2010/09/23 主任検事が犯罪者?

本日も、本コーナーは思いつきの独り語り「気まぐれトーク」の形式にて更新をしています。なお、トークは前日の夜に行っています。

本日分の内容につきましては、音声ファイルでご確認下さい。で、そうされない場合は、下にトークを要約して書き起こしていますので、それをお読みになって、トークのだいたいの流れをご想像下さい。

なお、音声ファイルはmp3方式にて紹介しています。再生箇所は前後に自由に移動させることができる、と思いますので、下の書き起こしで見当をつけ、聴いてみたい部分だけを“つまみ聴き”するようなこともできます。ご自由にお楽しみ下さい(^ー^)ノ

インディの鞭の気まぐれトーク〔2010.9.22〕(19分28秒)

トークを要約した書き起こし

今回も夜にトークをしている。が、いつもは午後7時半前に始めることが多いが、今回はそれより30分以上遅い午後8時を過ぎてからのスタート。多くの人にとってはやっと夜が始まった、といった感覚の時間帯だろうか。

私は毎晩9時前に眠ることにしているため、8時を回ると寝入る時間が近づき、「夜も深まってきたなぁ・・・(=_\)」などといった感覚になる

私は子供の頃から規則正しい生活を続けてきた。これは持って生まれた傾向で、同じ時間に同じことをしていないと途端に不安になる、という、時間にルーズな人から見たら窮屈な生活をしている。

ただ、これは自分には窮屈でもなんでもなく、それどころか、逆にペースを乱されるのが何より苦手ときている。こうした話をするときにいつも出させてもらうが、哲学者のカントがそうした傾向を強く持つ人だったそうだ。彼が毎日あまりにも時間通りに散歩をするため、それを基準に家の時計を修正した、というような逸話まで残っている。

大人になってからはさすがに9時では早いと10時頃まで起きているようになった。しかし、今から6年前、2004年の夏の終わりに脳を損傷することがあったとは、大事を取って子供の頃のように午後9時前に眠る習慣に戻った。

ということで、自分の日課でいけば、午後8時を回ってからトークをするのは気が進まない。それが今日(22日)は気が進み、トークを始めてしまったというわけ。それでも、トークが終わったあとはすぐに神経を鎮め、いつも通り午後9時前に眠ったが(^ー^)ノ

私は2004年からまた午後9時前に眠るようになったという話をしたが、その年の夏も厳しい暑さとなっていたようだ。これまで、東京都心の真夏日(最高気温が30℃を超えた日)の日数が最多だったのが2004年だった。その記録に、今年の夏が昨日(21日)の時点で並んでいた。そして今日(22日)も都心は【32.7℃】まで上がり、真夏日の日数が【71日】となり、歴代1位に上り詰めた。なお、これについて話した部分の最後で、「真夏日」を「猛暑日」と言い間違えていたりする。ちなみに「猛暑日」というのは最高気温が35℃を上回った日。

今日(22日)は陰暦では8月15日。今宵の月は秋の十五夜「中秋の名月」となる。ちなみ、文章に書き起こしている今日(23日)正午の月齢は【14.69日】。数日前であれば、関東は晴れてお月さんを拝むことが出来ただろうが、今夜(22日)は雲が広がってきてしまって月を愛でるのにはあいにくの空模様。

私は午後6時すぎに外へ出て空を見上げてみたが、雲が出てきているものの、空はまだ晴れているように見えた。そのあとは確認していないので、自分の眼で名月を見ることはできなかった。

その代わりといってはなんだが、本サイトの“天気コーナー”を更新するために毎日欠かさず見ている午後7時前のNHKの気象情報がある「首都圏ネットワーク」の終わりが、超望遠レンズで捉えた名月の映像で締めくくられた。私はそれをデジ一(=デジタル一眼レフカメラ)で撮影し、「空模様でボ・ソ・リ」で紹介させてもらった。

ここまでが本日分の枕のような話で、ここから本題の話へ入っていく。時間にして【8分】ぐらいから。今回取り上げるのは、誰もが信じられない思いで報道に接しているであろう「郵便不正事件」(障害者団体向け割引郵便制度悪用事件)を取り調べていた検察官自身が引き起こしていたことが明るみになった疑惑に満ちた行動についての話。本当であれば、もっときちっと資料なりをまとめ、自分なりによく理解した上でトークをすべきだが、「とりあえず」といった格好で話し始めている。

この事件が取りざたされ始めたのは、昨年の6月頃であったと私は記憶している(実際には、2月に広告会社の社長が逮捕されていたようだ)。昨年の6月、女性キャリアの星ともいえるような村木厚子さんが大阪地検特捜部によって逮捕されている。容疑は、障害団体向けの郵便割引制度を悪用するため、実態のない「凛(りん)の会」団体に障害者団体と認める証明書を村木元局長が部下に指示して作成させた、という疑い。

しかし、この疑いは、ある意図を持って作られた“架空のストーリー”であることが確実になっている。しかも、このストーリーの作成が、至る所で極めて杜撰だったことがわかってきた。

その結果、検事が取り調べの過程で作成した調書は、ほとんどが裁判では証拠として採用されなかった。この事件を扱った第一審で、検察側の目論見は木っ端微塵に粉砕され、村木元局長は、天晴れて無罪の判決を受け、検察は控訴を断念し、村木さんの無罪が確定している。

村木さんは今日(22日)、およそ1年3カ月ぶりに元の職場に復帰している。とても静かな印象の女性で、喜ぶ姿を見て、私も嬉しく思った。

それにしても、同じようなことが自分の身に降りかかったらどうだろう、と考えた人も多いのではないか。

ある日突然、自分がやってもいない罪への容疑を持たれ、力ずくで拘留されてしまう。まったく身に覚えがないのだから、いくら取り調べられても「知りません」「やっていません」「自分には関係がありません」というしかないだろう。しかし、攻める側の検事は、ときに薄ら笑いを浮かべて、「証拠が上がってんだよ!」と居丈高な態度を見せたりもするかもしれない。

こうしたことが実際にあったことだけで驚くしかないが、さらに驚く所業を検事がしていたことが発覚し、正義であるはずの検察が土俵際へ追い込まれる展開となった。

検察側が作ったストーリーでは、村木元局長の部下であった上村勉被告が2004年の6月上旬に、当時上司であった村木元局長から指示を受け、偽の証明書を作成した、とされていた。

その証明書などが収められたフロッピー・ディスク(FD)は当然、重要な証拠となり、検察の捜索時に押収されたのだろう。しかし、重要な証拠であるはずのそのFDは、3日後には上村被告の家族に返されていたそうだ。それを知らされたほかの検事は驚いたそうだが、それを返した本人の主任の検事は「“時限爆弾”を仕掛けてあるから大丈夫」といったとかいわなかったとか。

その主任検事は、容疑を認めない容疑者にその“時限爆弾”を仕掛けたFDを見せ、「こっちは確実な証拠を握ってるんだから、しらばっくれたってダメだ!」と凄むつもりでいたのだろう。

しかし、“時限爆弾”を仕掛けた疑いがあると報じられると、検察は慌てふためいてその主任検事である前田恒彦検事を逮捕した。私はテレビや新聞で逮捕された検事の姿を見たが、ざんばら髪だったこともあってか、43歳という年齢が信じられないほど老けて見えた。

緊急ともいえる逮捕の容疑とされたのは、今も出てきた絶対的証拠となるはずだったFDに、主任検事だった前田容疑者が“時限爆弾”をした仕掛けた容疑。そのFDには村木元局長の指示で作成されたと検察側のストーリーにのっとり、偽の証明書のデータなどが収められている。重要なのはその作成日時で、検察のストーリーでいけば、「6月上旬」にならなければならないが、押収したFDの最終更新日は2004年6月1日だった。しかも、これは日付が替わった直後で、実質的には5月中に作業を終えたことになってしまう。

それではストーリー展開に邪魔になると考えたのか、前田容疑者が最終更新日時を6月8日の午後9時すぎに改竄した容疑が濃厚となっている。

もし仮に、今も自民と公明の連立政権が続いていたなら、その“時限爆弾”は炸裂し、何の罪もない村木元局長に有罪の判断が下り、留置場送りが決まり、前田容疑者は、その仕事が認められ、栄転したかもしれない。無実の人をも犯罪者に仕立ててしまう、恐ろしくも禍々しき“爆弾”である。

昨年は衆議院選挙があり、戦後一貫して続いた自民党の政権が終わり、民主党が与党となった。その天下分け目の選挙の年に検察が動きを慌ただしくしたのは偶然ではないだろう。ズバリいえば、民主党の政権が誕生するのを防ぐため検察が動いたと私は見ている。「政治と金の問題」だといって、民主党で絶対的な力を持っていた小沢一郎議員の秘書が逮捕されたのもその流れに沿ったものと私は理解している。

私は昨年、この“騒動”を知ってすぐに、検察が当面の標的としているのは民主党の石井一議員で間違いないと直感したが、私の直感はそれほど外れていないと考える。

検察の筋書きでいけば、「凛の会」の側が石井一議員に、障害者団体の認可がもらえるよう村木局長へ働きかけてくれるよう頼み、それを了解した石井議員が村木局長に指示を出した、という展開になる。つまり、村木局長の上に石井議員がいて、その責任は免れられないだろうというストーリーだ。

しかし、検察は詰めが甘い。「凛の会」の元代表の男が石井議員と議員会館の石井議員の事務所で会ったとした2004年2月25日、石井議員は朝からゴルフをしていたことが手帳に残っていた。これでは物理的に会って話すことは不可能で、検察のストーリーは根本から崩れるところとなった。

前田元主任検事逮捕という事態を受け、マスメディアはこれが検察組織全体に関わる問題か、といったような報道の仕方をしているが、私は、まだまだ「木を見て森を見ていない」のではないか、と思っている。あるいは、“森”の正体を充分承知した上で、国民を騙す報道に徹しているのではないか、と。

これは、検察が単独で犯した犯罪ではない、と私は考えている。この犯罪の構図は、もっともっと巨大なものであるはずだ。

石井議員で私がすぐに思い出すのは、参議院の予算委員会で当時与党にいた公明党に対する数々の質問。みんなが抱いている疑問を、石井議員は腹を据えて質問している。それは、公明党の“親分”的存在である創価学会との由々しき関係の追及などであった。

たとえば、公明党には「P献金」という献金制度があるそうだが、どんなものかご存じだろうか。

この「P」は「PRESIDENT=プレジデント」の「P」で、創価学会の名誉会長である池田大作さんを指し、池田名誉会長への献金を意味するそうだ。公明党は特殊な政党で、立候補者の選別も創価学会が行っているようで、当選した議員は、池田名誉会長に「会長、本当にありがとうございました。会長のお陰で当選することができました」とひれ伏し、会長にお礼の献金を献上する、ということらしい。

そうした事実があるのかどうかを当時の自公政権に問い質したのが石井一議員である。

そうした経緯もあり、自公、中でも公明党=創価学会にとり、石井議員は“仏敵”のような存在になり、機会を見つけて議員の職から抹殺したかったに違いない。

そして、「抹殺したい」と考えているだけでなく、その実現を目指してでっち上げたのが今回の検察によるストーリーであり、検察組織が単独で起こした行動ではない、と私は睨んでいる。

ともあれ、戦後60年以上にわって続いた自民を中心とする支配体制は頑強な“王国”のようなもので、それを中心に国内政治も外交も経済も回っていたことになる。“王国”が生み出す利益にすがって生きてきた組織や人は、その体制が別のものに取って代わられてるのを何より恐れる。その利益者グループには当然、検察組織も含まれる。そしてまた、今回の事件を報じるマスメディアも含まれている。

この“グループ”であるかないかの“リトマス試験紙”の反応は、“小沢疑惑”にどのように反応したかでハッキリ表れる。右寄りといわれる勢力がこれに当てはまる。産経新聞がそう。右寄りの雑誌がそう。右寄りの似非ジャーナリストがそう。すべて口汚く小沢批判を展開した。

彼らは日本という国を考えて発言や報道をしたわけではない。利益を生み出す“王国”を守ることだけが彼らの頭にあっただけの話だ。だから“右寄り”なのではなく、自民=清和会統一教会=創価学会=CIA=? にひれ伏す連中でしかないということになる。

これまで長く続いてきた支配体制である“王国”と“側近”が必死に起こした様々な抵抗があり、そのひとつとして表面に姿を現した事例と見て間違いないだろう、と思う。

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