読み終えたばかりの小説に「偽石灰」という用語が出てきます。私は初めて目にした用語です。
その用語が出てくるのは、松本清張(1909~1992)が月刊雑誌『文藝春秋』に1970年1月号から翌1971年の3月号にかけて連載した長編小説『強き蟻』(1971)です。
例によってAmazon Kindleの電子書籍版で読みました。たまには清張の小説を読んでみようと思い、Amazonであたると、たまたま40%のポイントが還元されることを知り、早速読みました。
ほかに、清張の作品で、まだ読んだことがなかった『不安な演奏』(1972)も同様のポイントが還元されていたため購入し、今読んでいるところです。
ネットの事典ウィキペディアで『強き蟻』を引いてみると、ピカレスク小説に分類しています。悪者を主人公にした小説です。
清張の作品といえば推理小説ですが、本作は、人間であれば誰しもが持つ猜疑心を描いているように感じました。
30歳ほど上の再婚者と結婚した沢田伊佐子という30代後半の女が主人公です。伊佐子は発展家で、良くも悪くもあくが強く、出会う異性をことごとく自分に引きつける才能、といえるならば、そんな能力を彼女は憎らしいほど持っています。
これが良い方へ回転すれば恵まれた人生を歩めたでしょうが、伊佐子の場合は反対の方向へ転がっていきます。
この手の女に近づいた男は、吸血鬼に生き血を吸われるように、身を滅ぼされていきます。
読み進めても、これらしい事件は起こらず、伊佐子と、伊佐子に近寄る男の嫌な面ばかりを読まされ、嫌な気分になります。
ある若い女の死を巡り、女の死因が裁判で争われます。その場面で「偽石灰」という用語が登場します。
死因を巡って対立するのは、遺体を解剖した解剖医と、弁護人がすがる法医学者です。読者は、被告の弁護をする佐伯義男という男(伊佐子より2歳下の妻子持ち)の話を通して裁判の様子を知る形を採ります。
被告は石井寛二という若い男で、伊佐子と肉体関係があります。伊佐子は自分の将来にとって石井は邪魔な存在で、石井に弁護士をつけながら、刑務所からはすぐに出てきて欲しくない矛盾した欲求を持ちます。
石井が同棲していた女と諍いになり、女を押し倒し、その勢いで女が後頭部を流し台に打ち付け、後頭部を負傷します。その後、医院で手当を受け、大丈夫だと思っていた女が、部屋へ戻ってみると布団の中で様態が悪くなっているのがわかり、やがて死亡します。
枕元には睡眠薬のビンがあり、半分が空になっていました。石井は女に暴力を奮ったことは認めますが、それが死の直接の原因ではなく、女が睡眠薬で自殺をしたと主張するのです。
死亡した女の胃の中に睡眠剤の欠片があったのに、それを調べなかったことを突かれた解剖医が次のように反論する場面があります。
例をひくとこういう場合が考えられる。睡眠剤をたまたま自殺の目的で飲んだといたします。飲んだ直後にたとえば強盗が入ってきて殺したというような場合には、その死因はあくまでもあとから入ってきた強盗の傷害であって、睡眠薬の中毒ではない。しかも解剖してみると胃の中に錠片のようなものが出てくるが、それは中毒になってない。普通睡眠剤の検出毒物の検査を多少でもやったことのある人なら、わたしのやったその形式的な方法が一番正しい方法であるということが云えるんじゃないかと思います。
松本清張. 強き蟻 (Kindle の位置No.2665-2669). . Kindle 版.
すなわち、女が睡眠剤を飲んだのは確かだとしても、それが中毒症状を起こす前に、後頭部の挫傷が原因で命を落としたという解釈です。その証拠に、彼女の血液と尿から、睡眠剤の反応が出てこなかったというわけです。
結局のところ、「偽石灰」がどういうものか、私の理解力が足りないせいか、よくわからないままです。
弁護士が用意した法医学者が偽石灰ということをだいぶ問題にされているようだ、と疑問を持たれた解剖医が反論し、法医学者に偽石灰とはどういうものかと電話で訊かれたので、解剖医が、偽石灰とはこういうもので、こういった文献をお読みなさい、と答えたとあるだけです。
弁護の側につく法医学者が、自殺の可能性とする睡眠剤の欠片は、中毒を起こしておらず、その睡眠剤の欠片は「偽石灰」に過ぎない(?)ということでしょうか。
ともあれ、本書から引用した部分を読み、私は今の新コロ騒動を重ね合わせました。この場合は、逆の意味になりますが。
引用のたとえ話に倣えばこうなります。
ある人が強盗に襲われ、命を落としたとします。死因はもちろん、強盗の暴力による怪我です。
ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)検査で陽性反応が出れば、死因が新コロになりかねません。
笑い話ではなく、交通事故で亡くなった人が、その後にPCR検査を受け、陽性であったため、死因が新コロになった例があったとかなかったとかという話です。
そんな馬鹿げた話は許されません。ところが、マスメディアは一様に新コロの恐怖を煽るのに懸命で、事故死の人の死因が新コロなることに懸念を示すどころか、進んで新コロ死受け入れ、その集まりで、なんちゃって新コロ死者数が増えているだけなのに、今日は新コロで何人が死んだ! 本当に恐ろしい感染症だ! と煽り報道を続けています。
少し前、本サイトである動画を紹介しました。
その動画では、今の新コロ騒動の疑問点を多数指摘しています。その中に、日本の新コロ感染者⇒ PCR陽性者の約8割が国籍不明と伝えています。
私も以前から、PCR陽性者に日本人以外の人が含まれることを聞いて知っていましたが、それが8割にも達するのだとすれば、自分の想像の遥か上を行っています。
これが事実であれば、マスメディアが報じ、分析をしてほしいです。が、すでに別の例で書きましたように、マスメディアにそれを期待することはできません。
何らかの利権か、悪巧みにマスメディアが組み込まれてしまっており、いまさらそれから抜け出ることができなくなっているようですから。
この土曜日(27日)、朝日新聞の一面で、福岡国際マラソンを、今年12月に開催予定の第75回大会を最後に終了することを報じました。
この大会を主催するのは、日本陸上競技連盟と朝日新聞、テレビ朝日、九州朝日放送です。
終了する理由に、近年はエリートマラソン大会よりも、トップ選手と市民ランナーが参加する大都市型マラソンが主流になっていることや、選手の招聘や財政面で大会運営が厳しさを増していることをあげています。
端的にいえば、大会を支えられるだけの体力を新聞社が維持できなくなったのが大会終了の最大の理由でしょう。
びわ湖毎日マラソンも、今年の2月の大会をもって、75年の歴史に幕を閉じています。この大会の主催も毎日新聞でした。
新聞の発行部数が急激に落ちているという話をよく耳にします。発表される決算でも、大手新聞社が巨額の赤字を計上しています。
系列のテレビ局も状況は似たりよったりでしょう。新年度に替わり、民放のワイドショーの多くが大幅な模様替えをしています。その多くで、それまで司会をしていたタレントの起用をやめています。
その背景は、新聞社が抱える状況と同じで、財政面が厳しさを増していることがあります。
年々新聞を取る家庭が減っています。若い世代は元々新聞を取る人が少なく、団塊の世代から次の世代に変わったら、新聞という文化を維持すること自体が難しいといわれます。
それに加えて今の新コロ報道です。
新コロ騒動の嘘に気がつく人が増えています。国民の大半がそれに気づいたなら、今ある新聞社とテレビ局は全滅です。国民の猛烈な怒りは、マスメディアへ向かわざるを得えない事態となるでしょう。
新聞社が主催する高校野球の全国大会や、将棋のタイトル戦の行方も、雲行きが怪しくなってきたように感じないでもありません。