なんの知識も落たず、松本清張(1909~1992)の『波の塔』上下2巻を、Amaonの電子書籍版で読みました。
これも、Amazonの電子書籍を扱うKindle本ストアの8周年記念を祝い、該当する電子書籍に50%のポイントがつくキャンペーン(5日で終了)時に購入したものです。
清張の作品ですからスイスイ読めてしまうわけですが、上巻を読んでも殺人事件は起きません。清張といえばそうした事件が起きるものと思っていたのです。結局、下巻を読んでもそれは起きずに終わりました。
清張としては珍しい、恋愛小説の形を採っています。女性向けの週刊誌『女性自身』に連載(1959年5月29日号~1960年6月15日号)する形を採ったため、女性の読者を意識したのでしょうか。
清張作品は映画化やテレビドラ化されるものが多いですが、本作はそれがとりわけ多く、連載が終わった年には早速映画化が実現しています。その後、テレビドラマがこれまでに8本作られています。
ネットの事典ウィキペディアで映画化やドラマ化時のキャストを確認しますと、どれもが期待できる仕上がりにはなっていないように私には感じました。
本作の筋をなぞるように描けば、主人公は誰もが振り返るような30前の美女、結城頼子(ゆうき・よりこ)で、頼子に一途に恋心を持つ新米検事の小野木喬夫(おのき・たかお)になりましょう。
いずれの映画やドラマでも、この二人に主演俳優をあてています。
しかし私は、頼子と頼子の夫・結城庸雄(ゆうき・つねお)の得体のしれない夫婦関係が本作のメインテーマだろうと考えます。
小野木が頼子に恋する設定も、頼子と庸雄の世間一般からはかけ離れた関係を際立たせるために清張が用意した設定のように勘ぐらないでもありません。
途中まで、庸雄はまったく登場しません。頼子が結婚しているかどうかもわからず、それでも小野木は頼子に近づいていきます。はじめは自分の名前も小野木に教えないほどです。
頼子が小野木に会いたくなったとき、小野木の勤め先へ電話を入れるだけです。小野木は頼子がどこでどんな風に暮らすかも知らず、電話番号も知りません。
東京郊外にある深大寺へ行きたいといえばそこへお供し、横浜の海を見たいといえば、翌日に仕事の予定があっても、夜の海へタクシーを走らせます。恋する男の性(さが)とはいえ、小野木は主体性が希薄で、歯がゆくなります。
途中から登場してくる庸雄は金回りが良いことはわかりますが、それでも、どんなことで金を儲けているのか、清張は読者になかなか教えません。
これより前、庸雄らしき男が、店内にいる小野木を居合わせたどこかの男としてから眺める場面がありますが、清張が庸雄と名前を書いて彼を初めて登場させるのは次の場面です。
結城頼子が座敷にもどったとき、夫は、黒檀の台に肘をもたせて、女将と小さな声で話していた。
結城庸雄は背の高い男で、まるい体の女将と話をするため、細身を前向きにかがめている。額が広く、鼻梁が高い。すこし長顔で、彫りが深く、いつも、眉をややひそめている癖は、苦味走った中年の好男子という印象があたる。玄人筋の女性に好かれる顔だ、と夫の友人が頼子の前で言ったことがあった。
松本 清張. 波の塔(上) (Kindle の位置No.2085-2090). 文藝春秋. Kindle 版.
上の描写にあるように、庸雄は長身の冷たい印象の色男です。口数は極端に少ないです。その雰囲気が玄人筋の女には好かれるようで、バーに入れば、たちまち女たちが寄ってきます。そんな女たちにも庸雄は冷たい顔を見せるだけです。それでいて、庸雄と関係を持ちたい女が順番を待つ形です。
庸雄の役が務まりそうな俳優が思いつきません。日本にいるでしょうか。見た目だけの薄っぺらな男では駄目です。頭がキレることを感じさせる顔を持つ者でなければなりません。
庸雄は週に数日しか自宅に戻りません。10日以上家をあけることも珍しくありません。そんな庸雄に頼子が小言をいうことはしません。趣味の良い家に、頼子は女中(30手前)といる時間が長いです。
夫婦の会話は必要最小限のものしかありません。それでも、深夜に夫が帰宅すれば、それが何時でも、頼子は起きて庸雄を出迎えます。夫の部屋までついていき、着替えを手伝います。
夫婦は別々に広い部屋を持ち、そこで個別の時間を過ごします。
庸雄の部屋にある机の上は、一冊の本も置かれていません。部屋に入った庸雄は、何をするでもなく、同じ姿勢で長い時間、何かを考える顔つきをします。
夜中に帰ってきたばかりの庸雄が、すぐまた家を出ることもあります。そのときは、頼子はまた庸雄に呼ばれて部屋へ行き、着替えを手伝います。そのあと、玄関を出ていく庸雄を見送ります。
どこへ行くのか訊くことはしません。いつ戻るかも訊きません。夫が出かけたことを確認した頼子は、ベッドに入って独りで眠るだけです。
庸雄も頼子に干渉しません。自分が家に戻ったとき、頼子が家にいるのが当たり前と考えるだけです。暴力沙汰は一度もありません。声を荒げることもありません。
そこにあるのは、氷よりも冷たい夫婦関係だけです。
こんな二人の関係を知りますと、興味がわくでしょう。
本作が連載小説ではなく、短編でも良かったのであれば、頼子に恋し、頼子も恋する小野木との話はすべてカットしても良かったかもしれません。そのほかに、周囲で起こる様々な出来事や登場人物も、思い切って省いてしまうことも考えられます。
登場人物を庸雄と頼子だけにし、この不可思議な関係を突き詰めて書けば、深く考えさせる作品に仕上がった(?)と思えなくもありません。
私は本作にこんなイメージを抱くため、私に本作の映像化が許されるのなら、庸雄の視点で描くことを考えるかもしれません。具体的にどうするか、私には思いつけませんが。
後半、庸雄が活動的に動く場面があります。
若い愛人を伴って、地方の温泉宿へ列車で向かいます。庸雄と一緒にいられるだけではしゃぐ女ですが、庸雄は冷たくむっつりしています。
一緒に温泉に入ろうとねだる女に、「俺はあとでいい」とひとりで行かせ、風呂を上がって女が部屋に戻ると、庸雄はそこにいません。
ややしばらくして庸雄が戻り、庸雄は女に東京へ戻れと告げます。泣きじゃくって抵抗する女を相手にせず、有無をいわせず、東京行の列車に乗せます。女は別れ際、庸雄に「鬼!」といいます。
女が乗った列車が去ったあと、庸雄は何もなかったかのように、夜の宿を出ていきます。
庸雄がどんな心の闇を抱えて生きているのか、気になりませんか? 気になる人は本書上下2巻を読んでみてください。清張の筆致が、その疑問を説いてくれるかどうかは保証の限りでありませんが。