火曜日の夕方、熱っぽい感じがしました。
”平時”であれば、風邪かな? と考えたりするところですが、異常事態宣言が解除されたとはいえ、未だ”平時”とはいえない今は、もしかしたらもしかするかもしれない、といらぬ心配をしがちです。
そのため、その日は、本サイト内の”天気コーナー”「天気」を更新し、すぐに眠ってしまいました。
また、昨日も、いつものように午前3時半頃に起きたものの、熱っぽさが残っていたため、一日布団の上で過ごそうと考え、そのように過ごしました。
私は新型コロナウイルス(COVID-19)騒動が始まった1月末から家の外に出ていません。もっとも、私の場合は、COVID-19に感染するのを恐れて自粛するというのではなく、そんな騒動がなくても、自主的に”自粛”するような生活ぶりをするため、特別なことではありませんが。
ともあれ、外界との接触を極力断った生活をしているため、ウイルスの侵入は抑えられていると考えますが、それでも人の出入りはないこともなく、何らかの経路を通じて感染する可能性がまったくないわけではありません。
そしてもしも、COVID-19に感染したのち、いよいよ発症したとなれば、症状を自覚出来てから2日間の過ごし方が重要で、結果が決まる、と武田邦彦氏が動画で話す教えを思い出しました。
体内にウイルスが侵入することがあれば、爆発的に増殖するということです。体内には、外から入って来た外敵をやっつける免疫細胞があり、外敵ウイルスと免疫細胞とが激しい戦いを起こす、と私なりに理解しました。
この戦いによって起こるのが発熱です。体の脂肪を燃焼し、免疫細胞が戦うため、それが始まったことが確認されたら、体力をできるだけ温存するため、横になると良い、と武田氏が話しています。
人間は立っているだけで、全身に血液を送り届けるだけでもその分のエネルギーが必要となります。ですから、横になることで、余分のエネルギー消費が削減できるという理屈らしいです。
ともあれ、自分に起こった発熱がCOVID-19によるものかわからないまま、私は昨日、横になって過ごしました。
ただ、横になっているだけでは飽きるため、電子書籍を読むことを始めました。
Amazonは今日28日午後11時59分まで、対象の本の定価から50%分のポイントが獲得できるキャンペーンをしています。このキャンペーンを利用して松本清張の作品を4冊購入したことは、本コーナーで書きました。
そのあと、清張作品ばかりではなんだからと、次の7冊を追加購入しています。
5.短編小説のレシピ
7.箱の中
1から4の4冊は村上春樹、5から7の3冊は阿刀田高の作品です。いずれも、サンプル版で内容を確認したのちに購入を決めています。
村上春樹といえば、今年のはじめ、氏の翻訳版による『ティファニーで朝食を』について本コーナーで書きました。
村上の作品で空前のベストセラーとなった長編小説『ノルウェーの森』(1987)は、その当時に上下2巻の単行本で読んでいます。自分の本棚で、随筆集の『村上朝日堂の逆襲』(1986)という本を見つけました。
日本にも外国にも「ハルキスト」と呼ばれるような熱狂的なファンがいます。しかし、日本の同業者の村上評に芳しくないものが少なくないのを、ネットの事典ウィキペディアで初めてぐらいに知りました。
短編作品集の表題となっている『レキシントンの幽霊』を初めて読みましたが、読みにくくはない作品です。
村上は、ヨーロッパにしばらく住んで日本に戻ったすぐあと、今度は米国で4年間生活をしています。そのときの体験を素に書かれたのが『レキシントンの幽霊』で、登場人物を換えたほかは実体験をそのまま描いた、とはじめに書かれています。この断り書きが本当なのかはわかりませんが。
当時、村上は米国のケンブリッジに住んでいたそうですが、あるとき、村上の作品のファンだという男性から手紙が届きます。内容は、会って話をしたいということです。
通常はそのような申し出があっても応じないところ、このときは例外的に、手紙の主の家があるレキシントンまで、愛車のフォルクスワーゲンを30分程度走らせて行きます。
男性は50歳になったばかりぐらいで、広い林のような敷地に建つ3階建ての旧い家に住んでいました。
家は、男性の父が建てたもので、男性は両親と3人で暮らしていました。それが、母親は幼い頃に事故死し、父親も15年ほど前に亡くなり、今は男性が独りで家にいるのです。
内装も趣味のよい作りになっており、男性の父が残したというジャズのレコードが8000枚程度、綺麗に整理された状態で残されています。
物語の主人公である「僕」もジャズが好きで、半分は貴重なレコードがあるという誘いに惹かれて男性の申し出に応じたようなものです。
その出会いをきっかけに、ひと月に一度ぐらいの割合で男性の家を訪問することが続きます。
男性は建築家といいますが、それらしく働いているところを見たことがありません。そんな男性に、仕事でロンドンへ行かなければならないため、その間、留守番をしてくれないか、と頼まれます。
独りで留守番をする初めての深夜、「僕」が怪奇な体験をする展開になっています。
話の始まり方からして、スムーズに話の世界へ入って行け、ストレスを感じることがありません。
ウィキペディアの記述によって知りましたが、村上は外国の小説からその世界に足を踏み入れ、ヨーロッパで生活をするようになる40歳より少し前ぐらいまでは、日本人の作家の作品は距離を置いていたようです。
私はこのところ清張の作品に馴染んでいたため、村上の作品が新鮮に思えました。比較をするわけではありませんが、村上と清張は対極の印象です。
清張の作品に登場する人間は泥臭く、地べたを這いずり回るような生き方をしています。それが村上の場合は、ふわっと宙に浮かんでいるように思えます。
どちらの感性も尊重するつもりで、あっちとこっちの作品に接するのは、ま、それはそれで楽しいです。
『若い読者のための短編小説案内』は、村上が遅れて興味を持った日本の作家の短編を紹介しながら、自分の創作の流儀についても語る内容です。
米国の大学院で教えた内容をまとめた体裁になっているようです。
ですます調が特徴となっていますが、これを読むことで感じたのは、村上は理屈っぽい、あるいは、慎重なものの考え方をするのでは、というようなことです。
それが端的に表れるのは、自分が何かについて書いたあと、すぐにそれとは別の見方で書くことです。たとえば、長編作品に村上が取り組むことについて書いた次の文章のうち、太字部分がそれにあたります。
ときには呼吸することを忘れてしまうくらいの―実際に忘れることはたぶんないでしょうが―鋭い集中力が、そしてもちろん豊かなイマジネーションが、要求される作業ではあります。
こうした書き方が、割と随所に出てきます。
真似て書けば、次のような感じになりましょう。
僕は毎日朝早く起きる。早さの感覚は人によって違うだろうが。
そう書かずにいられらなくさせるのは、村上の内面にあるのかもしれない、理屈っぽさ、あるいは、慎重さかもしれません。
『レキシントンの幽霊』を読み終わる頃、昨夕から感じていた熱っぽさが薄れ、”平熱”に戻っていることに気がつきました。
そんなとき、Amazonで「”なつミス”フェア」を6月4日まで催していることを知りました。”なつミス”は”なつかしいミステリー”の略で、講談社が発行する対象の懐かしいミステリーの電子書籍版を割引提供してくれるフェアです。
清張の対象作品は『中央流砂』1作であることがわかり、早速330円で購入しました。
本作は、昔に文藝春秋社が清張作品全集を出したときにも買い求め、読んでいますが、内容はすっかり忘れています。
早速読み始めました。中央官庁のひとつ、農林省(農林水産省)が舞台です。そこで局長をする男が、北海道で接待を受ける場面から始まります。
それを読むことであらためて認識するのは、高級官僚になった者で、昇進を果たした人間というのは、至れり尽くせりの接待を受け、夜の宴会が終われば、夜の女まで宛がわれるのだ、ということです。
若い頃からそれが当たり前となれば、碌な人間にはならないことが想像できます。
御付きの人間も、上の人間に恭しく接するふりをしながら、冷酷な眼を光らせ、もしも上役に事故が起これば、表面では驚きながら、裏ではせせら笑うといった処世術が自然と身につくようです。
出だしだけ読んでもそんなことまで考えさせ、村上の短編作品とは味わいが随分違います。味わいの違いは、内容の良し悪しの物差しにはなりませんが―と村上流の理屈っぽさや慎重さの書き方を真似ておきます。
『中央流砂』は1965年10月号から翌66年11月号にかけて連載されたものですが、その連載が日本社会党の機関紙『社会新報』だというのは異色といえましょう。
今から54、5年前の連載です。それで連想したのは、昨年9月に、息子を刃物で惨殺した農水省の元事務次官、熊澤英昭(※刑がどのように確定したのか私は承知していないため、敬称をどのようにつけるべきかわからず、呼び捨てにしておきます)です。
彼は1943年生まれですから、本作の連載が始まった年の春、当時はまだ農林省だった、のちの農水省に入省したであろうことがわかります。
彼が当時本作を読んだとすれば、高級官僚としての人生が始まったばかりで、どろどろの人間関係が待っているかもしれない自分の未来にどんな思いを持ったでしょう。
彼の場合は、その晩年に、清張が作品の題材にしそうな事件を起こすことになったわけですが。
しばらくはまた清張の作品に浸ったのち、村上の良い意味でのライトな作品に接するのも悪くはないでしょう。
体調が戻ったことを感じた昨夕は、音楽を聴きながらビールを飲みました。