2002/01/19 東電OL殺人事件の背景

私は普段あまり本は読まない方なのですが、今、珍しくある本を読んでいるところです。

その本とは_『東電OL症候群シンドローム』佐野眞一著/新潮社/1600円)です。私はまだ未読ですが、このあと遅ればせながら読んでみようと思っている『東電OL殺人事件』(佐野眞一著/新潮社/1800円)に続く著作のようです。

実をいいまして、私は本を読むのが非常にのろく、第4部まで書かれている内のまだ第3部の途中で、本来であれば全て読み終わってから書くべきなのかもしれませんが、私のせっかちな性格からの行為と許していただきながら、ここまでに感じたことを書いておくことにします。

この本の中で書かれていることを大きく分けますと、被害者の女性に関することと、加害者とされるネパール人の男性をめぐる日本の司法の問題の二つの点に絞られると思います。これらが重層に絡まり合いながら綴られています。

それを私がそのまま書きますと混乱しそうなので、今回はまず事件のあらましについて書き、全て読み終えたあとに被害者の女性を巡る私なりの考えを改めて書くことにしたいと思います。

とにかく、この本は実際に起こった殺人事件を取材して書いておられ、それが実に複雑な人間模様を見せているため、しばらく活字を追ってはそれに考えを巡らせるといったことの繰り返しで、非常に疲れます。

この殺人事件は、平成9(1997)年3月8日深夜から翌9日未明にかけて起こりました。2002年現在からしますと5年ほど前のことになります。その年を思い出させる事件としては、5月に例のA少年による衝撃的な「神戸連続児童殺傷事件」が発生しています。

まず、事件のあらましはざっと以下の通りです。

事件発生となる当日は土曜日に当たり、被害者となる渡邉泰子は勤めが休みの日に当たりました。

彼女は都内に母、妹(尊敬の対象だった父は泰子が大学2年の年に他界)と共に暮らし、大学卒業後就職した東京電力の本社勤務をしていました。俗にいわれるところのバリバリの“キャリアウーマン”ですが、彼女は普段地味な身なりを通し、浮いた話もなく、会社内では孤立した存在だったそうです。

その彼女が会社の休みの日に向かった先は、東京・五反田にあるSMクラブ「マゾッ娘宅配便」です。事件前年の平成8年6月頃から、仕事の休みの土日は決まって当風俗店に出向き、午後零時30分頃から午後5時30分頃まで客からの依頼を待っていたそうです。

事件当日も同じように出勤したものの客がつかず、午後5時30分頃に店を出、夜の7時頃、常連客の男・荒川守とJR渋谷駅ハチ公前で落ち合い、午後7時13分頃から同10時16分頃まで渋谷区円山町のホテルに滞在し、売春行為に及びました。

大事なことを書き忘れましたが、彼女は平日もOLの仕事を終えた後は決まって上にも書いた渋谷区円山町界隈の街頭に佇み、一夜に4人の男性客を引き、売春行為をすることを自らに課していた、とのことです。

客の荒川と渋谷区道玄坂派出所前の交差点で別れた彼女の姿は、殺害現場に近い青果店主やファッションヘルスのサンドイッチマンの男性によって目撃されています。

その後、午後11時25分頃、殺害現場となる運命の「喜寿荘」1階通路に通じる西側の階段を泰子と同じ背格好の男性との二人が上がっていくのを、喜寿荘の真下にある居酒屋「まん福亭」に父親を迎えきた青年によって目撃されています。

相手男性は「色が浅黒く東南アジア系の顔立ちだった」とされていますが、本当にそうだったのかは明らかではありません。男は黒と白で左脇に赤いポシェットのようなものがついたジャンパーを着ていたそうです。

泰子は毎夜売春行為をしながらも、必ず母と妹の待つ家へは終電で帰宅していたそうです。それが3月8日に家を出たきり帰らず、また月曜日になっても勤務先を無断で欠勤しました。

泰子の遺体が発見されるのは殺害されてから11日目の3月19日の午後5時頃です。遺体の第一発見者は、事件現場となった喜寿荘の鍵を管理していたネパール料理店「カンティプール」の店長をする男です。

遺体(バーバリーのベージュ色のトレンチ・コート、その下にツーピース。下着に乱れはなかった)は、喜寿荘101号室の北側和室に横たわっていました。死因は、頸部圧迫による窒息死と推定されました。

遺体の頭毛に接するように置かれていた泰子のショルダーバッグ(黒色革製。開口部が巾着式。中にはこのあと述べるものの他に現金473円入りの二つ折りの財布、別に現金が60円、未使用のコンドーム28個などが入っていた。なお、そのバッグの他に容器に入ったサラダ2個が入れられたビニール製の手提げ袋とおでんなどの食料品が入った黒色の布製手提げ袋も室内に置かれていた)の中から泰子名義の東京電力株式会社発行の勤務証や、「東京電力東京本社 企画部 経済調査室副長 渡邉泰子」と記された名刺が発見され、被害者の身元が判明しました。

ここでようやく「東電OL殺人事件」が世間の知られるところとなるわけです。遺体は死後一週間内外経過したものと推定されました。

泰子の膣内を検査したところ微量の精液が確認され、それはO型の血液を持つ者とわかりました。ちなみに、上にも書いた真犯人と接触する直前に関係をもった常連客の荒川の血液がO型です。

問題とされたのは、殺害現場となった喜寿荘101号室西側の和式水洗トイレ便器内のブルーレット水溶液内に不二ラテックス社製のリンクルMピンク型コンドーム(Kondom〔ドイツ語〕:薄いゴムで作った男性用の避妊・性病予防用のサック。ルーデーサック。スキン=広辞苑)が一つ浮いていたことです。

当コンドームからは残留精液が検出され、そこから血液型はB型であることがわかりました。

警察は、現場に残されたコンドームは泰子が携行していたものと同種の製品であること、売春時にはコンドームを使用した可能性が高いことなどから、便器内で発見されたコンドームこそは犯人が使用としたものである、と考えました。

警察の捜査の結果、平成9年(1997)5月20日、ゴビンダ・プラサド・マイナリ(以後、ゴビンダ/当時30)というネパール国籍の一人の男が容疑者として逮捕されました。ちなみに、彼の血液型は現場に残されていたコンドームに付着していた精液の血液型と同じB型です。

ゴビンダは、犯行当時、事件現場の喜寿荘の隣りの粕谷ビル401号室にネパール人の仲間4人と一緒に住んでいました。

事件当日の彼の足取りは、彼の当時の勤務先であった千葉市内のJR海浜幕張駅近くにあるインド料理店「幕張マハラジャ」の勤務が終わった午後10過ぎに店をあとにしたそうです。その後、電車を乗り継ぎ、住まいである渋谷の粕谷ビルに着き、そこで泰子と出会い犯行へと及んだ、ことになるのでしょうか。

現在この事件は裁判中ですが、現実問題、勤務先の幕張から渋谷の円山町まで戻った後に犯行をすることが可能かどうか、難しい点の一つと見られています。

警察は、「海浜幕張駅発午後10時7分発の京葉線東京行きに乗ればギリギリ間に合う」と見ているようですが、本人のゴビンダは「午後10時22分発の電車で帰った」と主張しています。彼のいい分が正しいとするなら、犯行時間までに現場にたどり着くことは不可能、だそうです。

本事件には他に大きな疑問点が二つあります。

まずその一つ目は泰子が丹念につけていた手帳の問題です。

彼女は関係を持った客を手帳につけることを習慣づけていたようですが、事件が起こる数日前の平成9年(1997)2月28日の箇所には「? 外人 0.2万」のメモ書きがしてあるそうです。

これこそが、検察側と弁護側が真っ向から対立する問題点です。

実は、加害者とされるゴビンダは、それ以前にも2度泰子の客になっている事実があります。

泰子のメモの書き方には、彼女の几帳面な性格を反映するような一定の法則らしきものが認められるそうで、初めての客で名前や携帯の番号を教えてくれなかった客や常連にはなってもらえそうにない客に対しては「?」印をつけていた(弁護側は「絶対の法則ではない」と反論しますが)ようです。

そこで、検察側は、28日当日の客がそれ以前にも交渉を持ったことのあるゴビンダであるとしたら、「?」をつけるわけがないので、このときの客はゴビンダ以外の外国人である、と主張しました。

対する弁護側は、犯行現場となった喜寿荘は電気がつかず、暗がりであったため、ゴビンダ本人とは気づかず、初めての客として「?」をつけたことも否定できない。以上の理由からメモに残された「?」つきの外国人客はゴビンダでないとはいい切れない、と反論しました。

なぜこうもメモにこだわるのかといえば、それは、現場に残されたコンドーム内の残留精液の劣化程度からゴビンダが犯人かそうでないかを決定的に証拠づけることができるからです。どういうことかといいますと、精液を検査することによって、それがどの程度時間が経過したものであるか、ある程度推測がつくのだそうです。

そのことから、弁護側は、犯行時点よりも前の2月28日にゴビンダが泰子と交渉を持ち、その際に装着したコンドームが発見されたものであり、事件とは関わりがない、と主張し、メモに残された「?」のつけられた外国人はゴビンダである、と結びつけました。

現在のところ、精液の劣化程度からどちらの主張が正しいかを決めつけることはできない状況にあるようです。

いずれにしても、現場からはゴビンダと同じ血液型の精液が残ったコンドーム以外は発見されていません。そういうことを考え合わせますと、ゴビンダが依然として不利な立場に置かれていることを否定はできません。

ただ、これは全くの素人の私の他愛もない推測ですが、“真犯人”が何らかの理由で性交渉には及ばず、金品(約4万円)だけを奪って殺害した、とは推測できないでしょうか。ついでながら、先にも書きました遺体の頭部付近に置かれたいたショルダーバッグは、取っての部分が千切れていたそうです。そこから、泰子と犯人がともみ合う場面も想定できなくもありません。

その場合は、現場に使用済みのコンドームが残されていなくても不思議ではなさそうです、が(なお、犯行が行われたと思われる直近の時間である3月9日午前零時半頃、101号室の前を通りかかった女子高生が性交時の喘ぎ声を聞いている事実があり、私の素人推理はその段階でもろくも崩れ去ることに)。

もう一つの疑問点は、泰子が通勤の際に使用していた定期券(泰子の最寄り駅の京王井の頭線西永福新橋。同年3月1日に購入したもので、同年8月31日まで有効)が、殺害された3月8日の4日後の3月12日に東京・巣鴨の民家敷地内から発見された点です。

当定期券の使用履歴を調べると、殺害された8日当日午前11時25分に西永福駅の入場の際に使用されたのを最後に、それ以後の使用の形跡は一切ないそうです。

購入したばかりの定期券を被害者本人が自ら捨てる理由はなく、犯人が犯行の攪乱を狙ってわざと無関係の地域に捨てたと考えるのが妥当ともいえそうです。ちなみに、その定期券からゴビンダの指紋は検出されていないということです。

私が途中まで読んで意外に感じたのは、ゴビンダの無罪を主張する筆者が次のように書いている点です。

「私はゴビンダの無罪を疑う者ではない。しかし、だからといってゴビンダがこの手紙(結成集会に獄中から宛てたゴビンダ本人の手紙)にあるような家族思いなだけの人間だとも、清廉潔白な人間だとも思わない。ゴビンダが泰子以外の売春婦を殺害現場となった喜寿荘101号室に連れ込んだことも、埼玉県西川口のストリップ劇場の舞台にあがりこみ、ストリッパーとセックスに及んだ人間だということも、私は知っている(P.205)」

ただ、そのあとに「彼が自分の破廉恥な行為を法廷で自ら告白したことに、むしろ私はゴビンダの『真実』を感じる」と書いています。「自分は単なる“人権派”とは違う」ということをいいたかったのかもしれません。

そういえば彼は、当著作の中で、見せかけだけの“人権”に終始し、広告の有力な顧客である東京電力に遠慮してか腰の引けた報道しかしない(その実、ほとんど報道をしていないという)大手マスメディア(分けても朝日新聞)を厳しく叱責しています。

今、その一文が載ったページを探しているのですが見つかりません。筆者である佐野氏は、泰子に対し「血のつながった者」のような親近感さえ持つほどに関心を向けている、といったような告白をしています。

それほどに第三者を魅了する力はどうして生まれるのでしょうか?

佐野氏に倣って私も告白すれば、本に書かれた文章で彼女に接する内、どうしようもなく彼女に惹かれていく自分を感じました。この不思議な感情はどこから生まれるのでしょうか。

当書を読み終え、自分の感情の整理がついたら、今度は彼女の内面に少しでも迫りつつ書けたら、と思っているところです。

彼女が歩いたであろう渋谷の円山町、道玄坂の界隈を私も歩いてみたい衝動に駆られています。

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