恋する男を描く作品とも読める清張の長編

同じような作家の作品を代わる代わる読んでいます。今回は、松本清張の長編小説を読みました。

1959年5月から1960年8月まで、北海道新聞および中部日本新聞(中日新聞)、西日本新聞に連載された(北海道新聞は、5月22日から翌年8月7日までの夕刊)『黄色い風土』です。連載時は『黒い風土』だったそうです。

清張が『或る「小倉日記」伝』芥川賞を受賞したのは1953年です。清張は1909年生まれのため、その時点で44歳になっています。遅いスタートといえます。

清張が『ゼロの焦点』を書いたのが1958年ですから、その翌年の執筆になり、清張初期の作品になります。

新聞に1年2カ月強連載した作品であるため長く、読み終わるまで3日ほど要しました。

清張は社会派推理小説というそれまでにないジャンルを確立したパイオニアです。人間の心理を描くために主に殺人事件を書きますが、心理が十分に描けるのなら、殺される人間は多く必要ありません。

そんなこともあって、ひとつの作品で死者が大勢になることはあまりありません。ところが本作では、次々に人が死に、それが自殺に見せかけた他殺であろうと推理され、読者としても、読み進めるにしたがってデータが多くなり、気を付けていないと、人間関係がこんがらがります。

殺されるのは邪魔者で、邪魔と感じる人間が中心にいるある組織があり、その組織がある大きな犯罪を起こしているという設定です。

しかし、最後まで読んでも、その組織が起こした犯罪の実態は詳しく書かれず、ほのめかされるだけです。

主人公は、若宮四郎という週刊誌の取材記者です。R新聞という大手の新聞社が発行する週刊誌で、若宮の職場もR新聞本社の出版部にあります。

若宮は独身で、仕事に熱中しているからか、結婚はまだ頭にないようです。

若宮は、当時の新婚旅行のめっかのひとつであった熱海のホテルに滞在していた大物評論家に取材するため熱海へ出張し、そこで起きた出来事に遭遇することで、大きな渦に巻き込まれます。

若宮が拾ってきたネタに編集長が乗り気になり、若宮をその取材に専念させます。そのために取材費を大盤振る舞いしますが、それが7万円です。今とは貨幣価値に開きがあります。

それが気になり、本作が何年頃の作品か調べ、清張の初期の作品であったことが確認できたというわけです。

若宮は必要があって北海道へ出張取材しますが、初めて乗るという旅客機がプロペラ機です。このあたりも時代を感じさせます。

もちろん、これは現代から見た目で、本作が書かれた当時はそれが時代の先端を行く乗り物であったのでしょう。

1952年4月9日、「もく星号」の愛称をつけられた旅客機が伊豆大島三原山に激突して墜落する事故を起こしています。米国マーチン社(現在のロッキード・マーティン)の“2-0-2”も見かけ上はプロペラ機ですね。

清張の作品に、この旅客機事故を扱った『一九五二年日航機「撃墜」事件 (角川文庫) Kindle版』があり、昔に読みました。

若宮が乗る札幌行きの旅客機は申し込み順に番号が振られ、番号が若い順に機内に乗り込んで好きな座席に座れる仕組みです。

若宮の北海道行きは急に決まり、前日に申し込んだために番号は59です。これで終わりのほうとあり、今の旅客機と比べて乗れる乗客の数が大幅に少ないことがわかります。

待合室に隣り合ったグリルで、若宮は見知らぬ女性を見つけます。女は23、4で、ひときわ目立つ美貌を持ち、すらりとした肢体にまとう衣服もセンスが抜群で、身のこなしも洗練されています。

本作は1961年に映画化、65年にテレビドラマ化されていますが、そこでは彼女を「カトレアの女」としています。原作は「沈丁花の女」です。

彼女は謎めいており、沈丁花の香りの香水で若宮を惹きつけます。

最後の方に旅客機に乗り込んだ若宮は、思いがけず沈丁花の女が隣の席を取っておいてくれ、そこへ導かれ、札幌まで空の旅をします。

なぜ彼女が若宮に席を用意してくれたかわかりません。また、機内で彼女は哲学書を読みふけり、ひと言も若宮に話しかけることがないのでした。

どんな相手でも対話に持ち込むバイタリティを持つ若宮が、唯一対応を完全拒否されたことで逆に強い印象を持ち、以来、要所要所で出会う彼女に、興味を深めていきます。

別の作家が若宮と沈丁花の女を中心に描き、読者に謎を提供する作品に仕上げることもできるでしょう。

本作では、次から次に人の死ぬ出来事が起き、その渦の中で、読者も沈丁花の女に興味を持たざるを得なくなります。

考えてみますと、見知らぬ男女の出会いは、本作の若宮と沈丁花の女に通じます。他人であれば、どこに住む何という名の人なのかもわかりません。

それでいて、たとえば電車で何度か出会うことを繰り返し、いつしか気になる人になったりします。現実にはドラマのような展開は用意されていませんが、人の心理は現実世界でもそう違わないでしょう。

恋の始まりは片想いです。相手の意思に関係なく、自分独りで恋心を強めてしまいます。

お恥ずかしい話、これは今の私の心境でもあります。

私は惚れっぽい性格で、これまでこのように独り相撲を取っては、そのたびに、あとで思い出すと赤面するようなことをしくじりを繰り返してきました。

中学校の頃には同級生に、思いを告白する年賀状を送り、新年にクラスで女生徒たちから白眼視されました。

また、歯科治療へ通えば、そこの受付と歯科衛生士をする女性に、ラブレターを渡し、撃沈したこともあります。

2004年に自転車で転倒し、生きるか死ぬかの手術を受け、入院した時も、看護師にラブレターを書いたりしたものです。

いずれも独りよがりの恋心でしたが、そのたびに絵を描く意欲がもりもりと沸き、想いを寄せる女性を思い出しながら、その女性の肖像画を描いたりします。

今は、保険の更新で家に来た若くて綺麗な担当者に心を奪われています。まだ、入社して間もない女性とお見受けしました。

昨日、明日また来ると電話をもらい、それだけで舞い上がる始末です。

どんな理由でも、心がわくわくするのは悪いことではなく、それが絵画の作成意欲につながるのであれば、それを利用するつもりです。

明日、彼女がやってきたら、意味もなく、相手の瞳をじっと覗き込んで相手の反応を見てみようか、などと”作戦”を立てていますf(^_^)

読み手である自分がそんな状況にあるため、若宮が沈丁花の女にぐんぐん惹かれていく心境が手に取るようにわかります。

本作を最後まで読んだなら、もう一度はじめから読み返したくなります。ある人物の言動を、別の目で点検しながら。

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