真の天才は稀にしか現れません。手塚治虫(1928~1989)は、誰もが認める天才の一人です。
私も昔から手塚治虫には強い関心を持っており、手塚が取り上げられたテレビ番組があれば必ず見、関連の本を見つければ、手に取ることが多いです。
手塚で不思議なのは、紛れもない天才でありながら、天才にありがちな歪なところが見つからず、彼がみんなに好かれていたらしいことです。
その手塚治虫について書かれた『別冊NHK 100de名著 わたしたちの手塚治虫』をAmazonの電子書籍版で読みました。
NHKEテレの『100de名著』の書籍版ですが、番組は2016年に制作され、11月12日にNHKEテレで放送されたそうです。
手塚を取り上げた番組であれば必ず見る、というようなことを書いておきながら、本番組は見ていません。今度再放送があることを知ったなら、録画して見ることにします。
本書では、各方面から4人の著名人に、手塚治虫を語ってもらい、それぞれ、お好みの手塚作品も披露してもらっています。
手塚治虫とは何者か | 斉藤環 | 『きりひと讃歌』『奇子』 |
未来のために手塚を読め | 園 子温 | 『火の鳥 未来編』『鉄腕アトム』 |
曖昧でいい わからなくていい | ブルボンヌ | 『リボンの騎士』『MW』 |
善悪を超えて生命は輝く | 釈 徹宗 | 『火の鳥 鳳凰編』 |
偶然でしょうが、斉藤氏と園氏、釈氏はいずれも1961年生まれです。ブルボンヌ氏は1971年のお生まれだそうです。
個人的には、トップバッターの斉藤氏が語る手塚治虫を面白く読みました。
斉藤氏は精神科医であるため、手塚の人間性を精神面で分析することをしています。それを読むことで、手塚が天才人でありながら、なぜ、常識的な振る舞いに終止することができたのかについて知ることができます。
斉藤氏は、手塚を精神医学的に見て、手塚を「循環気質の人である」と明確に書いています。
循環気質というのは、一般的にいわれている躁鬱気質のことだそうです。この気質を持つ人について、斉藤氏は次のように書いています。
躁鬱の人は、一般的にすごく社交的で責任感もあって、常識人であるケースが多く、彼も性格的にはそうしたタイプに分類できると考えられます。
斎藤 環; 園 子温; ブルボンヌ; 釈 徹宗. 別冊NHK100分de名著 わたしたちの手塚治虫 (Kindle の位置No.202-203). NHK出版. Kindle 版.
なるほど。私が記憶に残る手塚は、斉藤氏が指摘する通りの人物像です。それが、手塚の循環気質から来ていることは初めて知りました。
手塚は60歳で亡くなっていますが、生前に出演したテレビの映像を見ますと、実年齢よりも大人の人間に見えました。だらしのないところがなく、いつでも機嫌良くしていた印象です。
何かを表現する人は良くも悪くも気性の荒い人が少なくなく、近寄りがたいところがあったりするものですが、残っている映像を見る限りでは、手塚にはそういう面が皆無であったように思われます。
手塚は、生まれ持つ循環気質のほかに、もうひとつ、大きな特性を持っていた、と斉藤氏は述べています。それは、サービス精神が旺盛であったことです。
それは、手塚の本業である漫画製作にいかんなく発揮され、読者が待ち望む以上の作品を提供しましたが、手塚は人を喜ばせることが好きで、そのために自分の命を削り、サービスに徹していたことになりましょう。
家族にも愛された手塚ですから、順風満帆の人生ばかりだったかといえば、そうでもありません。手塚にも不遇の時代がありました。
『鉄腕アトム』などの作品で漫画の神様と呼ばれた手塚でしたが、リアルな作風の劇画が登場したことで、主役の座が怪しくなってしまいます。
手塚が作った虫プロダクションが倒産して、当時の貨幣価値で推定1憶5000万円の借金を背負うなどした1968年から1973年を、「冬の時代」と回想したそうです。
手塚がそれまで得意とした漫画の描き方は子供チックで、劇画が幅を利かせるようになって以降は、「手塚はもう古い」の認識が広がったりします。
いつでも愛想よく振る舞った手塚ですが、この時期は、内面では渋面を作っていたでしょう。
そんな、精神的にはきつかったであろう1972年から73年にかけ、『ビッグコミック』に連載した『奇子(あやこ)』が、斉藤氏のお気に入りの手塚作品になるそうです。
『鉄腕アトム』のような作品しか知らない人には、異質に感じられる作品が『奇子』です。私はもともと漫画を読む習慣がないこともあり、この作品は知りませんで、読んだことがありません。
斉藤氏が簡単なあらすじにまとめてくれていますが、それを読むだけで、新たな手塚作品の世界を知った気分になります。
物語の始まりは、第二次世界大戦が日本の敗戦で終わった時代の東北です。終戦から4年めの昭和24年1月、農村地帯にある大地主の実家へ、外地から天外二朗(てんげ・じろう)が復員してきます。
実家には父(52)と母(51)、兄(27)、兄嫁(23)が住んでいますが、仁朗が戦地へいっている間に奇子という少女(4)が生まれていました。しかし、その少女は、兄夫婦の子ではなく、父が兄嫁を犯して生ませた女の子なのでした。
この設定からして、読者を引き付けずにはおかないでしょう。その後も、人間たちが欲望をむき出しにし、先の全く読めない展開が待ちます。
近いうちに、自分の目で、その顛末を味わいたいと考えています。
斉藤氏の解説には出てきませんが、ネットの動画共有サイトで本作を検索したところ、次の動画が見つかりました。
あらゆることに強い興味を持つ手塚が、どうしても描かずにはいられなかったのか、当時の国鉄(今のJR各社)総裁だった下山定則氏(1901~1949)が、線路上で轢死体となって発見された下山事件を作品中に織り込んでいるそうです。
この事件は、真相が解明されないまま幕を下ろされたため、戦後最大のミステリーとして、今も議論を呼ぶ事件です。
この事件が手塚によってどのように描かれているのかも興味があります。
斉藤氏は、『奇子』に、手塚がそれをいかんなく発揮した「ポリフォニー」が如実に表れていると述べています。この分析も、斉藤氏以外の人の手塚作品解説では、私は聞いたことがありません。
「ポリフォニー」は、元は音楽用語で、「多声音楽」の意味だそうです。
物語小説と同じように、漫画にも多くの登場人物が登場します。それぞれの人物は独立し、それぞれに独自の性格を持ちます。
しかし、ポリフォニーで作品世界を表現する作家と、ひとつの声を響かせることしかできない作家に分かれるそうです。
斉藤氏が後者の例として挙げるのは、ロシアの作家、レフ・トルストイ(1828~1910)です。彼が描く作品世界には夥しい数の人物が登場し、銘々でいいたいことをいっているように描きながら、彼らが話す内容は、作家の分身になっている、と斉藤氏は述べます。
作家がいいたいことを別々の登場人物にいわせているだけで、登場人物を増やしても、結局は、作家の独り言になってしまう、というわけです。
対照的な作家が、トルストイと同時代を生きたヒョードル・ドストエフスキー(1821~1881)だと斉藤氏はいうわけです。
ドストエフスキーの作品に登場する人物たちは、一人ひとりが独立した個人で、それを書く作家からも独立している、ように斉藤氏は読んでいて感じるとのことです。
こうした表現がポリフォニーで、手塚の『奇子』もその手法で描かれている、としています。
そうはいわれても、手塚も自分の内面をそれぞれの登場人物を借りて表現することをしているはずで、それを読者に気づかせないほど描き方が巧み、ということにはならないのでしょうか。
手塚のポリフォニー的手法は『奇子』に限らず、ほかの作品でもそれが際立っていると斉藤氏は述べています。
漫画ができ上がるまでには、多くのスタッフの手を借り、現代はより多くの人間が加わっているでしょう。手塚が活躍した時代は今よりも少ない人数で出来上がっていたでしょうから、作家の考えがよりダイレクトに読者に届けられたことでしょう。
漫画のコマ割りに無駄はなく、ひとコマひとコマには、漫画家が描く顔と感情と意味が満載されています。それだから、漫画家の自己愛に満ち満ちしてしまう恐れがあります。
その点、手塚は、漫画を物語重視で映画的に描くことで、それぞれの登場人物が、物語を進める生きた人間になり、それが手塚的ポリフォニーになっているのだろう、と斉藤氏は分析しています。
そのような表現を手塚が実現できたのは、手塚が教養人であったからだ、と斉藤氏は述べます。
斉藤氏は教養人を次のように定義しています。
私の考える教養人の定義というのは、知能の高さや、博識かどうかとはあまり関係なく、「 知識を身体化できる人」、これに尽きます。知識を情報としてインプットするだけで終わらず、自身の身体性の中にそれを位置づけ、文字通り血肉化した上で、それをアウトプットできるかどうか、その能力を「教養」と呼んでいます。グーグル型の知性の対極に位置づけられるような知性のあり方、とも言えますね。
斎藤 環; 園 子温; ブルボンヌ; 釈 徹宗. 別冊NHK100分de名著 わたしたちの手塚治虫 (Kindle の位置No.449-453). NHK出版. Kindle 版.
手塚治虫という漫画家は、組めども尽きぬ、底なしの井戸のような存在ですね。
これはもう、天才というよりほかないでしょう。