』(1982)『ノルウェイの森』(1987)の順で読み、1988年に発刊された『ダンス・ダンス・ダンス』に辿り着いたというわけです。
時代を振り返ってみると、本作が発刊された1988年は、日本のバブル経済がはじけかかっていた頃にあたりましょうか。
今は村上の『遠い太鼓』という紀行文集を読み始めたところです。これはノンフィクションで、村上が日本を離れ、イタリアのローマを起点に、ヨーロッパに3年ほど滞在したとき、日記のようにして、書き残したものらしいです。この3年で、村上は37歳から40歳になります。
ヨーロッパで3年過ごし、その時に『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』、それから短編集の『TVピープル』(1990)を書いています。また、翻訳もしたそうです。
知る人がいない土地に妻とふたりで暮らしたのですから、執筆に集中する環境としては申し分ないでしょう。長編小説にとりかかると、簡単な日記を残すぐらいで、長編のことで頭がいっぱいになった、というようなことが、読み始めた『遠い太鼓』の「はじめに」に書かれています。
『遠い太鼓』を読み進めれば、『ダンス・ダンス・ダンス』を執筆している頃のことがもっとわかりそうです。しかし、それはそれがわかったときに書くことにして、まずは、本作を読んだ感想のようなことを、記憶が薄れないうちに残しておきます。
小説家が小説を書くとき、やり方はその人によって違うでしょう。全体の構成がしっかりできるまで書き始められない小説家がいる一方、とりあえず一行目を書き、書きながら自分の頭の中で短いストーリーを継ぎ足し継ぎ足しで積み上げる方法で書く小説家もいるはずです。
実際のところはわかりませんが、村上という小説家は、とりあえず何かを書き始め、書きながら物語を膨らませていくタイプのようにお見受けします。
これまで、デビュー作品から5作の長編作品を読んで気がついた村上の特徴のひとつは、名前を持たない主要人物が少なくないことです。小説家によっては、登場人物にふさわしい名前を考えることに時間を使ったりするかもしれないです。
それが村上の場合は、その作品を書き終えるまで、ある人物に名前をつけなかったことに気がつないのか、はじめからそのつもりがないのか、名なしで終わってしまったりします。
本作は『羊をめぐる冒険』の続編の位置づけです。私は『羊を_』を読んだばかりだったので、登場人物にすぐ馴染めました。主人公の「僕」は、『羊を_』で「冒険」をしたことで、自分の仕事に打ち込めない状態となっています。そんな「僕」に、『羊を_』で一緒に「大冒険」をした若い女に導かれ、その女に再会する旅に出発します。
耳のモデルもしていたその女に、『羊を_』ではとうとう名前を付けずに終わっています。そのままでは書きづらいと考えたからか、彼女に初めて「キキ」と名をつけるありさまです。『羊を_』の「僕」は猫を飼っていましたが、その猫には名前がなく、留守の間預かってもらう人間に適当に名前をつけてくれと頼み、その人が「いわし」と名前をつけると、悪くないと納得します。
名前といえば、「僕」が北海道の「いるかホテル」のあとに立っていた巨大なホテルの「ドルフィン・ホテル」で出会った13歳の美少女の名は「ユキ」といい、彼女の母親で才能豊かである代わりに、仕事に夢中になると娘の存在も忘れてしまう女性写真家の名は「アメ」です。
雨、いや、アメと、雪、いや、ユキです。
ちなみに、美少女のユキの口癖は「馬鹿みたい」です。
ほかにも、「僕」を取り調べるためにやって来た刑事は、いかつくて漁師のようだからと「僕」が心の中で「漁師」と名づけ、もうひとりは頭でっかちな文学青年のようだからと「文学」とするといったあんばいです。
「僕」の高校時代の唯一の友人で、今は何をやっても様になる美男子なのに、仕事と割り切って、下らない映画に出る俳優をする彼は「五反田(ごたんだ)君」です。
言葉遊びに付き合わされている気分です。
読者が付き合わされるのは村上独特のネーミングセンスだけではありません。話の展開そのものが、行き当たりばったりのような感じで、登場人物がどこかの段階で登場しなくなると、そのまま登場せずに終わってしまったりします。
「普通の」といういい方はヘンだとしても、いわゆる普通の作品(?)であれば、登場人物の関係性はそれなりに煮詰められており、途中で登場しなくなっても知らんぷりという描き方はしないものです。その意味でも、村上の作品は独特です。
それはまるで、娘の存在も忘れて仕事に熱中する女性写真家のアメのようでもあります。
そもそもの話、村上は、「これを書きたい」と強く思うことなく、何かのきっかけで何かを書き始めてしまうのかもしれません。書き始めたら書き始めたで、思いついたことを書き重ね、その挙句の果てで、最後までたどり着いたりするのでしょう。私の勝手な想像ですが。
本作には、見た目ではまったくわからない、誰もがガールフレンドにしたくなるような高級会員制の売春婦の「メイ」が登場します。「メイ」の家庭環境を次のように書く個所があります。ここで話しているのは、「僕」が勝手に「文学」と名づけた刑事です。
彼女の名前はメイで、職業は売春婦です。本名は……まあ別に本名はいらないですね。大した問題じゃない。生まれは 熊本です。父親は公務員です。あまり大きな市じゃないですけど、助役までやってます。ちゃんとした家です。金の面でも不自由はないです。仕送りだって充分に与えている。月に一回か二回母親が上京して服やら何やらを買ってやっている。ファッション関係の仕事をしていると家族には言っていたようです。兄弟は姉が一人、弟が一人。姉は医者と結婚してます。弟は九州大学の法学部に入ってます。りっぱな家庭ですね。何故売春なんかするんだろう?
村上春樹. ダンス・ダンス・ダンス (講談社文庫) (Kindle の位置No.7317-7322). 講談社. Kindle 版.
メイの部分を読んで、私は「あの事件はいつ頃起きたんだっけ?」と考えました。当時は世間を騒がし、週刊誌のネタにもされた「東電OL殺人事件」(1997)です。東京電力のエリート女性社員が、夜な夜な東京・渋谷の繁華街で売春行為をし、その果てに、殺されて遺体となって発見された事件です。
この事件では、殺された東電OLのイメージと彼女がしていた売春行為が結びつかず、話の種に晒されました。
本サイトでこの事件を取り上げた分を読み返しました。
被害者となる女性は、入社8年目に、本社からあるシンクタンクへ出向させられる降格人事を経験しています。それが偶然、今回取り上げている村上の『ダンス・ダンス・ダンス』が出版された1988年です。そして、彼女が売春行為をするようになるのは、本社に戻ったあとの1991年頃では、と書きました。
村上の『ダンス・ダンス・ダンス』はベストセラーとなりましたから、もしかしたら、被害者の女性も村上の本作を読んでいても不思議ではありません。その中に、メイという売春婦が描かれており、無意識に何らかのインスピレーションを受けた可能性も否定できないです。
ま、私の勝手なこじつけですけれど。
本作を書く村上は、当時の日本の世の中の在りようや、芸能界に良い感情を持っていなかったようで、登場人物の会話を借りて、不満を大いにぶちまけています。「屑のような映画しかない」といったように。
村上作品に特徴的なのは、村上が個人的に持つ音楽的価値をひけらかすことです。ひけらかすだけならまだいいのですが、価値を認めないものは容赦せず、罵倒します。
たとえば、当時のポップミュージックには容赦なく、徹底的にこき下ろします。
たとえば、カルチャークラブというバンドを馬鹿にし、リードヴォーカルのボーイ・ジョージ(1961~)を持ち出し、次のように「僕」が話す個所があります。
「 でもやってみる価値はある。ボーイ・ジョージみたいな唄の下手なオカマの肥満児でもスターになれたんだ。努力がすべてだ」
村上春樹. ダンス・ダンス・ダンス (講談社文庫) (Kindle の位置No.6981-6982). 講談社. Kindle 版.
私の個人的な音楽趣味をいわせてもらえば、村上が個人的にもお気に入りらしいビーチ・ボーイズやブルース・スプリングスティーン(1949~)ですけれど、個人的には好んで聴いたことがなく、今後も聴きたいとは思わないです。
また、映画の趣味も違いますね。『1冊でわかる村上春樹』に村上が最も好きな映画作品として次の3作品が上げられています。
個人的にはどれもあまり観たことがなく、好きにはなれません。ジョン・ウェイン(1907~1979)の映画は好んで観ようとは思わず、西部劇も好きではないです。戦争映画もあまり観ません。だからといって、村上のように、自分の好みと違うものを罵倒することもしませんが。
これまで読んだ村上の長編小説はいずれも一人称で書かれています。すべては主人公の「僕」の視線で描かれていることになり、その「僕」が結構自分勝手で、手前勝手な解釈をしてしまうため、ついていけなくなることが少なくないです。
また、この「僕」が、たびたび妄想や夢に惑わされ、それに読者が付き合わされることになります。どんな荒唐無稽なことであっても、「あれは夢でした」といえば許してもらえると村上は考えているのでしょう。
本作にはまた「羊男」が登場しますが、決着らしい決着もつけてもらえないまま、いつの間にか忘れられてしまう扱いです。
ラストも、「なんだかなぁ」といった感じです。ともあれ、これで、保作の続編のようなものは書かないつもり(?)でしょう。
紀行文集の『遠い太鼓』を読むことで、本作に何か関係がありそうなことがったら、そのときはまた本コーナーに書くことにします。