村上春樹の短編集『女のいない男たち』(2014)を、Amazonの電子書籍版で読んでいます。全部で6作品が収録されているうち、前半の3作品を読み終えました。
村上は「まえがき」というものに否定的な考えを持つそうですが、本短編集には、「(本短編集の)成立の過程に関していくらか説明を加えておいた方がいいような気がする」として、「まえがき」を添えています。
村上にとっては、『東京奇譚集』を出した2005年以来9年ぶりの短編集になります。『東京奇譚集』は、「都市生活者を巡る怪奇譚」がモチーフだそうで、興味を持ちましたので、機会があれば読んでみたいです。
本短編集は、最後に収録されています表題の『女のいない男たち』をモチーフとしていますが、1作目の『ドライブ・マイ・カー』を書き終えたとき、モチーフの言葉が頭に引っかかり、“連作”を書けそうに考えたようです。
本短編集は、Amazonで適当に村上の電子書籍を確認し、たまたま40%のポイントが還元されることに気がつき、購入しています。ポイントにつられたようなものですね。ほかに、同じ理由で、音楽の評論をまとめた『意味がなければスイングはない』(2008)も同時に購入しています。
何のキャンペーンでポイントが40%もついていたのか知りませんが、翌々日ぐらいに確認しますと、通常のポイント数に戻っていました。『女のいない男たち』が40ポイントで6%で、『意味がなければスイングはない』は12ポイントで2%です。
実は、短編集の『パン屋再襲撃』(1986)も40%か41%のポイントがついたため、購入しようか迷いました。次に見た時は10ポイント2%に戻っていたため、次回のポイント還元時まで待つことにします。
そんなわけで、予備知識なしに『ドライブ・マイ・カー』から読み始めました。
設定がおもしろく、どんな展開になるのか、期待を持ちました。
主人公の家福(かふく)は、脇役が多い実力派の男優で、車の運転が好きです。乗っている車はスウェーデンの「サーブ・900」という黄色のオープンカーです。妻が黄色を選んだそうです。
今は都内で上演されている劇に出演しており、劇場へ通うのに車が必要です。接触事故を起こしたことと、緑内障の兆候が出たことで、事務所から運転を止められ、仕方なく、代わりに運転をしてくる人を、知り合いの自動車修理工場を介して紹介してもらいます。
修理工場の経営者が紹介してくれた運転手を知り、何となく興味が持てました。20代半ば(24歳)の女性ですが、次のように書かれているからです。
「でも?」
「でもね、 なんていうか、ちょいと偏屈なところがありまして」
「どんな?」
「ぶっきらぼうで、無口で、むやみに煙草を吸います」と大場 は言った。「 お会いになったらわかると思うんですが、かわいげのある娘というようなタイプじゃないです。ほとんどにこりともしません。それからはっきり言って、ちょっとぶすいかもしれません」
村上春樹. 女のいない男たち (文春文庫) (Kindle の位置No.149-153). 文藝春秋. Kindle 版.
秘密を持っていそうな運転手の女性と、妻を亡くした家福との仲がどんな風になっていくのか想像したりしました。が、話は私の想像とは違う方向へ展開していくのでした。
無口であるはずの渡利みさきが、途中からはドライブ中に家福とごく普通に会話をし、勝手に描いたイメージと違うものを感じたりもしました。
これがもし、渡利の人間性を軸に話が展開されたなら面白かったように思わないでもありません。もっともそれでは、「女のいない男たち」というモチーフからは外れてしまうのでしょうけれど。
2作目の『イエスタディ』と3作目の『独立器官』は、谷村という男の目線で描かれています。おそらくは、村上が谷村という男に反映されているのでしょう。
現に、『イエスタディ』の谷村は、兵庫県の芦屋で育った設定になっており、芦屋育ちの村上と同じです。
また、関西の人間でありながら、東京の大学へ入学すると、それまで使っていた関西弁を綺麗に捨て去り、前から使っていたように標準語を操るようになるのも、村上と作品の中の谷村は同じです。
『イエスタディ』に登場する谷村の友人は木樽明義(きたる・あきよし)といい、幼馴染のガールフレンド、栗谷えりかだけが唯一、彼を「アキくん」と親し気に呼びます。
木樽は変わり者で、東京生まれの東京育ちでありながら、関西弁を独自にマスターし、関西育ちの人間とちっとも変わらないのです。
木樽は東京の田園調布にある自宅に谷村を連れて行きますが、自宅に戻るとすぐに決まって風呂場へ直行し、谷村を平気で1時間も待たせます。
その間、谷村はといえば、木樽の母の小言を避けるため、脱衣所で木樽が出てくるのを待ちつつ、話をすることになります。
風呂に入っていい気分になった木樽は、ビートルズの『イエスタディ』のメロディに、木樽が勝手に作った関西弁の歌詞をつけた歌を、甲高くよく通る声で歌うのです。
木樽は早大受験に失敗し、二浪中の身です。彼は受験制度そのものに懐疑的で、それを理由に、受験勉強をほとんどしていません。そんなこともあり、上智大で大学生活を満喫しているであろう幼馴染のえりかとの交際も停滞気味です。
えりかのことは子供の頃から知っているため、彼はえりかを性の対象に見ることができないと打ち明けます。オナニーをするときも、えりかを思い描いたことは一度もないと谷村に話すのでした。
こんな関係であるため、ふたりは20歳になった今も、セックスは一度もしていないのです。えりかはこのことに多少不安を持っています。
こんな風に木樽はあけっぴろげの性格で、好感が持てます。一方の谷村は、常識的な受け答えで、本心を隠しています。
谷村が村上の化身であれば、作家の村上が、自分を隠したまま作品を書いていることになります。このあたりが、村上の作品に共通するであろう物足りなさにつながるように感じます。
5日の月曜日から、今月いっぱい4週連続で、NHKEテレの『100分de名著』は、変態作家のイメージが強い谷崎潤一郎(1886~1965)を取り上げます。その第1回の放送が5日にあり、私は録画して見ました。
第1回は、「エロティシズムを凝視する」と題し、『痴人の愛』(1924)を取り上げました。
解説役として登場したのは、作家の島田雅彦(1961~)でしたが、谷崎は日本文学の伝統的な作風だと述べています。島田曰く、『源氏物語』(1008)から続く日本文学の底流に流れるものを一言でいえば「色好み」で、谷崎は、自分の生きざまも含め、それを体現した、と評価しています。
村上はその点で腰が大いに引けている印象です。
もっとも、村上は伝統的な日本文学には距離を置くことを公言し、欧米の文学から文学の世界に入ったことが影響しているのかもしれません。といっても、日本人の血が流れており、無関係ではいられないように思うのですが。
ともあれ、『イエスタディ』でも、性的な話は変人の木樽にさせ、村上の化身であろう谷村は、木樽の話に相槌を打つのがせいぜいで、自分から積極的に性の話をすることがありません。
これは傍観者ですね。
同じよう設定が3作目の『独立器官』でも採られます。
主人公は、52歳になる渡会(とかい)という男性です。渡会は、父の医院を継いだ美容整形外科医です。東京の六本木で「渡会美容クリニック」を経営し、住まいは麻布にある瀟洒なマンションです。
渡会は独身主義者ですが、女性との交際は驚くほど盛んで、常に2、3人が彼に選ばれています。交際の条件を厳しくし、決して結婚を迫られる恐れのない女性だけです。これまで、男女間の問題は一度も起こしていないのが彼の自慢です。
その裏では、美男子の現代青年でありながらゲイの秘書が、女性たちの間でスケジュールがかち合わないよう、それぞれの月経周期を把握することまでして予定を組むことをしてくれているからですが。その分の報酬は惜しまない渡会です。
家事もすべてひとりでこなせ、料理の腕はなかなかのようです。
渡会という男について、次のように書く個所があります。
おそらく読者諸氏もご存じのように、その手の「人当たりの良い」人物は往々にして人間として深みを欠き、凡庸で退屈であることが多い。しかし渡会の場合はそうではなかった。僕はいつも、週末にビールを飲みながら彼と過ごす一時間を楽しんだ。渡会は話がうまかったし、話題も豊富だった。彼のユーモアのセンスにはややこしい含みがなく、ストレートで実際的だった。美容整形についてのいろんな面白い裏話を聞かせてくれたし(もちろん守秘義務を侵さない程度に)、女性に関する数多くの興味深い情報を開示してくれた。しかしそういう話が下世話に流れることは一度もなかった。彼は彼女たちのことを常に敬意と愛情を込めて語ったし、特定の個人に結びつく情報はいつも注意深く伏せられていた。
村上春樹. 女のいない男たち (文春文庫) (Kindle の位置No.1441-1448). 文藝春秋. Kindle 版.
村上は本作でも谷村という男の化身に逃げ、「渡会というこんな珍しい男がいました」と傍観者の立場を採ります。
これがもしも江戸川乱歩(1894~1965 乱歩が亡くなった年は谷崎と同じですね)であれば、自分の化身に渡会を定め、自分の心に次から次に沸き起こる感情を、自分の言葉として表現したでしょう。
一個の社会人であれば、社会の規範を護る常識的な人間像を求められることが多いでしょう。しかし、自身の内面を曝け出すことが求められがちな作家であれば、正直でないことは褒められたことでないように考えます。
自分の恥ずかしい性癖を公にした結果、谷崎潤一郎や乱歩のように、のちのちまで変態性を語られることもあるでしょう。しかし、作家という因果な職業を選んだ以上、それぐらいは名誉の勲章にすべきです。
村上はこの先も、自分を“安全地帯”に置いて作品を書き続けるのでしょうか。
短編集『女のいない男たち』の前半3編を読み、こんなことを考えたりしました。残りの3作品は、どんな男と女が待っているでしょう。
自身の内面を曝け出す村上を期待しています。隠れ蓑で生身の自分を隠しているようではまだ半人前だ。自分の心をもっと裸にしろ。