2008/3/17 シュミョ ワケタ(・_・?)

年度替わりが近づいてきました。学校では卒業式が行われ、通い慣れた学舎(まなびや)から巣立つ季節です。

その昔、今も聴くNHK-FMのリクエスト番組「サンセットパーク」(今の名称になる前は長いこと「夕べの広場〔地域によっては「夕べのひととき」〕の番組名で親しまれました)宛てに出したリクエストカードに、私は今の時期を「出会いと別れの交差点」と書きました。

卒業と入学を指す自分なりの造語ですが、私は独り「上手い表現だぁ」と自画自賛したものです。誰も感心してくれないもので(⌒▽⌒)

その卒業式ですが、私は感動の涙を流したことは一度もありません。そんな感情すらわき上がってきませんでした。今ではすっかり涙もろくなった私には信じられないことです。今の私がどこかの卒業式に出ることになったなら、はじめから終わりまで泣きっぱなしになると思います。

私は日頃から人との交流を避ける生活をしているため、結婚式に招待されて出席したのは数えるほどしかありません。今から7年ほど前、親類の結婚式に出ました。その時は“泣きのモード”に突入してしまい、人目も憚らずに涙を流し続けました。卒業式では一度も、一瞬も涙を流さなかった私だったのにです。

この人間の感情につながる話かどうかわかりませんが、少し前の新聞に載っていた“いい話”を紹介してみたいと思います。その話は、2月6日の産経新聞の連載コーナー「人、瞬間(ひととき) あの人」にありました。

このコーナーには各界で活躍されている著名人が週替わりで登場し、今も心に残る出来事や人との出会いなどを披露してくれます。その週登場してくれた著名人は、作家の宮本輝。見出しは「誠実で温かだった『ホンギ』」です。

宮本は物書きになられたくらいですから、もともと繊細な神経の持ち主だったのでしょう。大学卒業後に関西の広告代理店に就職したものの、ある日を境に、パニック障害に悩まされるようになったそうです。そんなこともあって、サラリーマンから作家へと転身することになったわけですが、その日披露された話は、まだ広告代理店に勤めていた24歳のある日の話です。

宮本が一人、大阪市内を走る地下鉄に乗っていると、突然、後ろから誰かに肩をポンと叩かれたそうです。おそらくは驚いて振り向いたであろう宮本の目に映ったのは、大柄で年老いた男でした。

宮本もよく知る男で、宮本は「お久しぶりです。父が亡くなったあの日以来ですね」とか何とか挨拶をしたそうです。すると男は、宮本の肩をしっかりとつかんで揺すりながら、「アンタニ シュミョ ワケタ」と泣きながら何度も何度も繰り返したといいます。

アンタニ シュミョ ワケタ(・_・?)

意味がわかりません。宮本は頭が混乱するやら恥ずかしいやらで、自分が降りるべき駅の一つ手前の駅で下車しまったそうです。電車のドアが閉まります。ホームに立つ宮本が電車内を見ると、大柄な男が中で、涙を流しながら宮本に向かって敬礼をしたそうです。それが、宮本が見た男の最後の姿となりました。

アンタニ シュミョ ワケタ
アンタニ シュミョ ワケタ
アンタニ シュミョ ワケタ

男が何かを必死に伝えたかったことはわかりました。が、肝心の意味を受け留め切れずにいました。

男は、戦前に朝鮮半島から渡って来たそうです。日本ではヤカンを作る工場に勤めたりしたため、「ヤカンのホンギ」と呼ばれていたそうです。男には妻と娘がいましたが、戦争で二人を亡くし、たった一人、日本で暮らしていたのでした。日本語はまったく話せません。

ここで、宮本のお父さんの話をしておきます。

お父さんはいろいろな事業に手を広げ、事業が順調にいっていたときには、お父さんの周りに大勢の人間が群がって来たそうです。それが、最後には借金だらけになり、お父さんに近づく人は一人もいなくなったそうです。

失意の中でお父さんはこの世を去りました。宮本が大学へ通っていた21歳の時です。

父親の葬儀に参列してくれる人はありません。そこへたった一人、「ヤカンのホンギ」こと在日韓国人の男がやって来たそうです。

宮本さんのお父さんが、ヤカン工場を解雇されて困っていたホンギに、自動車部品工場の夜警の仕事を口利きしてやったのです。ホンギは誰も続かない仕事を70歳を過ぎるまで続け、円満退社したそうです。

ホンギは日本語がしゃべれないため、火葬場でもただ黙って頭を下げるだけだったそうですが、まだ若かった宮本さんはホンギに人間の温かさを感じます。作家になったのち、宮本は『花の回廊』(流転の海第5部)という作品に、貧しくも誠実に生きた労働者として登場させたそうです。

アンタニ シュミョ ワケタ

地下鉄の中で男が何度も発した言葉の意味に、宮本さんはあるときふと思い当たりました。

あなたに…寿命…分けた

故国を離れて独り生きる男は、老年に達していました。彼には身寄りもなく、偶然出会った宮本が自分の唯一の身寄りのように感じられ、老い先短い自分のあとを宮本さんに託すつもりで、「自分の分もしっかり生きてくれ」と伝えたかった、のかもしれません。

これに通じる話かどうか、私の亡父の話を書き添えておこうと思います。

最晩年、父はベッドから起き上がるのさえ困難になりました。そのため、理髪店へ行くこともままなりません。そんな父の散髪にやって来てくれる中年女性がいました。家族で理髪店をしている女性です。

私はよく知らなかったのですが、彼女の両親は朝鮮半島から渡って来たという話です。ということは、在日2世ということになります。その女理髪師が、実に几帳面に約束を守っていたことを思い出します。

出張散髪で、自分の家の中でやってもらうため、床に新聞紙を敷いて女理髪師の到着を待ちました。女性は約束の時間ちょうどに現れ、父親の散髪をしてくれました。日本語は流ちょうですが、口数は多くありません。いつ頼んでも、嫌な顔ひとつせずにやって来てくれました。こんな個人的な思い出を、宮本さんの話を読んで思い出しました。

本コーナーで私は、「特亜(特定アジア)」などといったいい方をし、時に批判的とも受け取られかねない書き方をします。

ただこれは、これらの国々の強烈な反日姿勢が嫌だったり、あるいは、日本国内の反日勢力の動きが気に食わなかったりするからなのであり、それぞれの国の善良な個々人を嫌っているわけではありません。

昨日の本コーナーでもちょっと紹介した「NHKスペシャル」「北朝鮮帰国船・知られざる半世紀の記録」では、同じようにして、朝鮮半島から日本にやって来た人々の生き様が描かれていました。当局が狙った政治的な意図とは別に、2つの国との間で翻弄される当時の子供たちの記録映像は、日本人の私の目にも切なく映りました。

以上、本日は、若き日の作家・宮本輝さんが体験した“いい話”を紹介してみました。それを読む私は、新聞の活字を辿ることしかできませんが、その行間から、24歳の宮本さんが目にした、走り去る電車内で涙を流しながら敬礼をする老在日韓国人の姿が浮かんでくるようでもあります。

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