このところは村上春樹(1949~)の小説や関連本を取り上げることが続いています。今回も村上関連本についてです。
村上が書いた小説を読みますと、ときに格好をつけて書いたような文章に辟易することもありますが、対談でしゃべる村上の生のおしゃべりや、エッセイなどで見せる文章には村上の素の顔があり、憎めない印象です。
今回は、そんな村上の素の文が楽しめる紀行文集『ラオスにいったい何があるというんですか?』(2015)です。「あとがき」に本書の成り立ちについて記しています。
出版されたのは2015年ですが、それまでの20年ほどの間に、村上がいくつかの雑誌のために書いた原稿をまとめた本だそうです。内容は、かつて村上が住んだ外国の土地や、旅で訪れたときの様子をまとめたものです。
全部で11あり、この内、米国のボストンについて書いたものはかつてあたった雑誌『太陽』の1995年11月号臨時増刊に、アイスランドについてのものは”TITLE”という雑誌の2004年2月号、唯一日本国内の土地として熊本を取り上げたものは雑誌“CREA”2016年12月号に載った文章だそうです。
11の旅先については、本書について書かれたネットの事典ウィキペディアに記述されていますので、それを御覧ください。
ボストンとアイスランド、熊本以外の紀行文は“AGORA”に載ったそうです。これは、知っている人には説明が必要でないでしょうが、日本航空のファーストクラス向けに編集される会員誌だそうです。
私はファーストクラスはおろか、生まれてから旅客機には一度も乗ったことがありませんので、そんな会員誌があることも知りませんでした。
こんな私ですが、一度だけ空中を舞ったことがあります。それは、小学生の低学年だったときです。ヘリコプターの遊覧飛行があり、父と二人で乗ったのです。
それは正月で、雪がめったに降らない当地で雪が降った翌日で、下界が雪で白く見えたのを憶えています。
私はなぜかヘリコプターという乗り物が好きです。中でも好きなのは「ベル47」というモデルです。私が小学生の時に乗ったのも、おそらくこのヘリコプターではないかと思います。
上で紹介した動画を見る限り、パイロットを入れて2人しか乗れないようですね。ということは、私が乗ったヘリは、パイロットの他、私と父が乗ったのですから、別の型になりましょうか。
好きなくせに、ヘリコプターの型とかには全然詳しくないです。
日航の会員誌”AGORA”の話から脱線してしまいました。この日航の会員誌に書いた文章は、スペースが限られていたため、短い文章にせざるを得なかったそうです。
村上は短すぎると感じ、会員誌用に書いたショートバージョンのほかに、長いバージョンを発表する予定もないまま書いて残したそうです。そのロングバージョンが今回の紀行文集で日の目を見たことになります。
ですので、”AGORA”で村上の文章を読んでいる人も、より詳細に書かれたバージョンを本書で読むと、また別の感想を持たれるでしょう。
文章を書くのは当たり前ですが村上一人ですから、村上がたった一人で世界を飛び回るイメージがあります。しかし、村上の旅には必ず同行者がいたのでした。
それぞれの旅には、村上が収まる写真も添付されています。自分が映る写真を自分で撮ることは、セフルタイマーを使えばできます。しかし、写真の趣味のなさそうな(?)村上が、そんな面倒くさいことをしてまで写真を残すようには思えません。
“AGORA”の取材には、写真係の写真家と、編集者一人が同行したそうです。
また、米国のボストンは、村上が米国に住んでいた土地の近くを訪れたときに書いたもので、このときも村上一人ではなく、妻が同行しています。
また、アイスランドは、その年の9月に「世界作家会議」のようなものが催され、その類の集まりを苦手とする村上ですが、迷った末に会議に参加するために当地を訪れたと書いています。この旅にも妻は同行しています。
本書の最後に登場する熊本は、『東京するめクラブ』という旅企画(『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』)で知り合った写真家の都築響一氏(1956~)と日本のスタイリストの元祖ではないかと村上が書く吉本由美氏の3人で行動しています。
なんでも、吉本氏がスタイリストの仕事を辞め、郷里の熊本へ帰ったことで、するめクラブは自然消滅したのだそうです。その元メンバーの吉本氏が住む熊本を村上が都築氏が訪問する企画になります。
ちなみに、熊本を訪れることを「来熊」といい、熊本の人はよく使ういい方らしいです。熊本以外の人はなんて読むかわかりません。「らいゆう」と読むそうです。ひとつ勉強になりましたね。すぐに忘れてしまいそうですが。
どの旅も面白く読みましたが、アイスランドは知らないことが多くありました。まず、「人口がわずか30万弱」というのには驚きました。国の人口が30万人というのはちょっと想像がつきません。
この旅について書いた文章が載ったのが2004年2月で、旅に行ったのは9月ということで、この前年かそれよりも前の年になりましょうか。この文章が書かれてから人口に変化があったか調べると、現在に近い2018年時点で35万5620人とあります。人口密度は、1平方キロメートルに3人です。
日本の市区町村でこの人口に近いところはどこかと調べると、今年の4月1日時点では、竹中平蔵氏の出身地、和歌山市が35万5825人で近いです。日本全国の人口が和歌山市の人口しかいないことは、想像するのが難しいですね。
アイスランドの面積について、村上の文章は次のようになっています。
アイスランドの面積はだいたい四国と北海道をあわせたくらいある。広いといえばけっこう広い。
村上 春樹. ラオスにいったい何があるというんですか? (文春文庫) (Kindle の位置No.178-179). 文藝春秋. Kindle 版.
ヨーロッパはイメージするよりも人口の少ない国があり、本書に登場するフィンランドも530万人強です。フィンランドといえば、私がつい最近読んだ村上の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013)にフィンランドが登場します。
それだから、本書にあるフィンランド旅行をもとに小説に盛り込んだと思いきや、小説は想像で書き、そのあとに本書のフィンランド取材に行ったと書かれています。
アイスランドの話に戻りますと、少ない人口の国には、読んでいて憧れのようなものを持ちました。人が少なければ、人と人との軋轢も少ないだろう、なんて考えたりしたからです。
しかし良いことばかりではなく、物価が高いそうです。たとえば昼食でレストランに入り、魚定食を注文すると、だいたい日本円で2000円だそうです。これでは気軽にレストランにも入りにくいですね。私は外食はしませんが。
「味はなかなか悪くない」と書いています。
酒類が好きな人にもアイスランドは優しくなさそうです。
なんでも、長いこと禁酒制度があり、それが廃止されたのは「かなり近年になってから」とあります。この制度が解かれたあとも、なぜかビールは禁止され、1980年代末なってようやく大っぴらに飲めるようになったそうです。
そうはいっても、海岸線の長い国ですので、海からビールを密輸したり、自家製のビールを作ることをしたようですけれど。
その名残は今も残り、レストランでビールを注文し、勘定書を見るとかなり高くて驚くぐらいだそうです。
ともあれ、何かというとすぐにビールを飲む村上は、ビールを飲むのが難しい国は、いくら住みよくても敬遠するでしょう。
私がアイスランドで思い当たるのはビョーク(1965~)です。ご存知ですか? 才能のある女性シンガーソングライターです。顔立ちが日本人に近く感じます。
彼女を知ってから彼女のアルバムを何枚も買い、NHK-FMのリクエスト番組「サンセットパーク」(~2011年3月末)にも、彼女のリクエストをし、番組でかけてもらう常連アーティストの一人でした。
個人的には、彼女の初期の作品が好みです。
ビョークの音楽を楽しんでいた頃は、アイスランドがそんなに人口の少ない国だとは考えもしませんでした。人口の多い少ないは音楽の質には関係ありませんが。
私はヨーロッパの女性ヴォーカルの曲が好きで、スティーナ(1969~)はスウェーデン(2013年統計では人口が991万人)のアーティストですね。
アイスランドの名物はパフィンだそうです。パフィンと聞いてイメージできない人は、洒落たデザートかなにかと思ったりしませんでしたか? これは鳥の名です。
このニシツメドリ(パフィン)がアイスランドにはおよそ600万羽いて、「世界のパフィンの首都」といわれたりするのだそうです。国の人口が現在35万強ですから、パフィンの数には圧倒されます。
パフィン目当てでアイスランドへ9月に行ったのでは、肩透かしを喰らいます。子育てが終わったパフィンの親は、海上へ移動し、陸地には残らないそうですから。
秋冬のおよそ7カ月、パフィンは陸地にまったく足をつけることなく過ごすそうで、これはこれでかなり変わった生態に思えます。
航空網が広がって世界は狭くなったといわれますが、まだまだ知らないことに満ちています。旅行好きの人は村上の本書に刺激され、どこかへぶらりと行ってしまいたくなるかもしれません。
私は旅行の趣味はありませんで、本書を読んでも刺激は受けません。ただ、変わったところや美しい景色のところはあるものだなぁ、と思ったりします。
私にもしも好きな人ができて、彼女にせがまれたら、重い腰を上げて生まれて初めての旅客機に乗ることもあるでしょうか。
そんなことがあったら、本コーナーで旅の思い出を書くつもりですが、そんなことは一生ないまま終わりそうな気がしないでもありません。
あ、忘れるところでした。本書のタイトルの由来です。
今はどうか知りませんが、村上がラオス人民民主共和国(2015年の統計で人口が691万1544人)への旅の文章を書いたとき、日本からラオスへの直通便はなかったそうです。それだから、どこかの国の空港を乗り継いで行くことになり、村上の取材班は、ベトナム社会主義共和国(2019年の統計で人口は9620万8984人)のハノイからラオスを目指したそうです。
その中継地のベトナムで、これからラオスへいくというと、それを聞いたベトナム人が次のように不思議がったそうです。
「どうしてまたラオスなんかに行くんですか?」
村上 春樹. ラオスにいったい何があるというんですか? (文春文庫) (Kindle の位置No.1474-1475). 文藝春秋. Kindle 版.
村上はそれを聞いて「いったい何がラオスにあるというんですか?」と訊かれたように受け取り、それは「そこへ旅してどうするのか?」にも通じるように感じ、本書のタイトルにしたのでしょう。
そのことを、村上は次のように書いています。
さて、いったい何がラオスにあるというのか? 良い質問だ。たぶん。でもそんなことを訊かれても、僕には答えようがない。だって、その何かを探すために、これからラオスまで行こうとしているわけなのだから。それがそもそも、旅行というものではないか。
村上 春樹. ラオスにいったい何があるというんですか? (文春文庫) (Kindle の位置No.1476-1479). 文藝春秋. Kindle 版.