自分の適性を知るのは乱歩にも難しかった

『屋根裏の散歩者』1925)といえば江戸川乱歩18941965)の代表作の一つになりましょう。

乱歩は今でいう推理作家、乱歩が執筆していた頃は探偵小説作家といわれます。私もぼんやりとそんなイメージを長いこと持っていました。が、実は、乱歩自身は事件の謎を探偵が解いてみせるような作品を得意としていなかったのであろうことを知りました。

そうしたイメージを持つようになったのはつい最近のことです。昔にも乱歩作品は読み、乱歩を研究した類の本も読んでいます。それらを読むことで、変人の部分を持ち、自分にも似たところがあるため、勝手に親近感を持ったりもしましたが、創作にどのような苦しみを持っていたかというようなことは深く考えたことがありませんでした。

それを知るきっかけとなったのは、小学館から出ている『江戸川乱歩 電子全集 随筆・評論集』を読んだことによってです。これはAmazonの電子書籍版で出ていますが、定価に50%のポイントがつくキャンペーンがあったとき、全5集をまとめて購入しています。

この随筆・評論集では、集によって多少の違いはあるものの、乱歩が書き残した随筆や評論、作家仲間や探偵小説好きの人による座談会などが載っています。また、乱歩を研究されている小松史生子氏(1972~)の解説が、それぞれ巻の期間の乱歩と乱歩作品を解説してくれています。

乱歩は、自作の小説の執筆では筆が遅く、連載を途中で中断することもありますが、雑誌や新聞で何か文章を書いてくれるよう頼まれると、何も書くことがないから無駄話になると断りの文章などを入れながら、文章を書いています。

乱歩は大変な整理魔です。自分が書いた原稿や手紙はほとんどを保存しています。それらが年代順に5集に分けてすべて紹介されているわけですから、その量たるや大変なものです。

第二集の目次を確認すると、項目が150ほどあります。項目によって、長さは長短さまざまではありますが。

私が昔に購入した大型の乱歩本には、自分の小説の広告が載った新聞の切り抜きなどを貼って保存したものが紹介されていた記憶があります。その本についてネットで検索すると、『貼雑年譜』1989)で、発行部数は多くなかったと思われます。

私が持っている本もその1冊にあたり、貴重なものかもしれません。これを投稿したあとは、その本を捜す時間にあてましょう。

私は5集の第2集から読み始め、それをなんとか読み終わったあと、第1集に戻り、読み終わりました。今は第3集に取り掛かっているところです。

第1集と2集を読んだだけでも、乱歩が自作の執筆にどれだけ苦労し、出来上がった作品に満足できなかったかが窺われます。

乱歩は自作への評価が低く、それが強いため、世に出てしまった自作を書いた自分を恥ずかしく思い、1年以上もまったく原稿が書けないといったことを繰り返しています。

そのあたりのことは、本コーナーで書いたことがあります。

乱歩の随筆や評論などをまとめた小学館の全集第1集には、それぞれ別の年に行われた座談会が四つ紹介されていますが、昭和3(1928)年の座談会は、冒頭から、乱歩の長編小説は感心できない、と作家仲間の巨勢洵一郎に強烈に指摘されることから始まっています。

たとえば、次のような調子です。

巨勢  投げた傾向が見えるね。第一君も断つてゐるけれども、まるでテンポが合はないのが大部分だ。

江戸川  テンポが合はない、それは後半の方を投げなかつたからです、初めの方を投げて置いて。

巨勢 「闇に蠢く」なんか終ひまで投げてゐると思ふ。

江戸川  あれは投げて居ないがな。

巨勢  少なくとも何物かを憚つてゐるやうな気持が鮮明に出て居る。書きたい〳〵と思ふことを書かなかつた様な。

江戸川  だがね。僕は「湖畔亭事件」といふのを一番投げて居るのですが。

巨勢 「湖畔亭事件」が一番纏つて居る。

江戸川乱歩. 江戸川乱歩 電子全集16 随筆・評論第1集 (Kindle の位置No.6508-6514). 株式会社小学館. Kindle 版.

どんな人でも、自分はこんなことをして生きていきたいと考えたりするでしょう。そう考えるからには、それが自分に一番合っていると考えるからだと思います。しかし、えてして、自分の望みが実は自分の適正でないことが少なくありません。また、それに自分で気が付けることがこれまた少ないときています。

後世には「大乱歩」と称されることになる乱歩ですが、生の乱歩を生きる乱歩は、戸惑いの日々を過ごしています。

巨勢にけなされた長編作品も、書き始める前はそれなりに見通しがあり、悪くない作品に仕上げる自信もあったでしょう。また、これらの作品の評価は、当時と今は異なっていたりもします。

乱歩は自分の随筆で何度も書いているように、自分の性格に飽きっぽいところがあることを認めています。それだから、乱歩といえばよく知られる話ですが、小説家に落ち着くまで、数多くの転職をしています。

第1巻には、『大衆文學』(平凡社)の月報(1927年10月)に載った『江戸川乱歩略歴』がありますが、自分の職業遍歴を次のようにあからさまにしています。

活版職工、政治雑誌記者、英語の家庭教師、市立図書館員(以上在学中)大阪貿易商手代、鳥羽造船所社員、東京団子坂にて古本屋(※「三人書房」)経営、東京パツク編集、支那ソバ屋、東京市公吏、大阪時事新報記者、東京日本工人クラブ書記長、東京市外某化粧品製造所支配人、大阪某弁護士の手下となり会計整理手伝ひ、大阪毎日新聞社広告取り、探偵小説書き、合計十六。

江戸川乱歩. 江戸川乱歩 電子全集16 随筆・評論第1集 (Kindle の位置No.3674-3677). 株式会社小学館. Kindle 版.

はじめの四つは在学中とありますが、上の学校への進学を考えた頃、父の事業が失敗して破産していたため、親の世話にはならず、乱歩は働きながら学校へ通ったのです。

本日の豆知識
当時の日本の学校は、小学6年、中学5年、高等学校3年、大学3年となっていたそうです。

『江戸川乱歩 電子全集 随筆・評論集』には、乱歩が自分の子供の頃から作家となった今までを振り返る『探偵小説三十年』があり、その中で当時を振り返り、上の学校へ進学した頃のことを次のように書いています。

私は丁度、高等学校の入学試験を受けようとしてゐた時、父の破産に会ひ当時は苦学の因縁であつた官立学校を思ひとどまつて、それの可能な私学を志したのだが(実を云ふと、休んでばかりゐた為に、中学の成績も余りよくなかつた私は、高校の入試を受けなくてもすむことを、却つて喜んでゐた形跡がある) 早大の予科へ、しかも中途から編入したので、予科は正味一年余り、その上稼ぎながらの通学であつたから、時間もなく本を買ふ金もなく、広く先人の名著に目をさらすなど思ひもよらぬことであつた。そして、大学部になると、基礎教養は乏しいまゝに、やはり専門の学問に興味が生じてくるので、その方に忙しく、一般的教養を身につける時間はなかつた。

江戸川乱歩. 江戸川乱歩 電子全集18 随筆・評論第3集 (Kindle の位置No.9798-9804). 株式会社小学館. Kindle 版.

『世界探偵 小説全集 第二十三巻 乱歩集』(博文館1929年7月刊)に添えた『あの作この作』は、この乱歩集に収められた10篇の作品を自分で解説しています。

その一つが『屋根裏の散歩者』(1925)です。

私が所有する『屋根裏の散歩者』復刻版

これを書いた頃、乱歩の父は重い病で、医者に見放されるような状態にあったようです。父は大正14(1925)年に亡くなることになりますが、晩年の短い期間、三重県の山中にある宗教施設のようなところで、父は妻に看護されながら暮らすことをしたようです。

その頃、乱歩は締切が迫る原稿を抱え、その一方では父の見舞いもしなければならないと、苛ついた精神状態にあったようです。そうした折、父を見舞うために行った山中の小屋で、古畳に腹ばいになって『屋根裏の散歩者』の結末を書いたのだそうです。

当時を思い出し、乱歩は次のように述懐しています。

無論間に合はせなメチヤ〳〵なものだつた。そして、何とも云へぬ不快な気持で、出来上つた原稿を持つて、関の駅(関駅)まで何里かの道を歩いて郵便にした。

江戸川乱歩. 江戸川乱歩 電子全集16 随筆・評論第1集 (Kindle の位置No.4959-4960). 株式会社小学館. Kindle 版.

この作品の構想を立てたときは、痕跡を残さない殺人であったそうです。それをどうすれば実現できるか考え、天井に空いた節穴が利用できないか、と考えを発展させていったようです。

しかし、出来上がった作品は、乱歩の思惑を離れ、これこそが乱歩の持ち味であることを、乱歩以外の人によって評価されることになります。

乱歩としては本格的な謎解きの小説を求め、それが自分に書けずに苦悶します。しかし、乱歩の望みが乱歩の適正でないことに、乱歩自身が気づけずにいます。

『屋根裏の散歩者』でいえば、殺人のトリックに読者が魅了されるわけではないと思います。主人公の郷田三郎が、自分の住む下宿の屋根裏に忍び上がり、天井板に空いた節穴から他人の生活を覗き見る猟奇的な行為にこそ魅せられるのです。

発表当初、節穴から紐を垂らし、その紐に毒薬を滴らせて殺害する行為は非難を被ったと『あの作この作』でも書いています。また、世の中にはお節介な人が多く、毒薬の組成や致死量などについて疑問をふっかけられたりもしたそうです。

しかし、乱歩の持ち味は殺害方法そのものではなく、それ以前の、他人の生の生活を覗き見る行為にあることがわかれば、毒薬や殺害方法などについての云々は些末なことに思えます。

乱歩はほかにも『人間椅子』(1925)や『芋虫』1929)などを書き、乱歩しか書けないような倒錯した独特の世界観を獲得しています。これらの作品を残したことで、乱歩は後の世まで高い評価を受けるのです。

それなのに、それらを書いた乱歩は、自作に満足できず、「こんなものを書いてしまった」というように自責の念を持ちます。

こういったことを知りますと、自分の適性を自分で知ることがいかに難しいことかわかります。大乱歩になる乱歩にさえそれがわからなかったのですから。

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