村上春樹の短編をひとつ読みました。
『沈黙』という作品です。
私はほとんどすべてをAmazonが提供する電子書籍のKindleを使って読書をしますが、何冊も端末に入れてあり、そのときの気分で、様々な作品に接するようにしています。
短編小説集『レキシントンの幽霊』に収められた短編として読みました。
『沈黙』について記述されたネットの事典ウィキペディアで確認しますと、本作は1991年に書かれ、『レキシントン_』を1996年に出版する際、加筆されたそうです。
それに加えて、2006年に出版された『はじめての文学 村上春樹』に本作を収録するにあたり、大幅に加筆修正されたとウィキペディアにあります。
これから書くことは、ストーリーの結末を含むことになりそうです。ですので、本作をまだ読んだことがなく、あらすじを知りたくない人は、本投稿を読まないことをお勧めします。
本作の主要登場人物は限られます。話を進める”僕”がいて、”僕”に体験を語る”大沢”という男性がいます。歳は31とあり、性格は控えめで、着実に仕事をこなすような人間です。
大沢が話す体験話に、同級生だった”青木”という男性が登場します。
この3人が主な登場人物です。
12月のはじめ、”僕”と大沢が空港のレストランで、コーヒーを飲みながら、出発を待っています。目的地の新潟で雪が続いているようで、出発が遅れています。
職場で毎日顔を合わせて働いていても、その人がどんな人生を歩んできたか、詳しく話す人は少ないでしょうから、知らないまま接しているでしょう。
”僕”が何気ないつもりで大沢に次のような問いかけをしたことで、大沢の思いがけない一面を知ることになり、大沢に過去に経験した忘れられない出来事を思い出させます。
本作は、次のように始まります。
僕は大沢さんに向って、これまでに喧嘩をして誰かを殴ったことはありますか、と訊ねてみた。
村上春樹. レキシントンの幽霊 (文春文庫) (Kindle の位置No.391-392). 文藝春秋. Kindle 版.
”僕”にいきなりこんな問いかけをされ、大沢は戸惑いますが、やがて、その問いに正直に答えます。中学2年のとき、一度だけ殴ったことがある、と。
”僕”に限らず、大沢を表面的に知る人は、大沢がボクシングのトレーニングを今も続け、かつては試合に出たことがあることに思い当ることはないでしょう。
大沢は部屋に籠って本ばかり読むような少年だったようで、心配した親が、大沢の叔父が経営するボクシングジムに通ってみるよう勧めます。大沢はすぐには乗り気になれなかったものの、中学2年から毎週末、ジムに通うようになります。
大沢は、リングに上がって誰かと対戦しても、自分独りで完結できるように思えたボクシングという競技に惹かれ、のめり込んだことを”僕”に告白します。
ボクシングの技術を習得した者の拳は凶器に変わります。それがため、私生活で拳は決して前へ突き出してはいけないと教えられます。大沢の一度だけの過ちは、ボクシングジムに通い始めたばかりの頃で、トレーニングを始める前でした。
大沢が通っていた学校は、中高一貫教育の男子校で、有数の進学校でした。
私は村上の中高時代を下地にしたのかと考えましたが、村上は公立の学校に進んだことがわかりました。私が勝手に想像したのは、東京の開成中学・高校です。この学校は毎年、東大の合格者が全国のトップクラスであることが知られています。
大沢は他人を嫌うことはなかったものの、ひとりだけ例外がいました。中高一貫校に通う同級生の青木です。
青木は進学校の中でも目立つほど勉強ができる秀才です。テストがあれば、青木が必ずトップです。青木は学業に優れているだけでなく、何をやらせても優秀で、誰からも一目置かれています。
学校の教師に取り入るのも上手で、学校を卒業したなら、社会人として仕事や人付き合いを如才なくこなしていくだろうことが想像できます。
すべてにおいて隙がないように見える青木が、大沢はどうしても好きになれないのでした。
この青木を大沢が一度だけ殴ってしまうことになりますが、そのいきさつは端折り、一貫校の最終学年である高校3年のときに話を移します。
その学年で、大沢は青木と久しぶりに同じクラスになってしまいます。
高校3年の夏休み中、同じクラスの生徒が自殺をします。目立たない生徒で、大沢はその生徒と2、3回口をきいた程度でした。
新学期が始まり、しばらくすると、大沢は学校で嫌な雰囲気を感じるようになります。生徒に限らず、先生までが大沢を避けているように感じられることです。
大沢は割り切った考えをする男で、自分ができることをして時間を過ごせば、半年後には学校から離れられる、と苦を苦とも感じないように過ごそうとします。
しかし、頭ではそのように割り切っても、精神的に追い詰められていきます。
夏休み中に自殺した生徒が、誰かから殴られたことが自殺の遠因になったのではないか。そしてどうやら、彼を殴ったのが大沢であるという噂が学校で広がっているらしいことがわかります。大沢は自殺した生徒と関わりはなく、噂されたような事実はありません。
大沢は悪意の噂を流したのは青木に違いないと考えます。大沢は青木に憤りを感じますが、やがて、青木よりも怖いものを知ります。それを村上は次のように書きます。
でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに、口当りの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。
村上春樹. レキシントンの幽霊 (文春文庫) (Kindle の位置No.756-758). 文藝春秋. Kindle 版.
私は本作を読みながら、新型コロナウイルス(COVID-19)騒動に踊らされている現状を重ね合わせました。
私はCOVID-19の存在を信じていません。しかし、99%の人(?)は、政府やマスメディアから出される情報を無批判に受け入れ、不安の日々を送っていることでしょう。
本当であれば、疫学の専門家は、今回の騒動を冷静に捉え、科学的に間違っていることに気がついたなら、それを正し、社会に広く伝えるべき責任を持ちます。
しかし、根拠のない噂話に踊らされた”僕”の周囲にいた人間たちと同じように、大半の専門家は声を上げることをせず、大勢の力には一切逆らわず、何も気づかない庶民を不安の状態に置き去りにしています。
本作に登場する大沢が彼らの態度を見たなら、同じように怖く感じ、憤りもするでしょう。
私は、COVID-19を”利用”し、庶民を不安がらせようとする力に対抗しようともしない専門家や政府、表のマスメディアを、大沢のように恐れ、また、大いに怒っています。
本日は、村上春樹の『沈黙』を読み、無批判の従属者の群れが持つ問題点を、私なりに浮き彫りにする試みをしてみました。