前回の続きで、村上春樹が季刊誌の『Stereo Sound』(Stereo Sound ONLINE)に連載し、2005年に刊行された音楽評論集『意味がなければスイングはない』について書きます。
前回の投稿で書きましたように、村上の自慢話に付き合わされている気がし、読んでいても良い気分にはなりませんでした。それが、6回目は面白く読めましたので、本コーナーで取り上げることにします。
その回に村上が選んだのはふたりの高名なピアニストです。高名といっても、私は名前を聴いたことがあるかもしれないふたりで、おそらくはその演奏が録音されたレコードやCDは聴いたことがないように思います。
ここで村上が注目したピアニストは、いずれも東欧の恵まれない環境に生まれたユダヤ人で、ピアノの才能を幼い頃に認められ、プロのピアニストとして大成したことが共通します。
この回が季刊誌に載ったのは2004年夏号ですが、書き出しには「二カ月ばかり日本を離れて、外国のとある僻地にこもってこつこつと小説を書いていた」とあります。
村上が創作活動をするときは、非日常が必要だそうで、夜明け前に起きて執筆するのを好んだようです。午前中に仕事を終え、そのあとは運動や音楽、読書でのんびりと過ごすとあります。
読書のために、読みそびれていた本を持参していますが、その中に、ふたりのピアニストの自伝を持っていったのだそうです。
そんなわけで、自伝によって得たふたりの人間性や音楽観が綴られ、村上の解釈が少ないことが、個人的には読みやすく、面白く感じるに結果になったのかもしれません。
ピアニストは、ルドルフ・ゼルキン(1903~1991)とアルトゥール・ルービンシュタイン(1887~1982)です。ふたりは、すでに書きましたように、似たような境遇で生まれていますが、その後の世界観は、百八十度違っています。
歳は、ルービンシュタインがゼルキンより16上です。親子ほど離れているわけではありません。といって、兄弟というには、離れすぎている、というように、微妙な年齢差といえましょうか。
ふたりを一言でいい表せば、ゼルキンは秀才、ルービンシュタインは天才です。
ゼルキンは自分を「生まれながらのピアニストではない」と考え、それだから、毎日、他の人にはとても耐えられないような長い時間、ピアノ演奏の練習にあてたのです。
おもしろいエピソードとしては、練習に使ったピアノです。用心深いといいますか、いつ、どんなおんぼろのピアノで弾かなければならないかもしれない、と程度のよくないピアノに向かったことです。
一方の天才ルービンシュタインは、「見事なばかりに練習嫌い」と村上が書きます。
好きな音楽だけを弾いていいといわれれば、一昼夜続けることも平気の一方で、それが面倒くさい練習をさせられたならすぐに飽きてしまい、1時間ともたないといったありさまです。このあたりは天才の面目躍如ですね。
「音楽そのものがしっかり伝わればそれでいいんだろう」と細部の正確さには頓着せず、ややこしいところは適当にすっ飛ばすことも厭わなかったそうです。それでいて、彼の演奏を聴く人は、そんなことにはまるで気づかず、メロメロになったといいますから、これぞ生まれながらのピアニストというよりほかありません。
ルービンシュタインは、実生活でも天才性を爆発させます。
女性関係が華やかで、十代の頃には、年の離れた女性を恋人にしたそうです。ある時は、おそらくは自分の親と同じぐらいの女性と浮名を流しますが、驚くことには、その人妻の娘とも肉体関係を持って平気でいたそうです。
それに続く件を読んで思わず笑ってしまいました。
その娘は結婚して夫がいました。夫が妻の不貞に気がつき、ルービンシュタインを詰問しますが、ルービンシュタインがどんな反応をしたと思いますか。
「失礼な奴だ!」_です。
不貞を働いておきながら逆に怒り、決闘騒ぎまで起こしたそうです。現代でいえば、“逆切れ”というヤツですか。なにか、あの天才作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)を彷彿とさせるエピソードではありませんか。
そんな人が身近にいたら迷惑千万でしょうけれど、離れたところから見ている分には、これほど退屈しない人もいません。
ゼルキンの晩年、来日コンサートを開いています。それを聴いた村上の知り合いが、こんな感想を述べたそうです。
「とにかく、ミスタッチが多いんだ。むちゃくちゃ多い。でもね、とにかくぐっと心に届くんだよ、音楽が」
ピアニストのウラジミール・ホロヴィッツ(1903~1989)が、「もしもあなたがホロヴィッツでなかったら、どのようなピアニストになりたいですか?」と質問を受け、即座にホロヴィッツが答えたピアニストは「ルドルフ・ゼルキン」だったそうです。
本日分の最後に、ルービンシュタインのとっておきのエピソードを紹介します。
それは、彼が十代初めの頃のことです。ベルリンでコンサートが開かれ、大成功のうちに幕が閉じます。のちのち語られるエピソードはそのあとに起こるのでした。
大喝采する観客に送られて舞台の裏に戻った彼に、バルト教授は、フェリックス・メンデルスゾーン(1809~1847)の『無言歌集』から『デュエット』をアンコールで弾くよう指示します。その際、先生は、「客の顔は見るな」と忠告することも忘れませんでした。
有頂天になっていたのであろう彼は、先生の忠告などすっかり忘れ、意気揚々と舞台へ戻ります。彼の目の前では、大満足した満員の観衆が、アンコールの手拍子をしています。彼の頭の中では、音楽以外のあれこれが次々浮かんでは消えているのでした。
彼は心ここにあらずの心境でピアノの前の椅子に座り、いざ演奏を始めようとします。が、頭の中が空っぽです! 小曲の音符は綺麗に消え失せ、そのかけらもありません!
プロのピアニストが現実にこんな状況に置かれたなら、どんなことになるでしょう。天才の名を欲しいままにしたルービンシュタインも、心臓ががちがちとなったのでした。
しかし、ここから先が天才の天才といわれるゆえんです。
彼は即興で演奏を始めます。メンデルスゾーンの音楽とは無縁の、これまでに聴いたことも弾いたこともないピアノ曲です。
鍵盤の上を休みなく動く彼の指は、即興で創り出した主題をひとしきり磨き上げ、転調したのちは、心を溶かすようなロマンティックな調べです。ところどころにアクセントを入れ、曲調を引き締めることも忘れません。
即興曲を弾くうちに、もしかしたら彼は自分の才能に自分で惚れ惚れとしたかもしれません。
場内を埋めた聴衆は、初めて聴く曲に酔いしれ、目を閉じて身体を揺らす者もいます。ラストに向かって熱気を帯び、終曲の瞬間、観衆は我を忘れ、静寂のあと、大喝采が響き渡るのでした。
観衆の満足度は伝わって来たものの、彼は内心では、先生の反応を恐れます。どんな仕打ちが待っているかわかりません。
恐る恐る舞台を降りた彼を、予想に反して笑顔で迎えた先生は、彼の手を取って次のように声を掛けたといいます。
「おまえはまったくろくでもないやつだが、とにかく掛け値なしの天才だ。たとえ千年かけても、私にはあんな真似はできない」
以上、村上の音楽評論集『意味がなければスイングはない』からふたりのピアニストの話をしました。
村上の『意味がなければ_』はあと4回分を残こすのみです。
残った中では、ランスの作曲家、フランシス・プーランク(1899~1963)の回が期待が持てそうです。期待に違(たが)わなければ、無駄にサービス精神だけは旺盛な私ですので、本コーナーで取り上げるかもしれません。