哀しい男と女の物語

本コーナーの前回分で、小池真理子1952~)の最新書下ろし長編作『神よ憐れみたまえ』を読み始めたと書きました。それを読み終えましたので、感想めいたことを書いておきます。

本作を読み始めるきっかけについては、前回分に書きました。朝日新聞土曜版に政治学者の原武史氏(1962~)が担当する「歴史のダイヤグラム」というコーナーがあり、その10月16日分は、最悪の鉄道事故とされる鶴見事故が取り上げられています。

それについて書いた中に、この事故を織り込んだ小池の最新作があることを知り、関心を持って読むことになりました。

事故は、前回の東京五輪の前年、1963(昭和38)年11月9日午後9時50分頃に起き、この事故により161人が亡くなりました。小池の作品は、事故の前に発生した殺人事件の現場から始まります。映像作品でいえば、始まってすぐのクライマックスといえましょう。

読み始めたとき、事件はすでに終わっています。そこはどことも知れない、ある住宅の一室で、部屋の中にあるスピーカーからは、チャイコフスキー18401893)作曲『弦楽セレナード』の調べが大きな音量で流れています。立ち尽くした男の足元には、良い暮らしを感じさせる衣服に身を包んだ40歳ぐらいの清楚な女性が横たわっています。息は既にありません。

Tchaikovsky: Serenade for Strings / チャイコフスキー弦楽セレナーデ【小澤征爾 / サイトウ・キネン・オーケストラ】デジタル録音高音質

現場からの逃走を終えるまで、小池は「男」と書くだけで、年齢も人相も明かしません。のちに本作を映像化するのとすれば、「男」の正体を明かして描くか、それとも明かさないまま描くか、制作者は判断を迷うでしょう。

男は物盗りの犯行に見せかける工作をしますが、そこへ、思いがけず、殺したばかりの女性の夫が帰ってきます。男は大混乱に陥り、その挙句に、夫の命も奪ってしまいます。

犯行現場の家を飛び出した男は、来るときに乗って来た自転車にまたがり、走り去ります。時間は夜で、雨が降っています。男は白い雨合羽を着ています。

男は国鉄の川崎駅を目指します。犯行現場となった家からは自転車で30分ほどの道のりです。男にとっては走り慣れた道でした。男は駅のトイレに入り、洗面所で手と顔をゴシゴシと洗い、鏡で自分の姿を確認します。人を二人殺してきたことを示す跡は見当たらず、男は丸めた雨合羽を小脇に挟み、下り列車の先頭車両に乗り込みます。

男は保土ヶ谷駅まで乗車するつもりでした。しかし、のちに鶴見事故と呼ばれることになる電車に乗り合わせてしまったのでした。幸い、男は1両目に乗っていたため、大きな被害に見舞われた5両目からは離れており、かすり傷も負わずに事故車両から逃れることができます。

原武史氏が鶴見事故について書いたコラムで小池の最新作を知り、読んでみましたが、事故が関係するのはそのときだけです。

事故の翌日、犯行現場となった家の家政婦をするようになって6年目の女が登場してきます。石川たづという女です。並みの器量で、人柄の良さが窺われます。たづがその家で家政婦を始めた翌年の1958(昭和33)年東京タワーが完成します。そんな時代に始まる話です。

1960年代の東京

たづの家は東京・大田区の千鳥町にあり、安普請の家です。たづはその家に、大工をする片足が少し不自由な夫と息子、娘の4人で暮らしています。

たづは、東急池上線でいえばひと駅離れた久が原にある黒沢家で家政婦をしており、自転車で通っています。大きな鉄道事故を知ったたづは、家政婦先の家の者が事故の被害に遭ったとは考えないものの、不安心に駆られ、日曜で家政婦の仕事は休みであったにも拘らず、甘く煮た小豆を持っていくことを口実に、犯行現場へ行き、変わり果てた夫婦の遺体に遭遇してしまいます。

驚きのあまり、たづは腰が抜け、失禁してしまうのでした。

黒沢夫妻には、一粒種の百々子(ももこ)という娘がいます。百々子が6歳のときからたづが働き始め、たづは家族にとても気に入られていました。百々子のことをたづは、百々子お嬢さまと呼び、それがのちには、愛情と親しみを込めて「譲ちゃま」と呼ぶようになります。自分の子供と年が近いため、我が子のように可愛がっています。

たづが仕える家は、有名な菓子メーカーの創業家の息子夫妻で、百々子は、大学の付属小学校へ通っています。その小学校の6年生になった百々子は、箱根にある学校施設で合宿するため、自宅にはいないのでした。そんな11月9日の夜に夫婦が男に惨殺され、百々子は一瞬にして一人ぼっちになってしまうのです。

論理を利かせた推理小説であれば、事件の謎解きにページを使い、事件を捜査する刑事と犯人の動きを追いますが、小池の本作は、事件に巻き込まれた人間を執拗に追っていきます。事件はなかなか解決せず、時間ばかりが流れていきます。

私が小池の作品として、本作の前に初めて読んだ『懐かしい骨 新装版』にしても、事件に巻き込まれた人間の心理が主に描かれ、取り調べる刑事の動きにはあまり力点を置いていなかった印象です。これが小池作品の持ち味といえそうで、本作でもそれに則った描き方をしています。

事件があった時、一人残された百々子は12歳で、事件が起きたのが1963年です。1963年から12を引けば1951年になり、小池が生まれた1952年の前年になります。小池は、自分が育ってきた時代を本作に重ねて描きたかったのかもしれません。

作中には、当時の流行歌がラジオから流れるシーンがあります。あるときは、橋幸夫1943~)と吉永小百合1945~)がデュエットして「第4回日本レコード大賞」(1962)に輝いた『いつでも夢を』(1962)が流れている、と描いています。

いつでも夢を

小池は、一人残された百々子を軸に描きますが、視点を百々子に定めることはしません。百々子の一人称で描いてしまったら、そのほかの人間の心理は、百々子の想像になってしまい、伝えたいことが伝えられなくなるから(?)でしょうか。

登場してくる人物の中で、生きるのが不器用な沼田左千夫という男が、私に近しいところがあるように感じました。

左千夫は、殺された黒沢家の御曹司の妻となった須恵の7歳下の弟です。姉の須恵は弟の左千夫を、成長してからも「左千坊」と呼んで可愛がっていました。須恵と左千夫は、父親が違う異父姉弟です。

左千夫はなかなか定職に就かず、生まれ育った北海道・函館の隣り町、湯川町に住んでいます。容貌に恵まれ、彫の深い顔立ちで、出会う女性には一目惚れをされます。しかし彼は、一度も靡(なび)きませんでした。

左千夫は役者志望で、東京へ出てきます。10カ月ほどは、姉の須恵夫妻の家に居候し、そのあと、独身寮のある保土谷の小さな電気会社に就職し、仕事の合間を縫って、毎土曜日、川崎の工場跡で芝居の稽古をする劇団に混じって発声練習などをしています。

2000年に亡くなった姉とは私も歳が離れており、姉とは8歳違いでした。左千夫と同じで、私も他人とはあまり口をきかないほうです。友達もいません。そんなところが、自分と近いように感じながら読みました。

ほかには、移動手段が自転車なのも同じですし、結婚せずに独身なのも一緒です。

もっとも、重要なポイントとなるところは、左千夫と私は違うと断っておきます。

本作を小池は、10年ほどかけて書きおろしたそうです。その10年の間に、小池は両親と夫を亡くし、家が火事で焼失することも経験しています。それでも書き上げたのは、どうしても書きたいことがあったからでしょうか。

とても哀しい話です。眠る前に読むと寝つきが悪くなるようなので、眠る前は、村上春樹1949~)の読みかけの『ダンス・ダンス・ダンス』1988)を読むようにしました。村上のこの作品であれば、胸が締め付けられるようなことがないからです。そんなときは、村上の作品も悪くないものです。

大学を卒業して、請われて結婚した夫に幻滅した百々子が男女の在り方について、次のように考えを巡らせる場面があります。

 男たちも女たちもあからさまな欲望の塊になっている。女を貫きたいという欲望に耐えられなくなる男たちの、なんと醜く浅薄なことか。男に貫かれたいと願いながら鏡に向かい、顔を塗りたくり、胸のあいた服を着る女たちの、なんと愚かで不潔なことか。

 ほしい、と願う感覚が、貫きたい、貫かれたい、と思うことと同義になってしまうことに、何の疑問も抱かずに生きていられる愚かな者たち。低俗で野暮ったく不潔な、日陰でまぐわう虫にも劣る存在……。

小池真理子. 神よ憐れみたまえ (pp.409-410). 新潮社. Kindle 版.

波乱万丈の人生を生き抜いた百々子が62歳になったとき、自分の記憶力に自信が持てなくなります。少し前のことが思い出せなくなったからです。

自分が自分であった記憶が失われる前に会いたい人がいました。

事件が起きた50年前のあの日、箱根から東京まで引率してくれた学校の恩師です。本当に久しぶりで会った恩師と教え子は、互いのことをまだ若いといい、歩んだ人生を称え合うのでした。

小池は、本作を書き上げ、筆者校正作業でゲラの最後の一行を読み終えたとき、予期せぬ涙に襲われたと「喪失と創作」に書き残しています。

その文章の最後に、本作のタイトルは、小池が愛聴するバッハ16851750)の『マタイ受難曲』の美しいアリアから採ったと書き、これ以外のタイトルはないと結んでいます。

バッハ《マタイ受難曲》「神よ憐れみたまえ」 アーフェ・ヘイニス

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