何気なくかけていたラジオからある女性シンガーの曲が流れてきました。
それは平松愛理の歌う曲でした。で、私はそのラジオを消しました。私は彼女の曲がどうにも性に合わないもので、、、。
なんででしょう? 深い意味はないのかもしれませんし、あるのかもしれません。それは歌い方にあるのかもしれませんし、または歌の内容そのものかもしれません。
同じように、私には性に合わないシンガーが他にもいます。
それは_竹内まりやです。
こちらの場合は理由がある程度自分の中でハッキリとしています。それは、彼女の書く詞がどうにも好きになれないのです。もちろん、彼女の作る歌のほんの一部しか聴いたことがないはずです。が、そんな数少ない経験の中での私個人の感想です。
例を挙げてみましょうか?
たとえば、『けんかをやめて』です。女の子が恋の二股をかけたことで男の子同士が喧嘩となり、それを「誰か~とめてぇ(・・!」と歌うシチュエーションになっています。
竹内は「よくあるでしょう」と詞にしているのですが、竹内にとっては少女時代によくあったシチュエーションなのでしょうか(^_^; ま、たかが歌詞にいちゃもんをつけるのもどうかと思いますが、、、敢えてつけさせていただければ、この詞に登場する女の子は嫌なタイプですね。
「ほんの出来心でこんなことしちゃったけど、悪気はなかったんだぁ。だから許して」と媚びを売りつつ、許しを乞うているようで。しかも、自分が蒔いた種の喧嘩を誰か第三者に「とめて」と頼んでいます。
男同士の喧嘩を止められるのは男なわけでしょうから、ここにはまた、喧嘩を仲裁する“第三の男”の影も見え隠れします。一体この女の子、何人の男の子とつき合っているのでしょう。
それにしても「いつか本当の愛 わかる日が来るまで そっとしておいてね」と言う歌詞を聴かされたなら、喧嘩をしている二人は「じゃ、オレたち二人とはホントの愛じゃなかったの?」という気になるのではないでしょうか?「調子こいて。まったく~、やってらんないよなぁ、、、」といったところですね。
もう一つ例を挙げてみましょう。それは『駅』という曲です。
こちらは、ある程度成熟した男女の話です。彼女は勤め帰りの電車の中で、以前つき合っていた男性と偶然乗り合わせます。しかし、声をかけることはできず、そのまま夕闇の街に降り立つ、という内容です。
私はこの中に出てくる女性にも、ある種の“傲慢さ”のようなものを感じてしまうんですよね。
具体的には次の歌詞です。
あなたがいなくても こうして 元気で暮らしていることを さり気なく 告げたかったのに…
今になってあなたの気持ち 初めてわかるの 痛いほど 私だけ 愛していたことも
別れた恋人同士が偶然に出会うという歌はよくあると思います。ただ、竹内が作ると、女の嫌みな部分が出てしまいます。「あの人を愛していたあの頃に戻りたい」というのなら素直です。しかし、竹内はそんなことは悔しくて書けません。
で、どう書くかといえば、「あなたがいなくても私は平気。新しい恋をしているから」となります。さらに「あなたはあの時あんなにも愛してくれていたのね」と相手の愛情の方が強かったことを強調して見せます。
以上のようなことを総合して考えてみますと、この歌に登場する女性も独りよがりな性格であるように、私の目には映ります。もっとも、そういうタイプの女性が好き! という男性もいるでしょうが、、、。
たかが作り物の歌とはいえ、その詞の中には作者の考え方が反映されるのだろうと思います。
としたら、彼女の歌世界に登場する女性はどれも竹内自身の分身なのではないでしょうか? これは私の勝手な想像ですが、竹内は自分を「容姿才能共に恵まれた女性=いい女」と買いかぶっているのでは、と思わないでもありません(←違っていたら申し訳ない、です)。
あと、これは別の曲ですが、『元気を出して』の歌詞の中には珍しく失恋した女性が出てくるのですが、それは彼女自身(=竹内自身?)ではなく、彼女の女友達なのです。あくまでも彼女は、自分自身を「失恋した不幸な女」とは描きたくないのでしょうか? あるいは、彼女のプライドがそれを許さないのかな?
と、まぁ、好き勝手なこと書き連ねてみましたが、竹内の曲は主に女性から支持を集めていたりするんですよね。ライヴ活動をあまり行わず、もっぱらアルバム作りに励んでいるようですが、そのアルバム・セールスも悪くないようです。
一体彼女たち、アルバム購入者達はどんな思いで竹内の曲を聴いているのか、本音をいつか伺ってみたいものです。もしかして、彼女たち自身が竹内の曲の中に自分自身を投影して聴いていたりして。だったら、結構コワいものがあるかも。